第三話:フォルテシモvsロマンティック

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第三話:フォルテシモvsロマンティック

 記者会見は関係者の必死の仲裁でどうにか乱闘騒ぎにならずに終わったが、主催者はコンサートが中止になるかもしれぬと夜も眠れなかった。  もしコンサートが無事に開催出来たとしても肝心の大振と諸般がこんな状態では最後まで無事に行われるか非常に怪しい。途中で乱闘騒ぎが起こったらもう全てが終わりだと思った。  だが日米のマスコミやクラシックファンは逆にこの状況を面白がっていた。アメリカでは二人のうちのどっちが勝つか賭け事まで行われる事態となった。テレビは毎日大振と諸般を追っかけ回し、あるテレビ局の記者は会場の楽屋にいた大振を捕まえていきなり彼に「負ける事は考えてますか?」と失礼極まりない質問をしたのだが、これを聞いて大振り激怒して「戦う前に負けることを考えてる奴がいるかよ!」と言っていきなり記者をビンタして、そして大声で「出て行け!」と怒鳴りつけて追い出した。  そしてコンサートの日がやって来た。テレビ局の放送権争いはまるでオリンピックを思わせるほど熾烈を極めてその結果世界的なネットの配信サイトが独占生中継を行うことになった。  日米で放送されることが決まり放送権を得た放送局はその宣伝を地上波のテレビやネットで大体的に行ったためそのネットの配信サイトの加入者が急増した。  そうして皆地上波なんかほっぽり出して液晶画面を齧るように、あるものは実際に齧ってコンサートならぬ大振と諸般の対決が始まるのを待っていた。そのネット放送局のカメラが並ぶコンサート会場の武道館には、今このコンサートを間近で体験できる少数の幸福な者たちが続々と入場していた。この全世代、全人種の中から幸運の神によって選ばれた女性たちは、このチケットを巡る壮絶極まる争奪戦をいろんな方法で、時に汚い手を使ってでも勝ち抜いた勝者であった。  その勝者とその他液晶画面に縋り付くしかない敗者の前で今、コンサートの幕が上がった。幕が上がると既にオーケストラを従えた大振が指揮棒を持って立っており、しばらくの沈黙の後に大振は静かに指揮棒を振りこうして本日の演奏プログラム最初のドヴォルザークの『第九交響曲新世界より~第二楽章『家路』の演奏が始まった。大振のフォルテシモな一大アクションを期待した観客はこの圧倒的に普通な指揮ぶりに面を食らったが、音楽に合わせて官能的に身をよじらす大振を見てやはり只者ではないと直感した。  しかしなんとゆったりとした音楽なのだろうか。これが普段聴いているあの家路なのだろうか。あまりにゆったりとしすぎて時間間隔さえ狂いそうなこの音楽はどこか狂気を秘めていた。観客たちはこの異様に静かで緊張に満ちた音楽を指揮する大振を見て何故かボクシングの第一ラウンドを思い出した。これはひょっとして諸般リストに対する様子見を込めた軽いジャブではないか。  それは袖で見ていた諸般リストも感じ取っていた。彼は大振をバカにするつもりで最初だけ演奏を聴くつもりで袖に来たのである。しかし演奏が始まった瞬間、一瞬にして彼は大振が只者でないことに気づき、大振が自分の前で良かったと深く神に感謝した。自分が前でなめた演奏をしたら間違いなく後から大振に食われていただろうからだ。  大振拓人が三十分にもわたる家路の演奏を終えた後、しばらくしてから諸般リストによるフランツ・リストの『ピアノ・ソナタロ短調』の始まったが、ここで諸般はいつものロマンティックな一大アクションを全くやらず逆にグレン・グールドの如き無機質さで演奏を行った。  観客はこの情報とまるで違うピアノの打撃のみによる演奏を見て最初は面食らったがすぐに彼が先程の大振の指揮に影響された事に気づいた。  その通りこれは諸般による大振へのジャブ返しであった。大振もまたステージの袖で諸般の演奏を見てやはり只者ではないことをひしひしと感じ、この男を倒すには120%フォルテシモにならねばならぬと覚悟し、より自らを高めねばと、諸般の演奏を見るのをやめ第二部のラフマニノフのピアノ協奏曲のために全身フォルテシモにならねばと楽屋へ戻ったのだった。やがて演奏を終えた諸般も大振と同じように120%ロマンティックにならねばと第二部開始の時間まで楽屋に籠もって時を待っていた。  場内の観客と液晶画面の外の視聴者は第一部の二人のフォルテシモとロマンティックのジャブの応酬を見て自分が今とんでもない伝説を体験しようとしている事を感じていた。  第一部の緊張感は全て来るべき第二部への準備である。この二人がその持てる技を出し尽くして火花を散らすであろうラフマニノフのピアノ協奏曲第二番はどうなってしまうのか恐ろしくなった。   もしかしたらあまりの凄さに昇天してしまうかもしれない。大振拓人と諸般リストというこの現代のクラシックの神に選ばれた英雄二人は第二部の最初から己が持つフォルテシモとロマンティックを120%冒頭からぶつけてくるに違いない。  そうしたら二人はどうなるのか。もしかしたら二人は自分の持つそれぞれのフォルテシモとロマンティックの重みに耐えられず自壊してしまうかもしれない。しかし会場やネットワークの向こうにいる全世代の全人種の女性たちの心配を無視して残酷に断ち切るように第二部が始まった。  第二部開始のアナウンスとともに両脇からすでに着席しているオーケストラの前まで歩いてきた大振拓人と諸般リストは相対した瞬間いきなり「フォルテシモ!」「ロマンティック!」と全力で喚き出した。  もう二人は120%フォルテシモとロマンティックになってしまったのだ。大振拓人は諸般リストのロマンティックを封じ込めようと「フォルテシモ!フォルテシモ!」と叫んで彼がピアノを弾くのを妨害し、諸般リストはその大振の妨害を突破してピアノに乗ると、ピアノに激しく腰を打ち告げながら彼もまた大振の指揮を妨害しようと聞くに耐えない喘ぎ声とピアノの騒音を鳴らし出した。  二人はそれからずっと飽きもせずっと「フォルテシモ!」「ロマンティック!」と叫んで互いの演奏を妨害していた。オーケストラは完全に呆れ果てて帰り支度を始め、運搬人が高いピアノだからとこのバカ共に壊されてはなるものかとピアノの撤収を始めて、こんな有様にとうとう主催者が匙を投げてコンサートの終了のアナウンスをした時らそれぞれの方法でコンサートを観ていた観客は一斉にまだフォルテシモロマンティックと言い合っている二人を指差して叫んだ。 「お前らちゃんと演奏しろよ!」
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