1人が本棚に入れています
本棚に追加
ヒィヒィと化け物じみた呼吸をしながら、わたしはあたりを見渡した。床に叩きつけてもだめ。それなら何か、トンカチのようなもの――。
折れかけた脚を動かして、黄ばんだ古いキャビネットを目指す。扉を開けて、乱暴に中を漁った。購入時のホームセンターのシールがこびり付いたままの、古いトンカチが出てきた。
「あっ、あは、あはははははははっ!」
わたしは気が触れたように、嗤った。
工具片手に卵を振り返り、痛みでおかしくなりそうな脚を引き摺って駆け寄った。
ヒ、ヒ、と呼吸が浅くなる。でも、あともう少し。もう少しだ……。
ガツン! とトンカチで卵を叩いた。さっきよりも確かな感覚がする。卵がいよいよ割れる、その感覚だ。
息を切らしながら、叫び出したくなった。ああ、これ。この感じ、懐かしい。あなたを産んだときのよう――。
カーテンから差す光はすでに西陽に変わっていた。燃えるような橙に支配された狭いアパートに、鈍い音が響く。真っ白な髪の生え際から浮かぶ玉の汗が、激しい動きによって床に飛び散っていく。皺の寄った唇を引き結んで、噛み合わせの悪くなった歯を食いしばって、懸命にトンカチを振り上げては叩きつけた。もう體はボロボロだ。だけど構わなかった。一目だけでも、あなたを見たいの――。
ゴチュン!!
一層激しい音を立てた時、同時にこれまでとは違う柔らかいものを突いた音がした。
卵に大きな罅が入り、ついに殻がバキバキと剥がれ落ちたのだ。
だけど私はもう一切の力が出なかった。体力も気力も、文字通り尽きた。
――ゴチュン。
卵の割れる音と同じ音を立てて、私は床に頭蓋骨を打ちつけた。倒れたのだ。
頭が焼けるように熱い。白いモヤが視界の縁を覆い、ゆらゆらと陽炎のように霞んだ意識の中で……ちょうど、卵の大きな割れ目と目があった。
そこには、仄暗い空洞があった。何かが隠れている、闇の深さだ。瞬きすらできなくなったわたしがただじっと見つめていると、そこに突然、白い何かが転がり込んでいることに気がついた。いや、何かではない。――眼球だ。人間のような、丸い眼球が覗いていた。
それはこちらを見ていた。目が合っていた。そしてわたしは悟り、理解し、うれしくなった。ああ、あなたは――。
わたしが最期に見たものは、わたしに巣喰っていたわたしだった。孤独を選んだわたしには、誰よりも優しく、温かく、理解者であった寄生者。
この日、わたしは死んだ。
帰らぬ人となった。
そして代わりに、卵から孵る者があった。それはわたしに宿った、この時を待ち侘びた、もう一人のわたしだ。
そう、わたしはこうして孵っていくのだ。わたしはこうして帰って来るのだ。――怪異である為に。
赤い真夏の床に横たわる、二人の物体。
潰れた卵から這い出した、小さく、新しい片方は、にんまりと嗤った。
「…………ただいま、ぁ……」
完
最初のコメントを投稿しよう!