離婚

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離婚

私は、 正恵を出産した後、 次第に病状が悪化。 ほとんど、他の人との コミュニケーションが取れない状態になってしまい、 松沢病院に入院していた。 その病院は、 古くから精神病院として有名で、 当時としては 先進的な精神病院であった。 武志様は私のために 最善を尽くして下さったのだと思う。 1950年(昭和25年)1月 韓国人新聞記者金乙漢という人が 松沢病院を訪問し、 私を取材していった。 そして、 私が日本で悲惨な現状に置かれていて、 私が帰国出来るようにするべきだという記事を書き、紹介したという。 帰国のための運動を始めたそうだ。 しかも、 その金乙漢なる記者の弟は、 私の許婚だったという。 そんな話は、 聞いたこともない。 そもそも、 私や垠お兄様ご夫婦が 朝鮮に帰国できないのは、 日本のせいではなく、 李承晩大統領が、 李王家の者が帰国する事によって、 政敵となるのを嫌がって、 帰国を拒否したからなのに。 余計なお世話を… このままでは、 武志様が悪者にされてしまう… こんなに、 私に尽くして下さっているのに。 武志様とお別れはしたくなかったが、 実家からの願いとして、 1955年(昭和30年)6月 私と宗武志様は、 離婚となった。 後に、武志様は、 私との別離の深い痛みと悲しみを 山幸彦と豊玉姫の離別譚に託した詩 (「さみしら」)を綴ってくださったという。 こんな病を抱えた私を、 深く愛しんで下さり、 ほんとうにありがとうございました。
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