医者の卵をあたためる

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 友人に紹介されたのは医者の卵だった。 「写真とかなり違いますね……?」 「すみません」 「いえいえ、こちらこそ」  つい失礼なことを言ってしまう。だって、本当に写真と違うのだ。写真では確かに人間だったのに、目の前にいるのは大きな卵なんだもの。 「卵でいらっしゃる……?」 「この春、医大に進学しました、医者の卵です」 「春に卵になったんですね」  なるほど、友人が見せてくれたのは高校時代の写真だからまだ人間だったのか。  人間なのに卵、卵なのに喋れる。そんな彼に興味を惹かれて、私はお付き合いを始めることにした。  彼との日々は穏やかだった。表情のない卵は、一緒にいて気楽だ。歩いているとき、地面に着地するたびに割れてしまわないかハラハラしたけど、それも良い刺激だった。  手は出してこなかった。たまに私からハグをして、あたためてあげた。いつも忙しそうにしている彼が、早く一人前になれるよう、愛をこめて卵殻を指でなぞった。  そして、彼は正真正銘のお医者さんになったのだ。  目の前に現れたのは、長身の男性。さっぱりとした髪型の、表情豊かな好青年。 「君が支えてくれたおかげで、僕は一人前になれた。まだひよっこだけどね」  その声で、やっと卵と目の前の人間が結びつく。  卵は孵ってしまったのだ。  私と手を繋ごうと伸ばしてきた腕の長さに恐怖心を覚え、私はとっさに別れを告げた。 「ごめんなさい、卵のあなたが好きだった」  その後、何度も医者の卵と付き合っては孵した。私にあたためられた卵たちは皆出世したので、巷では医者の母と呼ばれるようになった。  しかし今度の卵は、そんな私にあやかろうと近づいてきたようで、ちっとも努力しようとしない不良卵だった。  いくら抱きしめても、彼の卵殻は冷え切っている。私たちの心は通じ合っていないのだ。  これまで自分の人生を犠牲にして医者の卵に尽くしてきた。なのにこんな扱いを受けるなんておかしい。  自分が今、何かの卵にすらなれない未婚の四十路だという現実が、急に迫ってくるような感覚があった。  ついに大喧嘩になり、キレた私は彼に包丁を投げつけた。パキャ、と良い音がする。バキバキに穴が空いた彼の頭から、とろり、と生卵が垂れてくるのを見て、私は慌てて丼ぶりに米をよそった。  ナイスキャッチ!  米の上に着地した生卵を箸で素早くかき混ぜ、醤油を少し。器に口をつけたら、かっかっかっかとかっこんで、なめらかな卵が喉を流れていくのを感じる。  美味しい。  可能性を育てるより、可能性を叩き潰すほうが何倍も美味しい。  どうして今まで気づけなかったんだろう。私が愛したのは彼らの可能性。可能性に満ち満ちた卵。  だが、どんなに将来有望な卵でも、割って、こうして飲み込んでしまえば、ただの人間である私の糧となるのだ。  そう思うと興奮が抑えられない。私は卵かけご飯を飲み干しながら、次の卵について考えていた。
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