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第1話 成田離婚じゃなくて、羽田破局
金曜の夜、二十一時。羽田空港国際線ターミナル。周りの人が喋ってる言葉が全部聞き取れる感覚に懐かしさすらある。Ⅿ&Aを仕事にしていて年中世界を飛び回っている俺だが、やはり日本に到着すると肩の力が抜ける。時差ボケがきついヨーロッパからの帰国便を降り立ち、疲れてはいたが、仕事が上首尾に進んで気分はハイだ。
……まさか、その一時間後に失恋の憂き目に遭うなんて、その瞬間は思ってもみなかった。
『ただいま! 今、羽田着いたとこ。週末は予定入ってないから久しぶりにゆっくり一緒に過ごせそう。今から行ってもいい?』
鼻歌交じりに恋人へのメッセージをスマホに打ち込むと、すぐにメッセージには既読が付く。預け荷物すらない身軽な俺は颯爽と税関を通り抜け、意気揚々と恋人の家に向かう。品川駅でJRに乗り換えようと歩き出した時、ポケットの中でスマホが震える。恋人からの歓喜・歓待のメッセージを期待して開いた俺は、一瞬の後に困惑する。
『前回会ったの、三か月前じゃなかったっけ? もうお前とのことはとっくに終わったと思ってるよ。今更来られても困る』
彼の返信は、全く素っ気なかった。
『え、ゆっくり会ったのは三か月前が最後かもだけど、こないだ食事はしただろ?』
『食事だけしたのも、一か月半前じゃん。それに、あの時、俺言ったよね? 次に会える約束できないなら、もう終わりにしようって。お前、予定確認してすぐ連絡するって言ったきり、放置じゃん』
『ごめん! 連絡するつもりだったんだけど、あの後すぐに新しいディールに巻き込まれてバルセロナと行ったり来たりになっちゃって。それがひと段落したから、お詫びがてらと言ってはなんだけど』
弁解と謝罪の言葉を必死に打ち込む。
『お前にとっては、一か月半放置していい程度の仲だったんだろ? 今更お詫びとかやめろよ。もう来ないでくれ』
どうも雲行きが怪しい。取り付く島もない彼に、俺は冷や汗をかきながら次々にメッセージを送る。
『今から行くから。話だけでも聞いてくれよ』
『来られても困る』
埒が明かない。嫌な予感がしないでもなかったが、俺はその可能性からは目を逸らす。乗り換えはやめだ。少しでも急ごう。俺は疲れた体を引きずって駅を出、タクシーを拾う。彼の部屋のチャイムを押すと、インターフォン越しに重たい沈黙が帰って来た。僅かに後ろでテレビの音が聞こえる。あんまりテレビ付けたがらない奴なのに、週末の夜にやっぱり一人で寂しかったのかな? それとも……
俺の思考を遮るように目の前のドアが開き、硬い表情の彼が出てきた。まだ部屋着にはなっていなかった。こんな時間なのに珍しいな。コンビニにでも行こうとしてるのか?
「……由貴。いきなり家に押しかけて来るとか困るよ。帰ってくれ」
眉をひそめ溜め息をつき、顎を引いて俺を見上げるようにしながら、彼はひどく迷惑そうだった。恋人に対して怒っているというより、他人のような、よそよそしさを感じる。その冷たさに少し意気消沈して目線を下げた時。明らかに彼のよりも小さな見慣れない靴が存在を主張していた。俺の見開いた目に気づいたのだろう、彼は、苦々しげに言い放った。
「恋人が来てるんだ。これまでのことを悪かったと思うなら、この場でゴネたりしないで黙って帰って欲しい」
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