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「……え?」
鍋を食べ終えて、シメの雑炊を彼が作ってくれるって言うから、任せたのがバカだった。鍋は綺麗に白と黄色がふつふつと映えている。
「食べないの?」
「…ごめん食べれない。だってこれ、卵入ってる」
「え……、あ、そっか、ダメなんだっけ」
さすがに自分のヤラカシの重みに気づいたのか、珍しく焦った表情を見せた。今までは何の悪びれもなく過ごしていたのに、今日に限って"まずい"と言うそのカオが癪に触る。
この人は本当に、私のことを何だと思っているのだろう。
気づけば私は、おたまを持っている彼の頬を思い切り平手打ちしていた。
「…タマ、」
「そんな名前で呼ばないで」
「…え」
「卵アレルギーって何回言ったらわかるの?間違って食べたら、死ぬかもしれないんだよ。なんでもっと気遣ってくれないの」
「ご、め…」
「だいたいタマって何?卵アレルギーってわかってて、皮肉?もう三つ編みでもメガネでもないんだからいい加減本名で呼んでよ」
目を丸くして、たまに謝罪の言葉を呟いて、私を呆然と見上げる黄海くんに、今まで溜まっていた鬱憤が弾ける。ムカつくなんて域を通り越して、もっと絶望に似た感情が涙に変わって溢れ出す。
私は彼と一緒にいたらいつか殺されるかもしれない。そんな危うさが彼と私を引き裂こうと喚く。
「ほら、呼んでよ。どうせわかんないんでしょ、私の本名なんて」
「……」
「…っ黄海くん!」
ああ、まずい。本当に終わってしまう。だから早く答えて。佳奈子って呼んで。"ごめんね"って言ってくれればまだ間に合うから。
「…ごめん」
「……」
「名前、わからない」
聞こえた低く掠れた声は、あまりにも残酷に冷酷に、鼓膜に届いた。悔しさに噛み締めた唇が痛い。私はこんなにも愛されていなかったのか。
「…死ね」
絞り出した声を聞いて、私は逃げるようにアパートを出た。春とはいえ肌寒い4月の夜は、あの温もりなしに歩くには寂しさが際立つ。
生きづらい。君のいた時間も生きづらかった。でも君がいた時間に慣れてしまった今、一人でさえ生きづらい。生きづらい。
一体、この一年は何だったのだろう。
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