Storyは進化する(文学年表) 第五部

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Storyは進化する(文学年表) 第五部

-------------------------------------------- ★旧約聖書・デカメロン・千夜一夜物語・源氏物語など、中世以降の名作の模範となった作品の多くは枠物語の形式を取っている。性の描写に比較的寛容なのも共通点のひとつである。 ★年表をご覧になって頂ければ一目瞭然であるが、ここ百年ほどの文学作品の中で、「後世に強い影響を及ぼしている」と言い切れるほどの作品は、1920年代から1930年代にほぼ集中している。これは、第一次世界大戦からの戦争忌避目的や、シュールレアリスムに代表される新しい芸術発表の場を求めて、多くの知識人が、この欧州最大の都パリに集っていたことが原因と思われる。その上で、芸術家同士が主にモダニズムやシュールレアリスムの手法について、互いに影響を与え合ったことも、この時期に創作技法が急激に発展した主要な要因のひとつに挙げられるだろう。1920年代初頭にパリに居を構えていた、もしくは、滞在していたと思われる主な著名人の一覧を下に列挙しておく。 *主なパリ滞在者(1920年代) マルセル・プルースト 『失われた未来を求めて』 アンドレ・ジッド 『贋金つくり』 ノーベル文学賞 ポール・ヴァレリー 詩人、作家、思想家 ジェイムズ・ジョイス 『ユリシーズ』 アイルランド人 サミュエル・ベケット 1928年から二年間パリに滞在。ノーベル文学賞 エズラ・パウンド 詩人、音楽家、批評家 モダニズム運動の中心的存在 トリスタン・ツァラ ダダイズムの創始者 ルーマニア人 アンドレ・ブルトン シュールレアリスム ガートルード・スタイン アメリカの著作家 美術品の収集家 アーネスト・ヘミングウェイ 『老人と海』 ノーベル文学賞 F.S フィッツジェラルド 『グレート・ギャッピー』 シャーウッド・アンダーソン モダニズム 『ワインズバーグ・オハイオ』 アメリカ人 ヴァルター・ベンヤミン ドイツ人思想家、哲学者、翻訳者 セルゲイ・エイゼンシュテイン 映画監督 『戦艦ポチョムキン』 ロシア ハヴロック・エリス 性科学者 性心理学者 イギリス ジョージ・ガーシュウィン 作曲家 アメリカ人 イーゴリ・ストラヴィンスキー 作曲家 『火の鳥』『ペトルーシュカ』『春の祭典』 ロシア ヴァレリー・ラルボー 詩人、小説家、随筆家、翻訳家(ユリシーズ) ブノワ・メシャン 画家、作曲家、難解な英詩の翻訳、ユリシーズの翻訳にも参加 セルゲイ・ディアギレフ ロシアの総合芸術プロデューサー   ★歴史書・風土記・古文書などは、真偽の如何を問わなければ、基本的にはノンフィクションであるため、上記の想像的な小説作品には含んでいないが、歴史的事実は、しばしばその後に生まれてくる作品たちに大きな影響を与えている。特に19世紀から20世紀初頭にかけての名作の中には、ナポレオン戦争・フランス革命・第一次世界大戦などが、背景として必然的に登場することになる。歴史を歪めた革命や大戦は、その時代を生きた人々にとって、必ずしも良い影響を与えなかったと考えられるが、これらの重大事件が文学史に残る偉大な作品たちを生み出してきたのも事実である。小説とは歴史の鏡なのだろうか? ★小説作品に登場する著名人の中では、ナポレオン・ボナパルトが圧倒的に存在感があり、レ・ミゼラブル、巌窟王、戦争と平和に登場している。また、バルザックの多くの作品の背景説明に引用されている。 ★ホルヘ・ボルヘスは自国を象徴する作家を選ぶ場合、どの国も典型的な人物を選び出してはいないように思えると語っている。すなわち、イギリスなら、シェイクスピアであり、ドイツはゲーテ。フランス人の大方の意見はユゴー。スペインは多くの優れた詩人を選ばずに、もっともスペイン人的ではないセルバンテスを選んでいる。まるで、どの国も自分たちの特性における弱点を消し去る作家を好んでいるように思える、と。 ★「数分で語り尽くせる着想を、五百ページに渡って展開するのは、労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。よりましな方法は、それらの書物がすでに存在すると見せかけて、要約や注釈を差しだすことだ」 『伝奇集』 ボルヘス 「小説の原動力は、なんといっても物語性、すなわち、シャハラザードの自由自在の魔力に他ならず、これを心ゆくまで堪能させてくれるのは、長編小説、もっと正確に言い直せば、ロマン、あるいはノヴェルに勝るものはない」 『二十世紀の十大小説』 新潮社 篠田一士  小説におけるもっとも単純な比較点である長短について、真逆の見解が存在する。長編作品の優位性については、あえて語るまでもないが、多数の登場人物についてのくどいとも思える詳細な説明、あるいは作者個人の人生哲学、思想、教訓、思い出話など、一部の読者にとっては、ほとんど不要とも思える部分が存在していると、Storyのバランスを崩すばかりか、一文一文に気持ちを集中させて読み、さらに想像を膨らませようとしている読者の理解の邪魔になる可能性はある。逆に短編集においては、作品間の一つひとつの区切りによって、読者が気持ちを整理(リセット)できる。空いた時間や交通機関において読めるのも長所である。短編作品には、その文章の目的を明確にできるという特徴点があるものの、主役やそれに付随する主要なキャラの性格や特徴の説明に多くの文章を割くことができず、読者の思い入れを引き出しにくい点が難点である。いわゆるオチの部分が弱いと物語全体の説得力を欠くのも弱みといえる。  文章の創作については、その想像の背景(歴史、事件)を基にして、新たに物語を構築したり、ルネサンス以降、話法や技法の大幅な発展があり、革新的な進歩を続けてきた。だが、作家がアイデアの端緒を掴むその瞬間の、空想・想像の在り方については、具体的に語られることは少ない。「ゼロから名作は生まれない」ことはよく語られるし、誰にでも分かりそうだが、原稿用紙数枚単位での論理的な説明では、困難を極めるはずだ。作者が原稿用紙の上にとても大切なそれを書きつけていくとき、その最も重大な過程は、遺憾ながらすでに終わってしまっていて、捉えどころのない空間にまで消え去ってしまっているのである。 ★発想の瞬間について  作者の脳内における新たな物語(Story)の創生について、具体的に言及している作家のひとりに、十九世紀の英国の作家メアリーシェリーが挙げられる。彼女の作品はホラーの古典ともSFの元祖とも分類されている。父は自由主義思想家、母は急進的な女性解放論者で、ふたりともに小説作品をものしていた。  1816年、ジュネーヴ湖畔は、雨ばかりに見舞われる、うっとうしい夏を迎えていた。遊説に訪れた若き詩人たち四名は、幾日も降り続く雨のために、別荘から外へはなかなか出られず、その日常は退屈を極めていた。その腹いせとして、ひとり一つずつ、戯れに怪談ホラーを考えてみようということになったらしい。言い出しっぺのバイロン卿は、少年時代の体験を元に理念や感情を駆使した美しい詩を書こうとしていた。続いて、ポリドリという男は、主人の秘密を鍵穴から覗き見てしまったために、頭部を頭蓋骨にされてしまう女性の、不気味な物語を考案した。彼は後に『吸血鬼』という、さらに恐ろしい物語を出版することになるだろう。ただ、この手練れの二人も、せっかくの草案を散文で長々と紡いでいく作業については、いささか骨が折れたらしく、結局のところ、完成させることはできずに、途中で放り出している。このように、シェリーのライバルたちは、いくつかの奇怪なストーリーを紡いだわけだが、彼女自身には、なかなかそれができず、大きな焦燥感を感じたらしい。「これを読むと鼓動が早くなり、周りを見渡すことも怖くなるほどの作品を考えてやる」彼女はそう念じていた。しかし、その夜の彼女の執念は惜しくも敗れ去った。考えれば考えるほどに、創造力が決定的に欠けていることを思い知らされただけであったと、後に述懐している。 「創作にあたり、無から有が生まれることは通常あり得ない」 「どんな物語も、それに先立つ神話や経験や混沌から発生するものである」  上記のふたつの公理が存在することを、彼女は謙虚に認めざるを得なかった。1816年とは、後に君臨するリアリズム小説たちが、まだ全盛期を迎えていない時期である。後世の作家たちが持ち得るはずの雄大で天才的な発想や手法を彼女は持っていなかったことになる。この時点では、シェリーは読書家ではあったが、創作家ではなかったのである。  四人は創作の試みに飽きたのか、実際に起きたとされる奇妙な出来事を題材にした長時間の談義に戯れるようになった。彼女はその夜、あまりしゃべらず、ほとんど聞き手にまわっていた。シェリーは確かに怪談勝負の場では、自身の思い付きを発表することはできなかったが、その直後、諦めて寝室へ戻ったとき、数々の体験が引き金になり、科学者による新たな生命の誕生という、想像の瞬間を悪夢に見ることになる。それは、青白い顔をした研究者が人であって人でないもの、つまり、人造人間を創り出す夢であった。 「想像力が命じてもいないのに私の脳に憑りつき、思考の舵を奪い、様々な発想を与えてくれるようになった」  もちろん、このひと夏の経験だけが、彼女の創造力の源ではない。シェリーは若い頃からドイツ作家により書かれたホラー小説を興味を持って読んでいた。あの豪雨の夜の体験がないにしても、ホラーへの憧れがその下地があったことは明白なのである。そういった土台に加え、出産による実母の死、自らの妊娠とその子の突然の死。そうした恐怖と失望の経験が、彼女の脳内で無意識のうちに組み合わさって、連想を繰り返し、身の毛もよだつような、ある種具体的で、独自性のある怪物の夢を見せたのだろう。文学における創作とは、決して偶然により行われるのではなく、読書経験と人生体験と、ある時期に起こされた特異な発作が生み出す、連想が織りなしていく、クリエイター特有の能力のことである。  彼女よりも100年以上後に生まれる、アメリカSF小説の大家、アイザック・アシモフは、彼女が創り出した怪物への恐怖を「フランケンシュタイン・コンプレックス」と名付けた。 ★外国文学解説書の紹介    最後にこれから外国文学に取り組まれる方のために、読みやすいものを選んで解説書を紹介します。なるべく、短時間で読めて、多くの知識が得られる作品を選びました。今後も増やしていく予定です。 ※『名作はなぜ生まれたか』 木原 武一 同文書院(アテナ選書) のちPHP文庫  欧米の文豪二十名の生涯を、その作品の特徴と共に紹介していく。ゲーテとミッチェルとジョイスという完全な別ジャンルを、一緒くたに語れる文学本はきわめて珍しい。最近の日本文学には詳しくとも、バルザックやドストエフスキーといった文士の名にピンとこない方は、まず、この本から読み始めるのが良いかもしれない。作者は小説家という人種を知識人という言葉でなく、ちょっと変わった面白い人たちというふうに紹介したいようだ。そこに異存はない。 ※『要約世界文学全集』 木原 武一 新潮文庫  ホメーロスから、ゲーテ、トルストイ、カフカを経て、フォークナーやナボコフまで、50名以上の作家の代表作64作品をあらすじの体(てい)で紹介していく。ゲーテ、バルザック、トルストイ、ドストエフスキーは二作品ずつ紹介されている。世界文学をの背骨となっている作家は、ほぼ網羅されているため、それを学ぶ上では、きわめて強力なガイドブックになってくれるだろう。(個人的には、G・マルケスや、J・ジョイスが除外されているのは、大変残念ではあるが)。各作品における著者の解説の文章量は少ないが、適切である。「あらすじだけを読まされても、内容理解には届かないのでは」との批判もごもっともだが、どんなに偉大な著書にあっても不要な部分は必ず存在する。詳細でなく、作者の意図、その要所だけを捉えていくことも重要である。ひと作品15分程度で読めるので、電車での通勤途中や眠れぬ夜のひと時に開けば、お役に立つに違いない。 ※『プルーストを読む』 鈴木道彦 集英社新書  たとえ、どんなに優しい言葉で諭されても、プルーストは簡単に読める作家ではない。言わせて頂ければ、冒頭の数ページからすでに苦痛だ。しかし、恋愛や芸術観や時制に対する精密描写は、自身の文学論を掘り下げる上で、避けては通れない関門のひとつである。これをいちから読み解くためには、どうしても解説書がいる。筆者は翻訳本も存在しない学生時代にどのようにプルーストの本に出会い、憧れ、苦闘して、全訳に至ったのか、そもそもの経緯から説き起こしている。この長大な作品を完読するためには、掲げられたテーマと時代背景と実在の人物・事件を、特徴として正確に捉えることが重要である。この本は薄い新書であるが、作者の丁寧な解説により、作品への興味がいやますかもしれないし、手っ取り早く諦めるきっかけになるかもしれない。どちらにせよ、単行本で十数冊にも及ぶあの長大な作品を、万札はたいて購入してしまう前に、この一冊を読んでおくことは、決して悪いことではないと思う。 ※『世界の十大小説』 サマセット・モーム  当初は作者がアメリカの『レッドブック』という雑誌の編集者から、すべての世界文学の中から、十の作品を選んで、その紹介文を書いてほしいとせがまれたことによる。当時の主要作品は欧州に集中していた。しかも、読書という趣味は、どうしたって自国の作家を贔屓せざるを得ない、と難色を示しながらも立派に書き上げている。英、仏、米、露の作品からバランスよく選ばれていて、ラインナップには特に依存はない。序文には、「優れた作品とはどういったものか」という定義も示されていて、これから文学の道を進もうとする若者の意欲をそそるかもしれない。作者は自分が読んだ最高の作品は『失われた時を求めて』、自分が読んだもっとも恐ろしい作品は『城(カフカ)』と挙げているが、この両者は選んでおらず、選ばれた十の作品は、すべて19世紀以前の作品である。そのことについての説明は文中に見られなかったように思う。 ※『世界の名作を読む』 工藤康子、池内紀、柴田元幸、沼野充善共著 角川文庫  一名から二作品を紹介する部分もあるが、十六名に及ぶ作家の作品のあらすじと技法を紹介している。2016年に発売された、比較的新しい海外文学の紹介本であり、高校の教科書のようなありきたりの解説はほとんどない。グリム兄弟やチェーホフの短編作品など、比較的捉えやすい作品もあるが、内容理解を深めるには相当な文学への興味が必要かもしれない。メルヴェルからは白鯨でなく『書写人バートルビー』、カフカからは審判や城でなく『断食芸人』、フローベールからは『純な心』を紹介、それぞれの文豪のメイン作品以外にもスポットをあてている点で、それぞれの文学者さんのこだわりが伺える。『罪と罰』における幻想とリアリズムの技法、ヴェルヌの作品にみられるプロットの工夫や誇張の技法などを分かりやすく説明している。これから文学作品に取り組みたいと思っている方にもおすすめである。ただ、工藤氏と沼野氏の講義については、やや難解であり、それ相応の予備知識が求められる。 ※『二十世紀の十大小説』 篠田一士 新潮文庫  十九世紀以前の作品から選ばれた、サムセット・モームの『世界の十大小説』を参考にする形で、筆者が二十世紀において、大きな足跡を残した十の作品を紹介する。プルーストの『失われた時を求めて』をもっとも重要な作品として冒頭で取り上げている。作家やストーリーライターを目指す者にとって、読書難度の高い作品はその基幹であり、避けて通れない部分もある。カフカやジョイスといったその道の教授でも解説の難しい作家を柔らかい口調で丁寧に紹介してくれている。ただ、完読するにあたっては、最低限の文学者、文法や用法の知識は当然求められる。『USA』や『特性のない人』など、現在では手に入りにくい作品の詳細な解説が掲載されている。これらの逸品に興味を抱いている人にとっては、得難い情報のはずだ。日本人作家として、唯一、島崎藤村氏が選ばれている。
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