第5話 微笑みの国の誘惑 (1/3)

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第5話 微笑みの国の誘惑 (1/3)

 今の時代、どこの空港に降りたって、十中八九、どの国だかわかりゃしない。  銀色に光った近代的で無機質な建物の中には、高級ブランドの免税店とファストフードチェーン店。店員も多国籍だし必ず英語が通じる。漂うのは世界的な消費財メーカーの洗剤とシアトル系カフェのエスプレッソの香り。規格化された清潔なイケメンみたいなもんだ。悪くはないんだけど、そればかり続くと飽きる。  こんな時代だからこそ、逆に、ちゃんと特徴のある国に来ると胸がときめく。  だから俺はタイが好きだ。  飛行機を降りた瞬間、むわっとした熱気が俺の全身を包む。空港のビルディングに入った瞬間に、ほんのりと漂うナンプラーの香り。 (はあ……。タイの食い物は最高だよなあ……、ビールも美味いし)  ただひとつ。俺がこの国で不満なのは、魅力的なタチのゲイが少ないことだ!!!!  タイの人は骨格が日本人より華奢だし、言葉も語尾が「ニャー」「ミャー」みたいに聞こえるからか、なんとも優しげだ。仕草もなよやか。石を投げたらネコのゲイに当たるんじゃないかって思うくらい、ゲイっぽい男が多い。うーん……。ゲイフレンドリーなのはありがたいが、俺が求めてるのはそっちじゃないんだよ……。  現地駐在員からは「密島(みつしま)君。ゴーゴーバー行こうか?」などと余計なお世話を焼かれそうになった。どうせお前ら出張者にかこつけて、自分が行きたいだけだろ。内心呆れながらも、俺は爽やかに断った。 「学生時代の友人がこっちにいるんで。久し振りに飲もうって約束してるんです。すみません」  両手を合わせた姿は、まるでタイの挨拶みたいだな。仕事が終わったら、引き留める隙を与えずオフィスを立ち去るのがポイントだ。  素敵な出会いがないなら、せめて肉体美だけでも鑑賞したい。俺はムエタイを観に行くことにした。タクシーを捕まえると、運転手がタイ訛りの片言の英語で一生懸命営業してくる。 「お客さん、一人? 女の子紹介しようか?」  俺が窓の外を眺めてツンと無視していると、合点が行ったような顔をして、声を低めて囁いてくる。 「ああ……、男の子も紹介できるよ。どんなタイプが良いの? 若くて可愛い子、いっぱいいるよ」 「ノーサンキュー」  間髪入れず断ると、運転手は悪びれずに小さく肩を竦めた。会場に着いたら多めにチップを握らせる。紹介を頼まなかったせいで稼ぎそびれた彼に、せめてもの詫びの気持ちだ。  スタジアムは異様な熱気に包まれていた。噂には聞いていたが、試合は単なる勝ち負けではなく、賭けの対象になっているからか、観客は目を血走らせ、ギラギラした顔つきの男が多い。俺は深く考えず、一番値段の高いリングサイド席のチケットを買ったけど、周りは外国人観光客が目立つ。対照的に、安い桟敷席は、身なりも少し崩れた殺気立った現地人ばかりだ。  何とも言えない、東南アジアの市場みたいな独特の臭気が籠っているが、野生味溢れるレスラーを観るには悪くない舞台立てじゃないか。  試合が始まった。  第一ラウンドは、競馬で言うとパドック(下見所)みたいなものらしく、レスラーは間合いを確認しているようだ。第一試合だから前座のはずだけど、さすがの肉体美だ。背筋やべえな……。キックの音が、重くて鈍い。これは受ける方も鍛えてないと大怪我しそうだ。劣勢の選手の顔や身体が真っ赤になっている。かっこいいけど、痛そうだな……。リングから目を逸らし、売り子にビールを頼んだ瞬間、俺と同じように試合に集中していない隣の席の人と目が合った。真っ直ぐに切り揃えられた前髪の下でくりっとした目の可愛い男の子だった。 「お兄さん外国人? ムエタイって、見てるだけで痛そうだよね」  光沢感のあるシャツ、優しげな口調と仕草、明らかにバリネコだ。現地人で、年は二十歳くらいだろう。 「うん、痛そう。ちょっと、俺の好みじゃないかも」  素直に俺も苦笑した。普段ならネコは相手しないのだが、その子の笑顔が、初恋の子にちょっと似てたんだ。  ビールが届いた。俺はコップを指差し、 「飲む?」  と聞いた。自分一人飲むのはちょっと悪いなと思ったから。すると彼は軽く目を丸くして、(まなじり)を薄っすら染めて頷いた。……えっ何これ可愛い。俺は秒の速さで追加のビールを頼む。 「急いでね」  売り子にチップを握らせることも忘れない。 「お兄さん、どこから来たの?」 「日本だよ。君は地元の子?」  彼はこくりと頷く。 「今日は、お父さんが外国人のお客さんを連れてくる予定だったんだ。でも予定が変わっちゃって。チケット勿体ないから、一度観てみれば? って言われて来てみたんだけど」  改めて観察してみると、身に付けているものも上品だ。……もしかして、財閥の御曹司だったりして。俺は一気にビールを喉に流し込む。小さく口元で笑って、素早く席を立つ。面倒に巻き込まれるのはごめんだ。 「せっかくだから、残りの試合も楽しんでね。じゃ」  すると、彼は慌てて立ち上がった。 「ねえ。この後、予定あるの?」 「いや……、特にないけど」  不意打ちに、つい本音が溢れた。 「じゃあ、飲みに行かない? 地元の良いお店に連れて行ってあげる」  彼は無邪気そうにニコニコしている。ぱっと見は御曹司だけど、この手慣れた誘い方。まさか高級売り専ボーイとかじゃないよな……? 躊躇すると、彼は一瞬傷付いたような表情を浮かべた。彼を疑った自分を恥じた。 「いいよ。連れてって」  俺がOKした途端に、曇り空が一気に青空になるような笑顔に変わる。 (……あ。ヤバい。俺、この子のこと、好きになっちゃうかも)
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