花葬

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 私は桜が嫌いだ。  この季節になると、彼は私の気持ちなどお構いなしに、勝手に咲いては挨拶もなく散っていく。  無機質で殺風景な景色のオフィス。  今日の業務が終了すると、同僚たちは花見へと行く算段をする。  人々は毎日同じ場所での、同じ業務に飽き飽きし、何かしらの刺激を求めていた。  万年同じ建物内での作業の繰り返しで、季節の変わり目など分からない。  冷暖房を完備したこの中では、寒さも暑さも感じられない。  時の流れを感じるには、自分たち人間の成長と老化を観察するしかない。  人々は繰り返される代り映えのない生活に屈託していた。  そんな閉塞された社会での辟易さの捌け口としての花見。  この一年という期間の中で、季節限定で見られるその色鮮やかな花びらに、退屈さを紛らわし心を癒すのだ。  今年もその季節、桜の咲く季節がやって来た。  同僚たちは、桜が満開となり今が見ごろだという話を聞くだけで浮足立つ。  いつもなら気を使って、誰も私を花見へと誘おうとはしなかった。  しかし今年は違った。私が桜を嫌いなことを知っている同僚は、人事異動により全員いなくなってしまった。 「先輩も行きますよね?」 「私は……」  最初は断った私だが、事情を知らない後輩があまりにも熱心に誘ってくるため、結局断り切れずに仕事終わりに皆で集まり、花見を行くことになってしまった。  あの日から、今年で6年目……  これを機に、久しぶりに行ってみるのも……  浮かれる若い女の子を中心に、オフィスを後にする私たち。  仕事終わりのその足で、そのまま直接、自然公園までの通路を歩いて行く。  明るく楽しそうに話す彼女たちの後姿を見ながらついていく私は、かつての私の姿を投影させていた。  私にも桜が好きだった時のことを……  数年前のこと。  将来を誓い合った彼とは、この季節になると桜を見に行っていた。  若かった私たちは、自分たちにいつか死がやって来ることなど、微塵も感じなかった。  まるで目の前に広がる満開の桜のように、毎年毎年、美しく華やかな日々が訪れるものなのだと勝手に思い込んでいた。  常に未来は明るく、私たちの幸せは永遠に続くものだと錯覚し、毎日を謳歌していた。  満開の桜の木にもたれながら、冗談交じりに言った彼の言葉が今でも忘れない。 「この木の下にも死体があるんだってな」 「そうね。そう思うと、なんだか近寄りにくいけど」 「そんなこと言ったら末期の地球なんて、死体だらけだぞ。どこを歩いたって地下には死体が眠ってるんだから」 「それもそうね」 「こうやって生きていられるのも、いろんな人の犠牲の上で成り立ってるわけなんだよな」 「私たちも誰かの犠牲によって生きていけるのね」  そのまさか、犠牲になる側になるとはその時には思ってもいなかった……  “苗床”の通知は全市民に突然やって来る。  それは平等公平公正に。  子どもだろうが、  有能な学者であろうが、  全盛期のスポーツ選手だろうが……  これは地球上にいた人間が、事故死や病死する確率と同じなのだという。  前世紀の地球上の人間も、このような理不尽で唐突に訪れる死に、恐怖し怯え、悲しみ苦しんだという。  そのことを、身をもって知ることとなる。  彼がその通知を受け取った日、私にそのことを話してくれた 「今年の桜の木の人柱は…………俺が選ばれたようだ」  そう呟くように彼の口から漏れ出した言葉。  あの真っ白い一枚の紙っぺらのように、薄くのっぺりとした顔面蒼白の彼の顔は……  ……思い出したくもない。  ここは広大な宇宙を航行する移民船の中。  総勢1億もの人口を抱える大型宇宙船。  ここで私たちは生まれ、成長し、子を産み、そして死んでいく。  そのサイクルは、人類の故郷、地球に似た環境の惑星を発見し入植するまで続く。  私たちの世代は、4代目。  生まれも育ちもこの宇宙船。  地球をこの目で見たこともない。  大地に立ったこともない。  海に入ったこともない。  船外から降り立ち、惑星の大気の中、重力下で暮らすことはおそらく一生ない。  きっとそれは私が生きている間には叶わないことなのだろう。  この小さな宇宙船の中で私たちの人生は完結する。  この宇宙船は、今から数十年前、ある重大な問題が発生した。  植物が育たなくなったのだ。  巨大な船内には、酸素を作り出すためや食料となるために、地球と同じようにいくつもの樹木や植物が植えられていた。  しかし、その植物が育たなくなるという現象が起きたのだ。  これは我々人間にとっては死活問題であった。  すぐさま原因究明の組織が結成されて、さまざまな調査が行われた。  微生物の問題なのか?  水の問題か?  空気汚染か?  日光の問題が?  原因は土壌にあった。  何年も同じ土で繰り返し植えられてきた植物は、その土に抵抗を持ち、ついには拒否反応を起こし成長しなくなったのだ。  途中の惑星へ立ち寄り土を回収するも、汚染された土壌では植物が育つわけもなく、日を追うごとに船内から緑が消えていった。  事態を重く見た上層部は、ついにある決断を下した。 『人間を植物の苗床とする』  それは人間を植物の土壌の代わりにするものだった。  このままでは全員滅亡してしまう。  その最悪の事態を防ぐため、大多数の生存と幸福のために、少数の死をもってして植物を生かす。  これを認めることとなった。  家畜を苗床に、という意見もあったが、貴重なたんぱく質を植物に使うことは出来ない。  また、これは安全な船内で長生きし続け、増え続けていく人間の口減らしの意味も含まれていた。  船内では平均して、毎日数十人の人間が死を迎えている。  最初は、寿命の尽きた人間を犠牲に植物を育てていった。  専用の棺桶となるカプセルに遺体を収める。  その周囲に花を植える。  人類の正史以来、美しい花は死者への手向け花として弔っていたものが、現在では逆に花の生かすために死体を提供されていた。  こうして一度は緑の環境は回復していくのだった。  しかし、樹木や大木などでは人間の死を待っていては、成長が追い付かなかった。  こうして樹木の種の保存という名目で、人間の生体が苗床として犠牲となることとなった。  この船内の世界では、人間の命は木々よりも軽かった。  これから向かう桜の木なども、そのあまりにも美しい花のため、保存が最優先とされる植物リストの上位にランクされ、その生存のために毎年抽選で選ばれた生きた人間が、人柱として埋められていた。  私の彼が、そうだった。  たまたま、そうだっただけのこと。  銀色の大きく分厚い扉の前に私たちは到着する。  代表者が壁に備え付けられた端末に手続きの入力をすると、その固く閉ざされた扉が風のように軽く音もなく開く。  その中に広がる光景、それは緑の芝生が野球場5個分の広さまで広がる空間。  ドーム状の天井には、青い空とゆっくりと動く雲の映像が流れる。  目の前には、瞳を優しく包み込む木々の緑と、色とりどりの花々。  そして奥にそびえ立つのは、満開となった桜。  周りの人たちの顔はほころび、  私の鼓動は早くなる。  久し振りに目にするその姿は、最後に見た時と同じように、幽霊のように淡く薄い、透き通るような花をいっぱいに枝に付けていた。  はしゃぎまわる同僚たちを尻目に、私は桜の木に触れる。  木のぬくもりが、彼がこの中で生きていることを感じさせてくれる。  それは悲しいような、嬉しいような……  死はいつも隣り合わせ。  自分の背後に付きまとい、気がついた時には正面に立っている。  人々は知っていた。死が身近にあることも。  多くのものの死の積み重ねによって、自分が今生かされていることも。  そのことから目をそらし忘れようとし、今を楽しく生きようとしている。  かりそめの幸せを、淡い桃色の桜の花びらに見ているだけ。  彼がこの下に埋められる時の、最後の言葉を思い出す。 『桜が咲くころに俺を思い出し、会いに来てくれれば……』  その言葉が私の呪いのように呪縛として纏わりついて、逆に桜の木から遠ざけてきていた。  ここに来れば思い出してしまうから……  私は桜が嫌いだ。  でも、もし私も花葬されるとしたならば、  彼と同じこの桜の下に、  埋められたい。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!