乳首ノスタルジー

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「まあ、適当に座ってよ」  厳つい見た目に反して、彼の物腰は拍子抜けするほど柔らかだった。ぱっと見は中年男性の風格を漂わせているが、聞くとまだ二十代の後半なのだという。冗談を言っているのかと思ったが、よくよく見れば確かに肌艶の良さは若者のそれだった。薄く色のついたレンズ越しに透ける瞳には、どことなく幼ささえ感じられた。  互いの自己紹介を終え、いよいよ本題に入るのかと思いきや、彼は常備してあるらしいピザや寿司のチラシをいくつも手渡してきた。 「君らお腹空いてない? なんか好きなもの頼みなよ」  時刻は昼食時を過ぎていて、確かに私たちは空腹だった。仁さんとキャッチの男、私と琴音はローテーブル越しに向かい合い、お楽しみ会のような昼食を囲んだ。  無邪気にピザを頬張りながら、仁さんが発した冗談にころころと笑っている琴音を見て、私も次第に肩の力が抜けていった。  こういうシチュエーションには覚えがあった。キャバクラの店長やボーイ、合コンで出会う大学生、様々な思惑や下心を内に隠した男たちは、若い私たちに優しかった。内なる本音を見たくなければ、それが顔を出す前に、表面的な優しさだけを受け取って素知らぬふりで去ればいい。タイミングさえ見誤らなければ大丈夫。そう思った。  クリスタルの灰皿の中に、細いピンク色の吸い殻を見つけた。きっとこの部屋には、私たちのような女の子が入れ替わり立ち替わり訪れる。代わりはいくらだっているのだ。  ひとしきりお腹を膨らませた頃、ごく自然な流れで仁さんは切り出した。ラミネートされたメニュー表のようなものチェストから取り出し、ピザや寿司のチラシと同じように私たちに手渡した。  そこには、店の給料体系が簡潔に記されていた。店と言っても決まった店舗を持っているわけではなく、都度ホテルなどに出向いてサービスを行う無店舗型なのだという。  よくよく確認してみると、延長などのオプションが付かない限り、客一人を相手しても支払われる給料は一万円にも満たない。加えて、日給から差し引かれるらしい雑費というよくわからない項目もある。キャッチの男の言う通り、単純に時給換算すればキャバクラの何倍にもなる。だけど、背負うリスクや差し出すもの大きさを考えると、あまりにも安すぎる気がした。    続いて、働く女の子を紹介するごとに支払われる紹介料システムについての説明を受けたが、これも簡単な仕事とは思えなかった。  黙り込む私たちを見て、「まあ君らはまだ、若いからね」と、仁さんは軽く笑った。説得を試みたり都合の良いことを言うでもなく、あっさりと別の話題に移った。  その後、次のアポがあると言ってキャッチの男が席を立った。てっきり私たちも一緒に帰るものだと思って琴音の方を見ると、少しも気に留める様子はなく、別れたばかりの元カレの話で仁さんと盛り上がっている。愛想の良い、けれどどこか業務的な挨拶を残して部屋を出て行くキャッチの男に、琴音は当たり前のように手を振った。
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