乳首ノスタルジー

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 二人で初めてプリクラを撮りに行った帰り際、琴音はショッピングモールのトイレに駆け込むと、バッグの底から洗顔料を取り出し、冷たい水道水で躊躇いなく顔を洗い始めた。  メイクをすべて落としたあとは、巻き髪をきっちりお団子にまとめ、腰のところで何度も折り返して短くしていたスカートを膝丈に戻した。鮮やかな変わり身だった。そこにいたのはギャルではなく、純朴な高校生だった。  琴音の家では、ヘアカラーもピアスもバイトも、メイクや巻き髪さえも禁じられていた。毎日すっぴんで家を出て、早朝の駅のトイレでひっそりとヘアメイクを完成させる。だから、帰宅時にはすべてをリセットする必要があったのだ。琴音の派手なルックスの裏には、そんな涙ぐましい努力があった。  高校生にしては厳し過ぎる門限を、でも絶対に破ることを許されない琴音は、常に時間に追われていた。放課後の限られた時間でプリクラを撮り、カラオケを歌い、ファーストフードでポテトを分け合う。いつしかそれが、私たちの定番コースになった。  いつだって家に帰りたくなくて、けれど帰る家はお互いにひとつしかなかった。  休日は、安さだけが売りのファミレスで、何時間でも、本当に何時間でもドリンクバーだけで粘って、店員に嫌な顔をされてそれでも居座った。琴音は両親に、図書館に入り浸っていると説明しているらしかった。  私は琴音から、髪の巻き方やアイラインの引き方、ナンパのあしらい方まで、色々なことを教わった。背丈の近い私たちは、いつの間にかスカートを折る回数もきっちり同じ。共有する時間が増えれば増えるほど、ますます二人は似ていった。 「うちの親は私の将来のことばっかり心配してるけどさ、今くそ真面目に頑張って、我慢して、その先に待ってるのがあいつらみたいな生活なんだったらほんとゾッとする。少しも幸せそうじゃないんだもん」  琴音の嘆きは、私の嘆きだった。  あの頃、目の前には鬱屈とした現実が常に横たわっていて、その先の、目指すべき未来が見えなかった。可能性は無限に広がっているように見えるけど、でもすべてに限りがあることを、私たちはもう十分に知っていた。  クラブ活動や勉強、趣味やアルバイトでもなんでもいい、熱中できる何か、志す何かを持っている同級生たちが輝いて見えて、吐き気がするほど羨ましくて、直視できなかった。私たちは必死になって言葉を交わした。  馬鹿話をして、笑い転げている瞬間だけが鮮やかだった。代えの効かない十代の貴重な日々を無益に消費している自覚はあって、けれど何をどうすればいいのかわからなかった。  通う高校は校則こそ緩かったが、地元ではそこそこの進学校だった。琴音に限っては入学当初から無遅刻無欠席を貫き、定期テストではさらりと上位にランクインする、その外見からは想像できないほど優秀な生徒だった。  非行少女にもなりきれない私たちは、目の前の憂鬱から目を逸らすための、新しい刺激ばかりを求めていた。 「ねえ、今の私は今しかいないのに、今を楽しまないと損じゃない? 明日死んだらどうすんの?」  その通りだと思った。
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