apéritif:狂食の館

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apéritif:狂食の館

「花嫁の皆さん、ようこそマダーマム家へ。11月3日午後18時06分、今夜はよき雷雨に恵まれまして――」  あぁ親愛なる神様、お父様。この貴族屋敷の食堂に入って即刻、私は己のピクニック気分を正すことにしました。侯爵家マダーマムは「食」に対して異常なこだわりを見せる一家だと聞き及んでいましたが、まさか――ギロチンを食卓に飾っている狂人たちの集まりだったとは。  いくら世間知らずの私でも、これが一般的でないことくらいは分かります。何より、両隣の麗しいご令嬢方が卒倒しそうになっていますし。 「早々に物騒なものをお見せして申し訳ない。しかしこれは伝統的な商売道具でね。誤解がないよう予め話しておくが、我が家は代々の処刑屋だ」  狂った空間を仕切っている紳士は、当主のギュスターヴ・マダーマム。教会のお仕事で何度か姿をお見かけしたことはありますが、あの近寄りがたい雰囲気に真っ白な肌――もしオペラ座で演じるのならば、吸血鬼役が似合いそうなお方でいらっしゃいます。 「『そんなの聞いてないわ!』、『こんな家にお嫁へ行きたくないっ!』とお考えのお嬢さんは、今のうちにお帰りください」  当主のご令嬢モノマネに思わず「は?」の声が出てしまい、慌てて咳き込むフリをしたものの。イスを引く騒音のおかげで声はかき消されました。 「では遠慮なく! 侯爵家と伺って参りましたのに、こんな狂ったお屋敷だったなんて……」  上座の当主を睨みながら、長テーブルから3人のご令嬢が去って行きます。  なるほど。当主の子息――兄弟3人に対してなぜ10名も花嫁候補が集められたのかと首を捻りましたが、当主はお分かりだったのですね。ご自分たちが世間一般的なファミリーではないと。 「では残った7人のお嬢さん方、改めてようこそ、我がマダーマム家へ。今は次男が仕事で席を外しているが、後々紹介するとしよう」  花嫁たちと長テーブルを挟み向かい合う家族の方々を、当主がひとりひとり指差します。  人を紹介するときには、氏名、職業、趣味程度が一般的でしょうか。しかしやはり、彼らは悪い意味で期待を裏切ってくれました。 「彼女はルイーズ。我が妻で、天文塔の刑務部官僚だ。驚異のペッパーマニアでね。世間では『赤食家』と呼ばれている。彼女が食べるものはみんな辛いから注意だ」 「よろしくね、可愛らしいお嬢さん方」  職業と食指はこの際置いて。この黒と銀を基調にした家の中で、ブロンドの短髪が美しい奥方の笑顔が、唯一色を持っているように見えました。しかし彼女の胎からお生まれになった兄弟2人は、残念ながらその輝きを引き継ぐことはなかったようです。 「隣のスーツの男が長男のリアン。歳は……あれ、30だったかな? 31? まぁいいや。妻と同じ天文塔の刑務部勤務で――」 「詳しい紹介は結構ですよ、お父様。どうせ無駄になりますから」  朗らかに微笑んでいるのに、とてつもない圧力を感じます。長男さんに抱いた第一印象はそんなところです。クラシック眼鏡越しにギラつく赤銅色の瞳は、何の興味もなさそうにご令嬢方の顔をなぞっていました。 「隣の学生が末っ子のモア。先日成人したばかりの18歳で、あと1年は学生なんだよねー。で、……」  柔らかな銀髪が顔に影を落とし、末っ子さんの表情は分かりません。しかし彼の指先が、長テーブルの中央に陣取っているギロチン台に伸びたことだけは見逃しませんでした。  奥方が制止の手を出すのが早いか、長男さんが末っ子さんの袖を引っ張るのが早いか。紙一重のところで、ギロチンの刃を落下させるレバーが引かれたのです。 「キャアァッ!」  お隣さんの悲鳴に耳を塞ぐ間に、肉々しい塊がテーブルクロスへ転がり落ちました。その処刑道具は誰の首も落としませんでしたが、代わりに末っ子さんを止めようとした長男さんの手首を斬り落としたようです。 「え……?」  誰かの呟きを最後に、食堂から呼吸の音が消え去りました。時が止まった中、レバーを引いた張本人――末っ子さんが、転がった生手首を拾い上げます。 「リアン……このダミー、クオリティ低い。こんなんじゃ誰も驚かないよ」 「おや、そうでしょうか? 見なさいモア」  意地悪な笑みの長男さん――リアンの言う通り、花よ蝶よと育てられた方々には十分過ぎる効果があったようです。ご令嬢方は皆さん小刻みに震え、うちお2人は食堂から出て行かれました。  どうやらこの兄弟、まともに嫁取りをする気などないのでしょう。当主も正気かどうか疑わしいところですが、兄弟たちの態度には当主もご立腹のようです。 「駄目じゃないか、リアン、モア。実演は夕食の後でする予定だったのに」  これで5人分も料理が無駄になった、と当主はため息を吐いています。本当にこの人たち、どうして花嫁を募集する気になったのでしょうか。 「これで全員追い出すつもりだったんだけど……今回は手強い」  ほら、末っ子のモアは隠す気もなく「追い出す」と言っています。困っているのかいないのか、謎の笑みを貼り付けている当主に代わり、ワイングラスを掲げた奥方が会のはじまりを告げました。 「今夜から我が家で花嫁修行をしてくださるお嬢さま方、『晩餐会』の日まで1ヶ月と半よろしくね。それでは、乾杯」  グラスが擦れる音の後に運ばれてきたのは、庶民が普段目にすることのない輝きのパンに湯気立つスープ、そしてそれぞれ中身の異なるメインディッシュでした。 「事前に聞いていた好みに合わせて用意したんだよ。さぁ召し上がれ」  そう当主はおっしゃるものの、目の前に用意されたこの魚料理――牛乳(?)をドロドロに煮詰めたソースがぶっかけられています。緑の鮮やかな香草が上に添えられていますが、これは一体なんでしょうか。 「さぁ、キミも遠慮せずに。ええと……」 「ロ……サリーナでございます、当主様」  シスター・アグネスと何度も練習した「ご令嬢らしい貴賓を携えた微笑み」を当主に向けます。すると当主も、「失礼。どうぞ召し上がれ、サリーナ嬢」と微笑み返してくださいました。  嘘は罪といえど、これも任務です。21年間「ロリッサ」を名乗ってきた私は、ここでは伯爵家のご令嬢「サリーナ」として自然に振る舞わなければなりません。  それにしても、サリーナ嬢はこんなドロドロの魚料理がお好きなのでしょうか。ふだん礼拝にいらっしゃる時のお話では、質素な暮らしを心がけているとおっしゃっていましたが。お隣の皆様の席にも、同じようなソースのかかった肉、魚料理が用意されています。しかし先ほどの衝撃が尾を引いているのか、食は進んでいないご様子です。  一方、正面の奥方、ご兄弟方は、私の皿以上に奇妙なものを食しています。奥方は赤く歪つな形の野菜。リアンは白くて丸いブドウの実のようなもの。モアは焼き目のついた橙色のバター――あれはそもそも食べ物なのでしょうか。さらに当主が笑顔で食べているのは、白い粉がふりかけられた料理です。メインが肉とは分かるものの、あのふりかけは合法でしょうか。岩塩にしては違和感のある、宝石に似たきらめきを放っています。  ひとまず食事に手を付けないと、この場では不自然でしょう。抵抗感を押し殺し、白身魚にフォークを刺しました。  ふだん食事という行為は、1日3回の栄養補給でしかありません。他のシスターやブラザーたちはこの時間が楽しみだと言いますが、それは味覚がきちんと働いているからでしょう。  ホロホロとした魚の身を咀嚼し、「これはきっと美味しいものなのだろう」、と味わうフリをしながら左右をチラ見すると、4人のご令嬢方はフォークとナイフを手にしているのみでした。まだ食事が喉を通らないのでしょう。いくら布と木のダミーとはいえ、切断の瞬間を目の前で見せられればこうなるものでしょうか。 「それでだね。花嫁修行の期間中、息子たちのうち誰かと気が合えば……晩餐会の翌日に結婚の意志をうかがいたいのだけれど」  場の空気を読もうとしない当主様に悲報です。ご子息たちは拒絶を隠そうともせず、ご令嬢方は大変怯えていらっしゃるご様子ですよ。 「ただ男女にはいろいろな相性というものが存在するでしょうから――お嬢さん方には毎晩ローテーションで、息子たちのところに通ってもらいます」 「はっ?」  また思わず声が出てしまいましたが、今度こそ声は騒音に掻き消されませんでした。ご令嬢も、目の前の家人の方々も、全員がナイフとフォークを止めています。 「あ……あり得ませんわ! 婚前にそんな……人道に反します!」  庶民でも婚前交渉は一般的でないというのに、貞操観念の強いご令嬢方ならば尚更でしょう。私以外全員のご令嬢がお立ちになっていたため、私も遅ればせながら抗議のモーションを取ることにします。度胸のあるご令嬢に加勢する気は特にありませんでしたが。  止まない抗議の嵐に対し、意外にもリアンとモアは静かでした。今回の花嫁修業に否定的なようでしたら、同じく反対を主張しそうなものですが。 「皆さん、静粛に」  轟く雷鳴をかき消すほどの声たちは、食堂中に響く打撃音によって打ち切られました。それは当主の持つ銀の杖先が床に敷かれた絨毯を突き破り、モノクロの床石にひびを入れた音だったのです。 「早速だが、我が家の掟で最も重要なものをお伝えしよう」  息を吸うだけで肺が重くなるほどの威圧の中。当主ギュスターヴの背後に黒い影が立ち上りました。 「『当主の言は絶対』――これが守れなければ、どうぞお帰り下さい」  まったくこの紳士は。本当に、何のために花嫁修業を開く気になったのでしょうか。  ご令嬢たちは「狂ってるわ!」と叫びながら、次々に席を立っていきます。ドレスの裾を翻して去っていく姿を見送りながら、目の前のドロドロをすべて片付けることにしました。「お前は出て行かないのか」、というリアンとモアの視線に耐えつつ。  たとえこの家がどんなに狂っていようと、私だけは決して出ていくわけにはいきません。この中にいる人殺し――食人鬼(グルマン)の正体を暴くまでは、絶対に。
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