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私は桜が嫌いだ。
この季節になると、彼は私の気持ちなどお構いなしに、勝手に咲いては挨拶もなく散っていく。
無機質で殺風景な景色のオフィス。
今日の業務が終了すると、同僚たちは花見へと行く算段をする。
人々は毎日同じ場所での、同じ業務に飽き飽きし、何かしらの刺激を求めていた。
万年同じ建物内での作業の繰り返しで、季節の変わり目など分からない。
冷暖房を完備したこの中では、寒さも暑さも感じられない。
時の流れを感じるには、自分たち人間の成長と老化を観察するしかない。
人々は繰り返される代り映えのない生活に屈託していた。
そんな閉塞された社会での辟易さの捌け口としての花見。
この一年という期間の中で、季節限定で見られるその色鮮やかな花びらに、退屈さを紛らわし心を癒すのだ。
今年もその季節、桜の咲く季節がやって来た。
同僚たちは、桜が満開となり今が見ごろだという話を聞くだけで浮足立つ。
いつもなら気を使って、誰も私を花見へと誘おうとはしなかった。
しかし今年は違った。私が桜を嫌いなことを知っている同僚は、人事異動により全員いなくなってしまった。
「先輩も行きますよね?」
「私は……」
最初は断った私だが、事情を知らない後輩があまりにも熱心に誘ってくるため、結局断り切れずに仕事終わりに皆で集まり、花見を行くことになってしまった。
あの日から、今年で6年目……
これを機に、久しぶりに行ってみるのも……
浮かれる若い女の子を中心に、オフィスを後にする私たち。
仕事終わりのその足で、そのまま直接、自然公園までの通路を歩いて行く。
明るく楽しそうに話す彼女たちの後姿を見ながらついていく私は、かつての私の姿を投影させていた。
私にも桜が好きだった時のことを……
数年前のこと。
将来を誓い合った彼とは、この季節になると桜を見に行っていた。
若かった私たちは、自分たちにいつか死がやって来ることなど、微塵も感じなかった。
まるで目の前に広がる満開の桜のように、毎年毎年、美しく華やかな日々が訪れるものなのだと勝手に思い込んでいた。
常に未来は明るく、私たちの幸せは永遠に続くものだと錯覚し、毎日を謳歌していた。
満開の桜の木にもたれながら、冗談交じりに言った彼の言葉が今でも忘れない。
「この木の下にも死体があるんだってな」
「そうね。そう思うと、なんだか近寄りにくいけど」
「そんなこと言ったら末期の地球なんて、死体だらけだぞ。どこを歩いたって地下には死体が眠ってるんだから」
「それもそうね」
「こうやって生きていられるのも、いろんな人の犠牲の上で成り立ってるわけなんだよな」
「私たちも誰かの犠牲によって生きていけるのね」
そのまさか、犠牲になる側になるとはその時には思ってもいなかった……
“苗床”の通知は全市民に突然やって来る。
それは平等公平公正に。
子どもだろうが、
有能な学者であろうが、
全盛期のスポーツ選手だろうが……
これは地球上にいた人間が、事故死や病死する確率と同じなのだという。
前世紀の地球上の人間も、このような理不尽で唐突に訪れる死に、恐怖し怯え、悲しみ苦しんだという。
そのことを、身をもって知ることとなる。
彼がその通知を受け取った日、私にそのことを話してくれた
「今年の桜の木の人柱は…………俺が選ばれたようだ」
そう呟くように彼の口から漏れ出した言葉。
あの真っ白い一枚の紙っぺらのように、薄くのっぺりとした顔面蒼白の彼の顔は……
……思い出したくもない。
ここは広大な宇宙を航行する移民船の中。
総勢1億もの人口を抱える大型宇宙船。
ここで私たちは生まれ、成長し、子を産み、そして死んでいく。
そのサイクルは、人類の故郷、地球に似た環境の惑星を発見し入植するまで続く。
私たちの世代は、4代目。
生まれも育ちもこの宇宙船。
地球をこの目で見たこともない。
大地に立ったこともない。
海に入ったこともない。
船外から降り立ち、惑星の大気の中、重力下で暮らすことはおそらく一生ない。
きっとそれは私が生きている間には叶わないことなのだろう。
この小さな宇宙船の中で私たちの人生は完結する。
この宇宙船は、今から数十年前、ある重大な問題が発生した。
植物が育たなくなったのだ。
巨大な船内には、酸素を作り出すためや食料となるために、地球と同じようにいくつもの樹木や植物が植えられていた。
しかし、その植物が育たなくなるという現象が起きたのだ。
これは我々人間にとっては死活問題であった。
すぐさま原因究明の組織が結成されて、さまざまな調査が行われた。
微生物の問題なのか?
水の問題か?
空気汚染か?
日光の問題が?
原因は土壌にあった。
何年も同じ土で繰り返し植えられてきた植物は、その土に抵抗を持ち、ついには拒否反応を起こし成長しなくなったのだ。
途中の惑星へ立ち寄り土を回収するも、汚染された土壌では植物が育つわけもなく、日を追うごとに船内から緑が消えていった。
事態を重く見た上層部は、ついにある決断を下した。
『人間を植物の苗床とする』
それは人間を植物の土壌の代わりにするものだった。
このままでは全員滅亡してしまう。
その最悪の事態を防ぐため、大多数の生存と幸福のために、少数の死をもってして植物を生かす。
これを認めることとなった。
家畜を苗床に、という意見もあったが、貴重なたんぱく質を植物に使うことは出来ない。
また、これは安全な船内で長生きし続け、増え続けていく人間の口減らしの意味も含まれていた。
船内では平均して、毎日数十人の人間が死を迎えている。
最初は、寿命の尽きた人間を犠牲に植物を育てていった。
専用の棺桶となるカプセルに遺体を収める。
その周囲に花を植える。
人類の正史以来、美しい花は死者への手向け花として弔っていたものが、現在では逆に花の生かすために死体を提供されていた。
こうして一度は緑の環境は回復していくのだった。
しかし、樹木や大木などでは人間の死を待っていては、成長が追い付かなかった。
こうして樹木の種の保存という名目で、人間の生体が苗床として犠牲となることとなった。
この船内の世界では、人間の命は木々よりも軽かった。
これから向かう桜の木なども、そのあまりにも美しい花のため、保存が最優先とされる植物リストの上位にランクされ、その生存のために毎年抽選で選ばれた生きた人間が、人柱として埋められていた。
私の彼が、そうだった。
たまたま、そうだっただけのこと。
銀色の大きく分厚い扉の前に私たちは到着する。
代表者が壁に備え付けられた端末に手続きの入力をすると、その固く閉ざされた扉が風のように軽く音もなく開く。
その中に広がる光景、それは緑の芝生が野球場5個分の広さまで広がる空間。
ドーム状の天井には、青い空とゆっくりと動く雲の映像が流れる。
目の前には、瞳を優しく包み込む木々の緑と、色とりどりの花々。
そして奥にそびえ立つのは、満開となった桜。
周りの人たちの顔はほころび、
私の鼓動は早くなる。
久し振りに目にするその姿は、最後に見た時と同じように、幽霊のように淡く薄い、透き通るような花をいっぱいに枝に付けていた。
はしゃぎまわる同僚たちを尻目に、私は桜の木に触れる。
木のぬくもりが、彼がこの中で生きていることを感じさせてくれる。
それは悲しいような、嬉しいような……
死はいつも隣り合わせ。
自分の背後に付きまとい、気がついた時には正面に立っている。
人々は知っていた。死が身近にあることも。
多くのものの死の積み重ねによって、自分が今生かされていることも。
そのことから目をそらし忘れようとし、今を楽しく生きようとしている。
かりそめの幸せを、淡い桃色の桜の花びらに見ているだけ。
彼がこの下に埋められる時の、最後の言葉を思い出す。
『桜が咲くころに俺を思い出し、会いに来てくれれば……』
その言葉が私の呪いのように呪縛として纏わりついて、逆に桜の木から遠ざけてきていた。
ここに来れば思い出してしまうから……
私は桜が嫌いだ。
でも、もし私も花葬されるとしたならば、
彼と同じこの桜の下に、
埋められたい。
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