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第18話 賽は投げられた (1/2)
稔と俺は、唇を互いの唾液で濡らし、興奮で呼吸を荒げ、膨らんだ下半身で身を寄せ合っていた。だが、ぎゅっと目に力が入ったと思ったら、彼は俺の上から退いて背中を向けた。肩が大きく波打っている。
「……っ」
稔は、声を殺して男泣きしていた。
「…………稔」
さんざん躊躇った挙句、俺の口から発せられた言葉はそれだけだった。他に言うべき言葉は死ぬほど沢山ある気もしたし、言葉なんかじゃ語り尽くせない気もした。
俺は途方に暮れながら、彼の震える肩と、肩越しの壁に掛けてあるコルクボードをぼんやりと眺めた。そこには、導入研修の時の同期社員の集合写真やら、社員旅行、ソフトボール大会やバーベキューパーティなど、彼と俺が共に過ごしてきた濃密な日々がある。今更ながら、同期の集まりを写した殆どのカットで稔だけでなく俺も写っていることに気づいた。背の低い俺はだいたい前列。背の高い彼は俺の後ろで屈託ない笑顔を見せている。
「これまで俺は、どれだけ無神経なことをお前にしてきたんだろう。猛烈に自分を殴りたいよ」
「……止せよ。自慢の顔に傷がつくだろ」
真摯に反省の弁を述べたつもりだったが、彼は冗談だと思ったようだ。肩はまだ震えているが、声に笑いが混じっている。
「いつからだ?」
「……いつからって、何が」
俺の質問に対してぶっきらぼうに稔が返してくる。
「ずっと好きだったって言ってたろ」
「ああ。……お前にゲイだって打ち明けられた時からかなあ」
「……マジかよ! それ、会社入って割とすぐじゃなかったか?」
「まぁ、そうかも」
あまりに長い彼の片想いに俺の声が大きくなると、稔は余計不貞腐れる。
「なんで言わなかったんだよ、もっと早く」
「……よく言うよ。『別れた、フラれた』って泣くから気の毒だなあと思って慰めてやって、次会ったら告白しようと思ったら、その時は例外なくお前には新しい男がいたぞ」
「良い男に恋人がいるのは当たり前だろ!? 略奪してやろうとか、思わないのかよ」
「……俺は、彼氏がいるのに他の男に靡くような奴は嫌いだ。だから、彼氏がいる由貴を口説きたくないし、寝たくない」
そうだ、こいつはこういう奴だった。
良く言えば義理堅くて操が固い。悪く言えば融通が利かない。でも、そういう頑固さが、稔の美点なのだ。
「今日はもう帰ってくれ」
そこまで言われてしまった俺に何ができるだろう。俺はすごすごと自分のシャツを拾い上げる。その頃には性的な興奮もすっかり収まっていた。バツが悪くて、口調はなぜかぶっきらぼうになる。「分かった」と一言だけ残して彼の部屋を後にした。
彼からSNSのメッセージが入っていたことに気づいたのは、帰宅してからだった。送信時間は意思の固さを表すかのように、彼の家を辞した直後だった。
『俺はもう賽を投げた。次に会う時は、俺を選ぶか振るか、決めてからにしてくれ。その答えが出るまでは、お前と会わない』
彼はもう、ルビコン川を渡ってしまった。
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