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あるブロガーのドラマ「薄い膜」評
「水面下で何が起きているのか」
挑戦的なドラマだと思う。終盤に入った「薄い膜」。脚本家と演出が仕掛けた複雑な罠に、演者も視聴者も絡め取られていく、私もその一人だ。
もはやアイドル上がりという修飾語を必要としない程に女優としての佇まいが身についてきた咲田はると、演じることしにか関心の無い「お芝居アスリート」のような風情さえ感じさせる吉田一馬。不倫ドラマであるはずなのに、画面では直接的なシーンは何も描かれない。それでも互いが互いのことを思い合っている事は濃厚なほどに伝わってくる。
咲田演じる「OLはる」も、吉田が演じる「上司カズマ」も具体的な行動はひとつも起こさない。いや、それは描かれていないだけなのかもしれない。2人が演じる地方の信用金庫での仕事風景も、何かが起きた後なのかもしれないし、その夜に何かの約束が交わされているのかもしれない。
何かを匂わせるようなヒントは提示される。時に遠くから強く見つめ合う2人。かと思えば、片方が片方の視線をあからさまに避ける。
もし何も起きていないとしても、2人の間に心の交流は確かに存在して、2人の配偶者はそれに気付き不安を高めていく。直接の疑問が呈されるが、それは否定される。確かに何も起きていないのではあるが、それで納得すべきなのか。
「どこからが不倫?」そんな疑問はティーンエイジャーのようだけど、このドラマはその疑問に真正面から向き合う。
<心が通じ合っていても、身体の関係が無ければそれは不倫ではないのか>
想像する。恐らく、主人公2人の間に関係があるかどうかは、演じる2人にも伝えられていない。咲田と吉田は、自分が演じるべき台本だけを渡されて、自分の行動、他人の行動から、自分の思いと相手の思いを推し量りながら演じることを、強いられている。自分と同じ名前を持つキャラクターを。
そして、恐らく2人の間では、その事について会話する事も禁じられている。この脚本家と演出家はそこまで徹底するタイプだ。
どこまでが演じている役なのか、どこまでが私なのか。
その混乱が役者から「演じること」を奪い、そのことで作られた「自分と役」との間の「膜」を引き剥がしていく。
剥き出しの心と心がぶつかり合い、こすれ合う様はとてつもなくエロティックだ。演じる方は大変だろうが笑。
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