プロローグ

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プロローグ

私の名前は、「徳恵姫」。 実は、その時々で名前や呼び名、 敬称が変わっているのだけれど、 ややこしいので、 ここでは「徳恵姫」に統一する。 私のことを 「大韓帝国最後の皇女」とか 「徳恵翁主」 (とくけいおうしゅ/トッケオンジュ) と呼ぶ人がいるらしいが、 どちらも間違いだ。 なぜなら、 私が産まれたのは、 1912年(明治45年)5月25日 日韓併合後のことであり、 既に“李氏朝鮮”ではなく、 “大韓帝国”もなく、 父、高宗は、 日本の王族・徳寿宮李太王 だからである。 私の母は、側室だったが、 元々は、徳寿宮の厨房で働く 下級女官だったので、 王族の扱いを受けることが出来なかった。(他の側室も同じ) 父、李太王が 一代限りの身分であることから、 私も本来であれば 王族とはなれなかったのだけれども、 私を溺愛する父が 朝鮮総督に掛け合い、 王族の扱いを受けられるようにしてくれた。 けれども、 直系ではないので 「殿下」の称号は受けられず、 公族並の「姫」となったのだ。 私は、 父が60歳の時 初めて生まれた娘だったので、 父は、溺愛といっていいほど かわいがって下さった。 それは、 徳寿宮の中に、 私『専用の幼稚園』を 設けて下さるほどだった。 私は、 その『専用幼稚園』で 4歳から学んだ後に、 1921年(大正10年)9歳の時に “朝鮮の学習院”といわれた 日之出小学校の2年生に編入した。 日之出小学校は、 上流階級の朝鮮人や 在朝日本人が通う学校だった。 日之出小学校で、 日本語による 日本式の教育を受けた。 時代はちょうど 大正浪漫文化華やかなりし時。 朝鮮半島にもその文化は及んでいて、 「童話」「童謡」が子どもたちへ普及してきていた。 日之出小学校で“詩”を学ぶことにより、 私は、文才を開花させ “詩”に自分の心や想いを託す喜びを知ることになる。 この、 9才から12才まで過ごした 日之出小学校での4年間が、 朝鮮時代の私が 最も輝いていた時だった。
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