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第一話:カリスマ指揮者と天才ピアニスト
我らが大振拓人が日本の若手のNo. 1指揮者である事はもう誰もが知ることだ。そして彼が日本クラシック界の最重要音楽家であることも世間の常識レベルの話である。
彼の公演には毎回全世代の女たちが詰めかけ、宇宙人がこの光景を見たら地球には女性しかいないのかと勘違いしかねない程女で埋め尽くされた。
その情熱的な指揮、激しいアクション、ダンス、パフォーマンス、熱い目を持つ西城秀樹似の美貌のルックス、そしてフォルテシモの絶叫。これら全てを備えた大振拓人は二十台にして日本クラシック界のトップに上り詰めた。
彼はチャイコフスキーでフォルテシモし、ベートーヴェンでフォルテシモし、シューベルトでフォルテシモし、ブラームスでフォルテシモし、ブルックナーでフォルテシモし、マーラーでフォルテシモし、ドヴォルザークでフォルテシモし、ついでに二十世紀音楽のシェーンベルクやストラヴィンスキーやショスタコーヴィチでフォルテシモしたが、これは全く受けが悪く、真面目なクラシックファンや現代音楽ファンからふざけんなとブーイングが起こって、レビューでもボロクソにこき下ろされた。
大振はこれに大激怒して、そもそも自分はコイツらの音楽などフォルテシモのかけらもないクズ音楽だとしか思ってないが、主催者からどうしても演奏して欲しいと泣いて頼まれたから仕方なしに演奏してやっただけだと逆ギレして、最後にこんなクズ作曲家たちのクズ音楽など二度と演るかとぶちかました。
まぁこのフォルテシモに過激な発言は当然フォルテシモな大騒ぎになったのだが、それで彼の名声に傷がつくわけではなかった。かえってそのフォルテシモに大胆な発言はフォルテシモに正直な発言と好意的に捉えられたのである。
日本を征服した大振拓人はあとは海外進出するだけだと言われていた。実際に大振のフォルテシモに斬新な指揮は海外のクラシック音楽界の注目するところとなり、各媒体に彼を讃える記事が頻繁に載るようになった。
その記事で記者たちは彼が大振が死にかけたクラシック音楽を見事蘇生させた事を讃え、あるもの彼の存在をロックのドアーズやクイーンやセックス・ピストルズなどを引き合いに出して彼がいかにクラシックの価値転倒を成したかを論じるのであった。
しかしそれらの評論の中で一番彼にピッタリくるのはこれらの他ジャンルの偉大なるレジェンドと比較した評ではなく、次の評であろう。
『レナード・バーンスタインと羽生結弦の間を繋ぐ男』
このいくらなんでもジャンルを無視しまくり過ぎるでしょ的な評は見事大振拓人という現代クラシックのカリスマの姿を的確に評している。マエストロ中のマエストロ指揮者レナード・バーンスタインよりも遥かに激しく指揮棒を振り回し、ゴールドメダリストの羽生結弦より遥かに男らしく舞う彼はまさに現代のカリスマであり、ミレニアム以降のクラシック業界の希望であった。
大振の評判は海外でも一般層に浸透し始め、YouTubeにアップされている大振の演奏会の動画には各言語でフォルテシモの言葉がずらりと並んだ。音楽記号であるフォルテシモは大振とセットで語られるようになり、大振拓人イコールフォルテシモはクラシック界の新たな一般言語になりつつあった。
そんな彼にも苦手としているものがあった。彼はその強烈な個性で何でもかんでもフォルテシモに指揮する事ができたが、協奏曲に限ってはかえってそのフォルテシモさが災いとなり必ず失敗してしまうのだ。彼は時折ピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲を有名奏者と共演したがその度にトラブルが起こった。フォルテシモに目立つ大振の強烈な個性は完全に演奏者たちを食ってしまい、客は有名演奏者の演奏を全く覚えていないという事態を生んでしまったのだ。
大振は主にベテラン演奏者と共演していたが、これは若手が大振から逃げたためである。それで彼は若手の指揮者を舐め腐っていたベテランの演奏者と共演をしていたのだが、それらの演奏者も皆舞台で大振拓人のフォルテシモの一撃を浴びてまともに演奏が出来なかった。
コンサートを演る度に演奏者のファンのブーイングがなり、レビューでもボロクソに貶されるのに流石の大振も自分には協奏曲は不向きだと自覚し、だんだん協奏曲を演らなくなっていった。
しかしある日その大振の元にアメリカンのピアニストとのラフマニノフの協奏曲第二番の共演の依頼が舞い込んできたのである。
そのピアニストとはまだ日本では無名に近かったが、アメリカではピアノの革命児と大評判となっていた日系人の諸般リストという男であった。
この男は大振拓人と同じ二十代で、その演奏スタイルはピアノの革命児にふさわしくとんでもないものであった。自ら弾くメロディに乗せて体を激しく揺り動かしてピアノを弾き、キメのフレーズを弾くと必ずポーズを決め、メロディを弾きながら天使のような美声で鼻歌を歌い出すだけでは飽き足らなかった。
自分のレパートリーであるラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を弾いた時など、あの有名な冒頭でいきなりピアノの上にうつ伏せになり「ロマンティック!」と吠えながら激しく腰をグラインドさせ、足でピアノを弾き倒すような事までしでかした。さらに同じくレパートリーであるリストのピアノソナタロ短調を演った時などクライマックスで仰向けになりセクシーな叫び声で同じように「ロマンティック!」と叫びながら後ろ手でピアノを弾くことまでした。
この諸般の「ロマンティック」はやはりアメリカでも我らが大振の「フォルテシモ」と同じように諸般リストの名前と共に新たな意味を付され始めていた。大振と諸般の指揮者とピアニストの違いはあれどその演奏スタイルは瓜二つであり、二人を知る日米のクラシックファンの中で共演を望む声が強く上がっていた。
しかし大振拓人は協奏曲はすでに協奏曲から手を引き始めており、また諸般リストなるふざけた名前を持つピアニストにインチキくさいものを感じ、そんなバカなアメリカンの日本進出など誰か助けてやるものかと思って共演の話を聞くなり即全力で断ってしまった。
だがプロモーターはしつこく食い下がり、猛烈に説得を始めた。まず諸般リストを知る日本のクラシックファンにアメリカの大振拓人と呼ばれていて、大振と同じように激しいパフォーマンスで評判になっている事から話を始め、さらにこの共演は諸般リストの日本進出を、そして大振拓人のアメリカ進出をかけた一大プロジェクトだと明かして彼の興味を惹こうとした。
だが、大振は自分のパチモンには興味を持たず、またヨーロッパ一辺倒でかねてからアメリカをロマンティックのかけらもない土人が住むバカ国家とフォルテシモに軽蔑していたのでこの話に全く興味を示さなかった。
彼はもうソファーで余裕でブリッジできるほどふんぞり返っていつこの場を出て行ってもおかしくない状態だった。
プロモーターはそれでは奥の手と、大振が激怒して出て行かないか冷や冷やしながら、アメリカのスタッフが一足先に諸般リストに共演の話を依頼をした時同じように大振の話をした時の事を話し始めた。その話によると諸般は自分の一族の故国である日本で演奏会をやれる事に非常に喜んだが、ただ共演者の大振については鼻で笑いながらこんな事を言っていたのだ。
「その大振とかいうスティックボーイは僕の演奏について来れるのかい?僕の演奏には偉大なるアメリカの指揮者さえまともについて来れないんだよ。僕は心優しい人間だからその日本のスティックボーイをあんまりいぢめたくないんだけどね。まぁいいさ。僕は指揮者なんかいてもいなくても自分の演奏をするだけだから」
この諸般の自分へのフォルテシモにも程がある侮辱を聞いて大振は怒り狂ってプロモーターにこう叫んだ。
「人を舐め腐りやがって!望むところだ!その諸般リストっていうバカなヤンキーをステージでフォルテシモ中のフォルテシモで叩きのめして、二度と演奏出来ないようにしてやる!」
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