大正浪漫

1/1
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/16ページ

大正浪漫

私が産まれたのは、 1912年(明治45年)5月25日。 同年(明治45年)7月30日に 明治天皇が崩御されたので、 私が、幼少・青春時代を過ごしたのは、 大正時代と言える。 大正時代は、 “大正浪漫” “大正デモクラシー” と言う言葉が示すように 政治・社会・文化各方面において 自由で新しい風潮が尊ばれ、 華やかな文化が花開いた時代だ。 女性のパーマヘアが流行し、 童謡・唱歌や流行歌が街に流れた。 『キネマ旬報』の創刊 劇団藝術座や 後の宝塚歌劇団もできた。 しかし、 戦争(1914-1918 第一次世界大戦など)や 災害(1923年 関東大震災)が立て続けに起こり、 必ずしも安寧の世の中とはいえなかった。 そのためか、 退廃的で厭世主義の生き方を選ぶ人も 生まれていた。 華やかな文化を謳歌する一方で、 社会への不安を感じるという、 複雑な感情を抱えた時代だった。 大正時代に大いに隆盛したものの中に、 「童話」「童謡」がある。 「童話」の分野について言えば、 関東大震災からの避難ということもあり、 日本からその道の泰斗が何人も渡鮮し、 朗読会を広く開催していた。 (『越境する文学: 朝鮮児童文学の生成と日本児童文学者による口演童話活動』 金成研著 花書院、2010年) 上記の本には、 佐田至弘の主幹・主事とする 「朝鮮児童協会」と「母の会」が、 渡鮮した童話界の大物 久留島武雄の謝恩会を開き、 佐田至弘氏が 「全京城コドモ忘年童話大会」に 参加したことなどが記されている。 この佐田至弘氏とは、 「佐田草人」であり、 「内鮮児童愛護連盟」として、 内地(日本本土)に 私(徳恵姫)を、 「詩の女王」として 紹介する講演をしていた 人物でもある。 佐田氏が主幹していた 朝鮮児同協会提唱の 「児童愛護デー」は、 朝鮮において春秋2回、 毎年行われる 年中行事となっていた。 黒沢隆朝氏は、 朝鮮を訪問した際に 私(徳恵姫)の書いた4作の詩に作曲し、 私の前で演奏してくれた。 黒沢隆朝童謡集 『可愛い童謡(復刻版)』 (オリジナルは敬文館、 復刻版は来風社、1990年) 黒沢隆朝氏とは、 水田詩仙の名前で ドイツ民謡『山の音楽家』に 日本語の作詞を付けた 大正から昭和にかけての 作詞家、作曲家、楽器研究家であり、 児童への音楽教育方法についても 考案した。 敬文館では、 大正13年(1924年)から昭和2年(1927年)にかけて、 黒沢隆朝作曲 『可愛い童謡』1集~10集まで発行 『可愛い童謡』9集(昭和2年2月)で 私(徳恵姫御作)の童謡『雨』と『びら』 を紹介している。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!