悲劇の皇女?

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悲劇の皇女?

現在、 韓国ソウルの観光地 「宗廟」に行くと、 日本人ガイドにより 「英親王(李垠)は、 日本に連れていかれて 梨本宮方子と『政略結婚』させられ…」 と説明され、 (垠お兄様と方子女王殿下は、 とても仲睦まじい ご夫婦であられたのに…) 昌徳宮に行くと 楽善斎に行ったところで 日本人ガイドが 「徳恵翁主(梁徳恵)は、 日本に連れていかれて 宗武志と『政略結婚』させられ…」 と、説明するという。 どうやら私は、 無理矢理日本に行かされ、 人質となった挙げ句の果て、 意に染まぬ『政略結婚』をさせられた “悲劇の皇女”にされているらしい。 日本人、 しかも格下の伯爵と結婚させられたことを嘆き悲しみ、心を病んだ というものまでいるという。 おかしな話だ。 私のような、 王公族(皇族と同等)の身で、 『政略結婚』でない者などいるのだろうか? 日本のような法治国家では、 皇族や王公族は、 結婚出来る相手さえ、 法律で制限されているというのに。 心の病を得てしまった私は、 女子学習院に籍はあるものの、 ほとんど学校へも行けず、 家のベッドで過ごす日々だった。 父も母も既に亡く、 朝鮮に帰っても居る場所がない。 あったとしても、 王公族の私が、 勝手に帰ることなど 出来はしない。 そして、 朝鮮人には、 私(王公族)の 結婚相手になれる者がいなかった。 朝鮮には、 本貫と姓を同じくする者同士は 婚姻できない慣習がある。 王公族は全州李氏のみで構成されていた。 朝鮮貴族で独身の適任者はなく、 朝鮮貴族を望むならば 子爵以下と縁組するしかなかった。 私は、このままこの家の片隅で こうやって何もせぬまま 死んでしまうのかしら… 私を愛してくれた父も、 母ももういない… 私は、何の為にここに居るんだろう? 生きている意味が分からないからと、 死ぬわけにもいかない。 だって、そんなことをしたら、 垠お兄様に、 ほんとうの妹のように 面倒見てくださっている 方子女王殿下に ご迷惑をかけてしまうもの… そんな、 先に何も希望を見いだせずに、 ただ時が過ぎてゆくのに 身を任せるだけの私に、 突然縁談が舞い込んできた。 お相手は、 旧対馬藩主・宗家当主、 伯爵宗武志(そう たけゆき)様。 垠お兄様と方子女王殿下は、 この縁談を喜んでくださり、 私の病気のために、 破談にならないよう 心配してくださった。 朝鮮では、 翁主の縁談の相手が、 皇族でもなく、 伯爵とはいえ、 元は天皇の家臣だった 徳川の使い走りをしていた (宗家は、対馬藩主であったため、 代々徳川家と朝鮮通信使の 取り次ぎ役をしていた) 小藩の藩主だった家などもっての外、 と憤慨しているという。 日本に統合されて、 もはや王家の者でもなく、 私のために 何をしてくれるわけでもないのに、 プライドだけは高くて、 文句だけは言う人たち… でも、 どうせ病気を抱えた私など 貰ってくれるわけがない、 直に破談になるんだろうと、 期待はしていなかった。 ところが、 お相手は、 破談にせず 私と会いたいと言っているという。 どういうことなんだろう、 とは思ったが、 こちらからお断りすることなど出来るわけがなく、 日を定めて顔合わせ(見合い?)をする事になった。 またもや、 方子女王殿下が、 なにくれと 心配りをして下さった。
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