藍色の、彼は。

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町田さんとの出会いは、彼が開いたアート作品の展示会に行ったことからだ。 新卒で入社した広告代理店での仕事や環境の変化により、とても疲弊していた時期で、日頃から癒されたいと思っていた。 ふらっと一人で街をうろついていた時に見つけた、その看板につい目を引かれてしまった。 言葉もなく、藍色一色に白い線画で細かく描かれたホロスコープの図だけがドンと載った、看板だった。店の中を覗くまで、いまいち何の店だか分からなかった。 「こんにちはー」と淡白な挨拶で出迎えてくれた彼は、白いシャツにゆらゆらした柔らかそうなロングカーディガンを羽織っている。カーディガンも、藍色だった。わざわざ、展示会のイメージに合わせてきたのかもしれない。 パーマをかけた明るい色の量の多い髪で、少しでも下を向くと両目が髪でふさがってしまう。 そのあとは展示を観て400円の星座ステッカーだけ、買ってあげることにした。私は、魚座なので魚座のステッカーを選んだ。 買ってあげる、と気をつかって買う感じは否めなかったが展示自体は、素敵だなと本当に思ったので後悔はしなかった。 藍色のキャンバスに、白色の細かい点描で描かれる星、天の川。白いキャンバスに、ジェッソのようなものを厚塗りして描かれた月の表面など、夜空や宇宙をテーマにした作品が沢山、飾ってあった。 「魚座なんですか?」と、町田さんが会計の時に聞いてくれた。 「あ、はい」 「へぇ。星座、好きですか?」 「いや、特に詳しいわけじゃないんですけど。綺麗だとは思います」 「おお、そうですか。よかったら、フォローしてください」 町田さんはそう言って、買ったステッカーとともに名刺まで渡してくれた。町田一樹という名前とSNSのURLがいくつか書いてある。そんな名刺も、藍色の背景だ。 「ありがとう御座います」と言って、店を出た。淡白な会話だったが、印象に残る人だなと思った。シンプルな服装なのに、華がある人だとも思った。 その後、名刺にあるSNSの投稿に「展示会来ました。良かったです」と残して、ちゃっかりフォローまでした。 フォローは返ってきたが、フォロワーほぼ全員にフォローし返しているようだった。 その後、彼へのときめきかもしれないような感情は薄れ、自然と彼氏が出来た。 友達関係からゆっくり、と私は思っていたが、思いの外、彼の進むスピードは速かった。 スピードと性格が合わず、こちらの精神が完全に疲弊してしまい、別れた。 また、癒されたいと強く思うようになった。年に数回、ひどく疲弊する出来事が起き、その度に癒しを求めて「何でも、良いから」と人生を彷徨ってしまう事があった。 彼氏と別れてから数ヶ月が経ち、町田さんのSNSの投稿で、また同じギャラリーで展示会があると知った。とりあえず、これに行ってみるかと思い立った。 朱色の背景に、藍色の砂が溜まった砂時計が繊細なタッチで、写実的にドンと大胆に描かれた絵、コメントには展示会の日付と場所だけが記載されていた。タイトルくらい、付ければ良いのにと思ったが彼なりの戦略なのだろう。 癒されそうだ、と思った。色とりどりの花を見たい気分ではない。彼の作品が、今の自分自身の心象風景と合致しているのではと感じる。それが、錯覚だとしてもその錯覚こそが彼の売りたいものなのではないかと考えると遠慮しなくて良いさと吹っ切れて、観に行こうと決心した。 町田さんの展示会を、観に行く日の朝、起きると清々しく晴れた日だった。天気予報でも、夕方までは晴れると言っていた。 商店街を抜けて大通りを左に曲がると、あの砂時計の絵のポスターが、白い壁に張ってあるのが見えた。 店の中に入ると、絵を眺めている一人の男性客と町田さんと話している女性客一人の先客がいた。 ドアをくぐったところで町田さんと目が合い、ペコッと頭だけでお辞儀をされ喋っている女性との会話に戻られた。 それで、私も男性客に続いて作品を眺めることにした。砂時計のポスターだったので、今回は砂時計ばかりの展示会かと思ったが、そうではなく、砂、ばかりだった。 白いキャンバスや紙に、ペンで無数の点が描かれている作品がほとんど。何色かのインクを滲ませた背景に、無数の白い点描をして作ったのだろう大物が一点。出口付近の目立つ柱のところに、あの砂時計の絵は飾ってあった。 一通り観て、もう出ようかなと思うも町田さんのことが気になってしまい、またステッカーでも買うことにした。今回は、十二星座ではなく砂時計のステッカーが売ってあった。十二星座のステッカーの売れ残りが、射手座と双子座が一点ずつ半額で置いてある。 町田さんはその日、紅い色のロングカーディガンを来ていた。インナーには黒のボタン付きのシャツを着て、変わった柄のボトムスを履いていた。髪色も黒くなっていて、前はパーマだったのにストレートヘアに変わっている。 しかし、やっぱり少しでも下を向くと両目が隠れてしまう。 女性と話しているのも相まって、以前より少し軽薄にも見え、そして以前にも増して、華やかな人に見えた。 男性客が店を出たのにつられるようにして、町田さんと話していた女性客も出ていったので、それに続くようにレジにステッカーを持っていった。 「あ、フォローしてくれた人ですね。また来てくれてありがとうございます」 今回は、笑ってくれた。割と、目が小さいんだなと気付いた。笑うと、ペンで描いたような二重の曲線になる。 「今回は、砂時計なんですね」 「そうです。というよりは、時の流れ、時間そのものを描いているという感じなんですよ」 「あんなに、たくさん点を打つの大変そうですよね。それこそ、時間がかかりそうっていうか」 そう言うと、町田さんはアハハっと声を出して笑って「そうですよ、大変だったんだから」と言った。自分の作品を理解していない側だと思われたのではないかなどと変に不安になったがアハハっと笑ってからの町田さんはフワッと軽くなったように見えた。 「砂、じゃなくて、なんで時間を描こうと思ったんですか?」 「時間も流れると言うし、砂も海や川で水に流されるでしょ。砂の一粒一粒は、流水に飲まれ、他の粒たちと摩擦しあってそれぞれの形さえも変わっていく。砂時計って、よくできてるなって思って」 「へぇ、まぁ確かに」 実際、さっきよりも心を開いてくれている感じ、肩の力が抜けているような態度になった。 「そっかー。じゃあ今度、海見にいきません?画材に使う、流木とか貝殻とか探しに行きたいから」と言う。とても呆気らかんとして、突拍子もないタイミングで私を海に誘った。 私は、町田さんの事を少し好きになりかけていたので断る理由もなく「行きたいです」と率直に、答えた。内心、やったと思ったが同時に漠然とした不安も少しあった。
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