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ひたすら歩き続けた街の中で、僕は迷子になった。
泣き出しそうにグズつく空が僕のように思えて逃げ出すように歩いた先にあったのは、ひどく怪しげな杜。
「森」と呼ぶには物足りない、その上、少しだけ禍々しさを帯びた木々は僕を手招きしているように揺れていた。ちゃんと脳みそでは理解している。
──入ってはいけない。
しかし、僕の足は驚くほど軽やかに吸い込まれるような引力で歩みを進めた。道なき道のはずなのに、僕は迷わず足を動かす。些細な枝が服に絡み、木の葉が髪に挟まっても体が言う事を聞かないのだ。
ポツリ……。
ほら言わんこっちゃ無い。
空から溢れた雨垂れは、僕の耳を掠る。
一滴、また一滴……と数える間もなく泣き出した空を忌々しく睨んだ僕は、自分が濡れる事よりもベースが心配になって辺りを見渡す。
ふと視界に小さな社が映った。
壊れかけの赤い鳥居をくぐり、苔の絨毯が敷かれた石畳を歩き、木製の所々が腐食して穴だらけの社に身を隠す。
きっとこの強さなら通り雨だ。少し気味悪いが、背は腹に変えられない。僕は恐ろしさを紛らわすように楽器ケースを再び開けて、雨粒が入り込んで無いが丹念に確認する。
「よく来た、少年」
鈴の音の様に美しい声が、ハッキリと後ろから聞こえた。
「ぬあぁ?!」
僕は慌てて振り返って、言葉を無くす。漫画やアニメでしか見たことのない獣耳の異形に驚いた僕は、ほぼ反射的に脳内の言葉を吐く。
「少年よ、その弦は我の為のものか?」
僕より少し背の低い、少女のような容姿のソレは白い小袖に緋色の袴が美しい巫女装束を纏い、スッと細く白い人差し指を伸ばして僕のベースを指し示していた。
「ち、違う……けど……」
意味もわからずしどろもどろで答える僕に、ソレは不機嫌さを隠す事なく露骨に溜息をつく。
腰ぐらいまである白く長い髪が、雨風に舞う。それに呼応するように頭に付いたふわふわとした獣の耳がピクリと動き、同じくふわふわの尻尾が静かに揺れる。ぱっちりと開いた瞳はキラキラと宝石の様な金色を呈し、目尻に薄らと紅を差している。
僕は見惚れた。
何者かも分からないソレを見つめている間は、まるで時間が止まったようにすら思える。
「君は……君は何者、なの……?」
一瞬にして声の出し方を忘れてしまったように喉が締め付けられた僕は、やっとの思いでソレに尋ねた。
「我か?……我はこの社の主、狐神だ」
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