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白に案内されたのは、社の中だった。
以前来た時と何ら変わらない異様な光景に少し眩暈がするが、ふと僕の視界の端にあるものが映り込み、僕は「えっ……」と声を漏らして驚く。
枯れ木だと思っていたその枝が、乱雑に引き裂かれた御札と鎖の間から微かに桃色の花を覗かせているのだ。
「我が禁忌の詔を記したこの呪符を剥がせるのはこれが限界であったが、螢なら難なく外せると思ってな」
「えっ……コレ、本当に外れるの?」
「あぁ、人の子が触れば外れるように出来ておる」
「はぁ……」
──頑丈な鎖を僕の素手で壊すなんて無茶、僕にできるはずが無い。
仕方なく彼女に言われるがまま半信半疑で鎖にそっと触れると、一瞬指先に僅かな電気が走るような痛みを感じて、僕は「痛っ」と咄嗟に目を瞑る。
その言葉に呼応するように爆ぜた光は枝を包み込んで眩しく輝くと、跡形もなく鎖が解け消えて満開の花弁を手招きするように梢を揺らした。
「ほら外れた……どうじゃ、美麗だろう?」
白はさっきと同じように僕に問いかけるも、僕はさっきよりも距離が近くなった彼女に心を囚われた。
「うん……」
──でも、白の方がよっぽど美麗だ。
臭い台詞しか思い浮かばない僕は、自分でも分かるぐらい顔や体が熱い。その全部が恥ずかしくなって堪らず顔を伏せると、僕の頬にひんやりとした何かが触れた。
「ふふっ……重症だな……螢にかけた呪いは、我が解いてやらねば」
「……呪い?」
「あぁ……純粋な少年を惑わした邪神を許せ」
目を細めて笑った彼女は、僕の頬に掛けた指を顎まで滑らせ、そっと僕の顔を持ち上げて唇を重ねる。
深くしっとりとした感触が柔らかな熱を帯びて唇を伝わり、彼女の香りが頭を満たす。
どれだけの時間が経ったのが、はたまた脳内が惚けて長く感じているだけなのか……白がゆっくりと顔を離すと、可憐な唇の紅が少し乱れている。
「……我はこの封印が解ければ、2度と螢とまぐわえないだろう。──だから、我に縛り付ける呪いを特別に解いてやる」
ビックリするぐらい不恰好に笑顔を作った白は耳を水平に下げて笑うと、僕の頭を撫でた。
その言葉と表情で全てを悟った僕は、縋り付くように白を引き寄せると、子供のみたいに涙を流して抱き締める。
「嫌だっ……これが呪いなら……いっそ解かないでっ」
「螢……」
困った声色の彼女は優しく僕を抱き返すと、「皮肉なものだ」と子供に言い聞かせるようにポツリと話し出す。
「全てを憎んだ我が、まさか封印が解けて欲しくないと思う日が来るとはな……なぁ、螢よ」
「……何?」
「これから先、螢の人生に我の次ぐらいに美麗な婦人が現れるだろう」
「……」
「その時に躊躇うなよ?……我のことは気にするな」
冗談ぽい口調で囁く白は、もう一度僕の顔を検めるように少し冷たいその手で僕の両頬を挟んだ。
「我は、螢の心の片隅に居れればそれで良い……螢は優しくて立派な青年だ──我は、螢を好いておるぞ……」
彼女は笑った。
とても切なく。
そして優美に。
「僕も……白の事が……好き」
滲む視界の中で額を寄せ合った僕らは、何度もその言葉を飲み込むように繰り返した。
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