彼の事

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彼の事

マンションへ帰って濡れた服を洗濯機に放り込むと、桐谷 乙哉と名乗った彼の事を思い出していた。 何も聞かず濡れた自分を自宅へ招き入れ、服を貸し食事を振る舞った彼、何の警戒心も抱かなかったのだろうか? 見ず知らずの自分に対して自宅へ泊まって行くように言ってくれた彼。 あの雨の中もし彼に逢わなかったら・・・・・土砂降りの雨の中何時間歩いてもマンションへはたどり着けず、連絡もできないまま今頃は・・・・・・そう思うと彼との出会いは自分にとって奇跡のような出来事だといってよかった。 彼との出会いをこのまま終わらせたくなかった・・・・服を返すと言う口実で逢いにいける・・・・・ そう思うともう一度逢いたいと思う気持ちが膨らんでいった。 乙哉はその日一月ぶりに山籠もりを終え自宅へ向かった、思ったよりも遅い帰宅になりしかも雨まで降って、駅で借りた傘をさして足早に自宅へと急いでいた 今回の山籠もりでは思った以上の作品ができたことで気持ちは晴れやかだった。 乙哉は陶芸家で、作品は収集家たちにとって垂涎の物ばかりで高値で取引されていた。 乙哉は芸術的な作品よりも、日常使いの物を作りたいと思っていた。 だが作品はどれも釜揚げ後すぐに引き取られ、思ったように世間一般的な販売にはならなかった。 あの日、自宅まで後少しのところで、目の前を傘もささずに歩く人がいた、激しい雨にもかかわらず、急ぐわけでもなくただ降る雨に打たれながら肩を震わせて歩いていた。 彼の側まで行くと傘を差しかけ、ほっておけなくて自宅へ招き入れ、シャワーと食事を勧めた。 男性は宝生 祐月(ほうしょうゆづき)と名乗った、傘だけ貸してしまえばそれでも良かったのかもしれない・・・・・ 見ず知らずの男を自宅へ招き入れ、シャワーを進め食事を提供し朝まで泊めるなど、誰が聞いても親切の域を超えていた。 だがどうしても彼をそのままにしておけなかった……… 美しい顔をした寡黙な青年、どこか儚く寂しげな雰囲気が気になって、声をかけづにいられなかった。 全身びしょ濡れで後ろ姿が泣いているように見えた……… 口数も少なく笑うこともないそんな青年だと感じた・・・・激しい雨の中なぜびしょ濡れで歩いているのか・・・・・理由を聞くことはできなかった。 この家に帰えることはめったにない、山に籠る以外は郊外のマンションにいることがほとんどで、あの家へ帰ったのはあの日たまたまだった・・・・・
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