『童謡の姫君様』の徳恵姫

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『童謡の姫君様』の徳恵姫

徳恵姫の作詞の才能について、 多胡吉郎氏は、 『物語のように読む朝鮮王朝五百年』 (角川書店 2012/02)で、 「朝鮮王朝の血を引く少女 (徳恵姫)が抱えた詩才は、 現地の日本人教育者や 児童文学者たちから注目され、 『童詩の天才』 とまで讃えられた。」  と評し 「宮城道雄や黒澤(ママ)隆朝といった日本人の作曲家が、 徳恵翁主の童詩に曲を付けている。」 としている。 また、 『空の神様けむいので ラスト・プリンセス 徳恵翁主(トッケオンジュ)の真実』 (影書房 2021/09) では、 「―詩がたたえるみずみずしい感性、 ひとりの人間としての想い。 時代の強いた困難を、 「文の林」=「言葉」によって 乗り越えようとした人   (中略) 心の病を得て、 「もの言わぬ人」となった 悲劇のプリンセス。 だが彼女には少女の頃、 童詩に和歌に才能を発揮し、 輝くばかりの言葉の精華を紡ぎ 「詩の天才」 と呼ばれた時代があった」 と、紹介している。 多胡吉郎 : 1956年東京生まれ。 80年、日本放送協会(NHK)入局。 ディレクター、プロデューサーとして、 多くの番組を手がける。 2002年、英国勤務を最後に独立、 文筆の道に進む。 韓国とは、 NHK時代を含め30年をこす親交がある。 著書は韓国でも翻訳出版。 韓国の文芸誌への寄稿や ソウルでの朗読音楽会の開催も おこなっている。 『童謡の姫君』李徳恵姫御作童謡一覧 1.「蜂」ないし「はち」  宮城道雄バージョン 新日本音楽の活動家で、 箏の名手として知られる宮城道雄が 1923年10月に渡朝鮮した際に作曲。 1929年7月に日本ビクターから 「蜂」「雨」組で発売。 (歌・宮城数江、尺八・吉田晴風) 1931年7月 大日本家庭音楽会から 『筝曲楽譜 宮城道雄作曲集』 として発売 (所収作品は「蜂」「雨」「花園」) 「蜂」は、 後年の宮城道雄特集のLPやCDにも収められている。 2.「蜂」ないし「はち」  黒澤隆朝バージョン ドイツ民謡「山の音楽家」の 日本語作詞をした水田詩仙、 本名黒澤隆朝が1924年夏、 初の渡鮮をした際に作曲した4曲 (「はち」「雨」「びら」「とんぼ」)の内の1曲。 1927年2月 詩と楽譜が黒澤隆朝著 『黒澤隆朝童謡集 可愛い童謡 第9集』(敬文館)として発表。 「はち」「雨」「びら」を収録 (1990年来風社より復刻) 3.「雨」 宮城道雄バージョン 宮城道雄が1923年10月に朝鮮に渡った際に作曲したうちの1曲。 4.「雨」 黒澤隆朝バージョン 9月3日 日之出小学校で徳恵姫の御前で演奏。 (「雨」「びら」) 5.「びら」(「飛行機」とも)  丸山惣次郎バージョン 日之出小学校の同窓生の間では、 「飛行機」と覚えている方が多かった。 1923年10月頃に開催された 「徳恵姫御作童謡発表会」 で発表されたもの。 楽譜は現存していない。 1924年5月 日之出小学校で振り付けを加えた 童謡踊が試演されている。 5.「びら」(「飛行機」とも)  黒澤隆朝バージョン 徳恵姫の学習院転校後も 日之出小学校で歌われていたという 1925年 佐々木すぐる編 『青い鳥楽譜 第21編 「びら」』で楽譜が公開される。 (6)「ねずみ」 楽譜は現在見つかっていない。 しかし、 1924年3月23日 日之出小学校で行われた徳恵姫の送別会 (日本の学習院への転校に際しての) で1年生男子が斉唱を行った記録がある。 7.「青葉の初夏」 日之出小学校5年の時に作った童謡。 「京城日報」に詩は載っているが、 曲が付けられたのか、 実際に歌われたのかは不明。 8.その他 「京城日報」 徳恵姫と宗武志伯爵の 婚約後の特集記事に、 日之出小学校時代に 「春が来た」を 学習院時代に 「皇孫殿下御誕生の歌」 「(大正天皇皇后)両陛下御銀婚式」の童謡を作詞 東京放送局(ラジオ)で 本居姉妹が歌ったという記事を掲載 日之出小学校時代の童謡は、 同校の学校行事に際して 何度も歌われていた。 特に、 徳恵姫御作で黒沢隆朝氏 (「森の音楽家」の日本語作詞者)が作曲をつけた 童謡「びら」 が当時の学友の間では 「飛行機」 という名前でよく覚えられていたことが、 『わが赤煉瓦の学び舎  京城日出小学校百年』 所収の回想記に 多くの同窓生が書き残している。 1987年5月25日 戦後韓国に帰国し、 病院に入院していた徳恵姫を 誕生日に訪問した 元同級で学友の閔龍児(女性)が 「昔、小学校時代の 『飛行機』という歌を思い浮かべ、 耳元で歌ってお上げしたら 分かったというしるしか、 うめき声をお出しになり、 部屋の中の皆様が泣いてしまいました。」 という手紙を元同級生に送っている。 徳恵姫の朝鮮在住時代で 最も輝いていたのは、 日之出小学校時代であり、 (徳寿宮在住時代は多くの人間を見たこともなかった) 姫の優秀さを示すのは、 その文才であり、なかでも 「童謡作詞の才」    だった。 『昌徳宮徳恵姫御作童謡発表会』 主催:朝鮮新聞社 開催場所:京城公会堂 参加者:日出小学校、三坂小学校、 南大門小学校、東大門小学校、 愛帰幼稚園から凡そ300名に加え、 婦人なども多数。 斎藤実朝鮮総督府総督も臨席。 新聞社主催で、公会堂を利用し、 5つの学校が参加した童謡発表会。 朝鮮総督府発行の月刊誌『朝鮮』 105号(1924年1月発行)
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