結婚へ

1/1

5人が本棚に入れています
本棚に追加
/16ページ

結婚へ

1930年11月初旬 九条家公邸にて、 宗武志様とお目にかかることになった。 宗様は、 とても背が高く、 美男子でいらっしゃった。 私は、 殿方とお話などしたこともないので、 どうして良いか分からず、 ただ、 もじもじとしているだけだった。 すると、 「私は、 徳恵姫のレコードを持っているんですよ。」と、おっしゃる。 えっ、と思ってお顔を見ると 「昔、徳恵姫が造られた詩に曲をつけて、 それがレコードになって発売されたじゃありませんか。 (1929年7月 日本ビクターから、徳恵姫作詞の「蜂」「雨」のレコードが発売 作曲は宮城道雄) その前には、 京城で『徳恵姫御作童謡発表会』 も開かれましたよね。 私は、新聞で見たので良く覚えています。 姫は、 『童謡の姫君様』と呼ばれていらしたんでしょう? 私も詩が好きなんです。 だから、 あなたは、 子どもの頃の私の憧れだったんですよ。 徳恵姫が日本に来られる直前には、 姫の詩に曲がつけられた歌を 牧瀬数江さんが歌って、 ラジオ放送されたんですよ。 お聴かせしたかったなぁ。」 と、微笑みながらおっしゃった。 私は、驚いて 「もう、私の詩のことなど 覚えている方などいないと思っていました。 あの頃は、 毎日詩を考えるのが楽しくて… 小学校に通うのが楽しかった。 日本に来てからは、 すっかり書かなくなってしまいましたが…」 「それは、勿体ない。 また、お書きになればいいのに。 私も、お見せするほどの物ではありませんが、詩を詠みます。 よかったら、御覧になって下さい。」と、自作の詩の小冊子を下さった。 「ありがとうございます。 読ませていただきます。」 武志様は、 病気を抱える私に とても優しくして下さった。 1931年3月27日 女子学習院本科を卒業 1931年(昭和6年)5月8日 私は、旧対馬藩主・宗家当主、 伯爵宗武志(そう たけゆき)へ嫁いだ。 武志様は、 「確かに、 この縁談は、 宗家の借財を整理するために 貞明皇后陛下のご配慮で起こった縁談です。 でも、それはきっかけに過ぎません。 私は、 徳恵姫のことをとても大切に想っています。 詩を愛する者同士、 徳恵姫も 私に関心を持って下さると嬉しいです。」 と、おっしゃった。 「私の病気は、 容易には治らないのだと思います。 ご迷惑をお掛けしてしまうかもしれません。 でも、日本に来て、 詩のお話が出来る方と巡り会えるとは思っていませんでした。 私も、武志様をお慕いしています。」 私は、 日本に来て始めて“良かった”と思えた。 (幸せになれるかもしれない) そう思った。 結婚後、 病気は一時小康状態になり 1932年(昭和7年)8月14日 長女正恵(まさえ)を出産。 しかし、 私の病は次第に重くなっていった。 出産後から更に症状は悪化の一途をたどり、 もう、家での生活は無理な状態となって、 終戦後の1946年(昭和21年) 松沢病院に入院した。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加