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第17話 終わりの始まり (3/3)
稔は震えていた。身体も、俺の顔に触れる指先も、唇も。
「由貴……」
掠れた声は、溢れ出る熱情を抑え込もうとするかのようだ。目には狂気めいた光すらある。俺の頬に触れる指先は、思いのほか手入れが行き届いていて滑らかだった。美術品の蒐集家が、やっと手に入れた宝物に触れるようにおずおずと、しかし興奮を隠し切れない思わせぶりな動きは官能的で、背筋がぞくっとする。
彼氏がいるのに他の男とキスするなんてダメだ、ジフンに申し訳ない。幾らビッチだって、ステディな恋人に対する貞節はある。
……いや。以前の俺なら、目の前の男とヤりたいかどうかしか考えていなかった。躊躇するようになったのは、ジフンが俺を大切な恋人として扱ってくれ、安定的な恋愛関係の素晴らしさを教えてくれたからだ。だからこそジフンを裏切りたくない。
俺の理性は稔に触れさせることに抵抗して、警鐘を鳴らす。身体を硬くし、稔との間に手を入れて抱き寄せられることを拒む。
こいつは温厚で人畜無害なんてもんじゃねえ。
比べるのが失礼なのは百も承知だが、稔はジフンとは真逆のタイプだ。この瞬間に悟った。
ジフンは、仕事でもベッドでも顔が変わらない。理性的かつ情熱的で、自分をスマートにアピールしながらも、相手を満足させることに集中する。いやらしいことはするが紳士だ。こっちが驚くようなことはしない。
稔は、表向き理性で抑え込んではいるが、一歩間違えたら狂犬のように俺に執着しかねない。そういう危うさがある。
「稔……。俺、今、彼氏いる。それに、なんで急にそんなこと言うんだ。今まで一度だって、好きとか言ったことなかったのに。俺が引き留めたから、情が移った?」
「違う!! これまではタイミングがなかっただけだ。お前が取っ替え引っ替え、他の男とよろしくやってるのを指を咥えて見てるしかなかった、俺の気持ちが分かるか?」
俺の言葉は火に油を注ぐだけだった。稔はますます躍起になり、俺のTシャツの中に手を入れて来る。混乱する俺をよそに、彼は俺の薄い胸を撫で回している。
「お前、ヘテロじゃないの?」
「うるせえ。そんなの知るか。俺に犯されたくないなら、二度と無防備に下着姿なんか見せるな」
乳首を少し強めに摘まれ、思わず声が出る。
「い、やっ、ぁっ……」
苦痛に薄っすら混じる快感で顔を歪めると、甘やかすように唇に唇が付けられた。唇を吸われ、舌で上顎の裏を愛撫される。なんでこいつは、俺好みのキスを熟知してるんだ。お前とはそういう関係じゃなかったろ。だが気が付けば、無我夢中になって彼の首に手を回し、俺からも貪るようにキスを返していた。Tシャツの上から乳首を爪で引っ掛かれ、気持ち良いのにもどかしい。俺は発情期のネコかというくらい身体をくねらせた。
互いに興奮していることには気づいていた。それくらい身を寄せ合っていたし、彼の分身は、かなりの質量で存在を主張していたから。
これまでの俺なら。
否応なしに彼のものをしゃぶり、自分のコケティッシュな姿態を見せつけ、半ばこちらから奪うように彼と抱き合っていただろう。
だが、俺の身体は急にギクシャクとして、自由に動かなくなった。俺は彼氏に対する裏切りにも抵抗を感じているし、稔を行きずりの都合のいい男みたいに扱って、成り行きセックスなんてすべきじゃないと感じている。
稔は大切な友達だ。寝たら友情を壊してしまいそうで怖かった。
稔は稔で、顔を歪めて泣きそうな表情を浮かべている。
俺たちは下半身を欲情で膨らませつつ、とてもセックスする前の二人とは思えない困惑した表情で向かい合っていた。
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