amuse:指輪

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3.「命がけの食卓」  黒の大理石を基調とした床に、銀で縁取られた黒百合の咲き誇る天井。墨色の交錯が延々と続く光景は、他のどの場所でも見たことがありません。  ノットはこの家の内装を、ピンクか白に変えたいと思ったことはないのでしょうか。少なくとも目の前を歩く小さなメイドさん――マチルダは気にしたこともない様子ですが。 「サリーナさま、聞いていらっしゃいます?」 「えっ、ええ、もちろん。これが初代マダーマム家当主の肖像画でしたね!」  とっさに銀の額縁を指差すと、マチルダの舌がはっきりと鳴りました。これが俗にいう舌打ちというものでしょうか。衝撃を受ける間もなく、「それは2代目です」、とマチルダは肩を落としました。 「こちらが初代当主のファウストさま……私の家はこのお方の頃からずっとマダーマム家にお仕えしていると、祖母からうかがっております」  先ほど厨房で、マチルダのお婆様にはお会いしました。このお屋敷で料理長を務めているとうかがいましたが、まさか先祖代々とは。本当に貴族のお家は驚きの連続です。 「……サリーナさま。次へ参ります」  淡々とお屋敷の各所を案内してくれるマチルダが次に向かったのは、庭の隅にある小屋でした。木の材質を見る限り、建物はまだ新しそうです。簡素なドアの横には、桑(マルベリー)の葉がいっぱいに詰め込まれた袋がいくつも置かれています。 「サリーナさま、虫はお好きですか?」  唐突な問いに「え?」と訊き返したものの、マチルダはこちらに背を向けドアに手を掛けます。その時、いつも無表情のマチルダの口角がほんの少し持ち上がりました。  今のやり取りに、何か面白いことがあったのでしょうか。  早歩きのマチルダに続いて中へ入ると、葉を揺する無数のうごめきに包まれました。 「これは、カイコ?」  木材で箱型に区画されたテーブルの上には、桑の葉がたっぷり敷き詰められています。その間を白い芋虫が何匹も這い回っていました。  これはマチルダに説明されなくても理解できます。「養蚕業」というものがあるとノットの授業で習ったことがありましたから。それにしても、葉を咀嚼する音の何と心地よいことでしょう。読書の際にずっと聞いていたいくらいです。 「虫、怖くないのですか?」  何故か残念そうに問いかけてくるので、「別に」と首を傾げました。すると本日2度目の舌打ちがさく裂します。もしやマチルダも教会に通う子どもたちと同じように、私へイタズラを仕掛けようとしたのでしょうか。大人びていても年相応な面があることに、思わず頬が緩みました。 「カイコがサナギになり脱皮する時、シルクの繭ができることはご存じでしょうか。衣服の材料として利用されることが一般的ですが、1番目のお方はアレの異常食しゃ――コホン。アレが大好物なのでございます」 「えっ!? 食べるのですか? 蛾の繭を?」  わざわざ自家採集までするとは、さすが「狂食の館」の長男さん――と言いたいところですが、頭が理解を拒んでいます。昨日の晩餐会で目にした、あの白くて丸いぶどうの実のようなもの。アレはカイコの繭だったのですね。 「食べられます。美容にいいそうです……私は口にしたくありませんが。その独特な食指から、社交界ではリアン様を『繭食家』と称えていらっしゃいます」  貴族の世界は何でもありなのでしょうか。それとも、この家が他を染めるほどの異彩を放っているのでしょうか。どちらにせよ、私も繭を食べる気にはなりません。  マチルダがこの小屋を見せた理由は、「花嫁候補は一家それぞれの食指について学ぶべき」という当主からの指示があってのことだと言います。  一見どうでも良いことのようですが、これは好機です。ご兄弟たちの「食指」を知れば、指輪以外の証拠も見つけやすくなりそうですから。 「まだ様子を見ないと……」  食指について観察するには、1日に3度行われる食事の時間が最適です。しかもこの家には「夕食はできるだけ家族全員で」というルールがあり、家にいる者は全員晩餐会に顔を出すことになっています。  この日の晩に現れたのは右頬にガーゼを当てた当主、疲れた様子のノット、目の下に紫色のクマをこしらえたモアでした。  天文塔でお仕事をするルイーズ夫人とリアンは仕事が長引いているようです。改めて繭を食べるリアンを観察したかったのですが。 「サリーナ嬢、いかがかな? 今夜のメインディッシュのお味は」  全員が無言で食べ進める中、当主のギュスターヴだけはご機嫌でした。昨日より、こちらに対する棘が少しばかり取れたように思えます。 「お、美味しいです」  紫の香草(?)が添えられたこの赤身肉は、おそらく美味しいもの。そう己に言い聞かせ、ギュスターヴに微笑みかけた時。  舌があまり動かず、それ以上言葉が出てこなくなりました。ピリッと痺れるようなものを舌先に感じましたが、これはスパイスを利かせた料理だったのでしょうか。肉以外に赤い食材は入っていないように見えましたが。 「ねぇ、これって辛いの?」  隣のノットに小声で問うと、ノットは落ち着かない様子で首を傾げていました。どうしたのか尋ねるも、「何か忘れている気が」と呟くだけです。そんな時、斜め前の席に着いていたモアが立ち上がりました。 「やる事あるから。ご馳走様」 「おやモア、宿題が終わっていないのかな? それとも例の趣味か」  まだギュスターヴが話し続けているにもかかわらず、モアは制服を翻して食堂から出ていきました。彼についてはひとまず置いて、今はこの刺激的なメインを完食することに集中しなければ。  それにしてもコレ、本当に食べられるものなのでしょうね。  ギュスターヴの雑談に応じつつ、隣のノットを案じつつ、何とか食べ終えた後。  部屋に帰る途中の廊下で、疑念の答えは鮮明に現れました。激しい吐き気とめまいの形で。 「のっ……と……」  マダーマム家どころか世界でもっとも信頼できる人物のひとりを探すため、廊下を壁伝いに進みます。  この反応は紛うことなき――毒。  リスク対策をしていなかった自分を殴りたい気分ですが、今はそんなことをしなくても勝手にくたばる状態でしょう。 「……な、さま…………」  今、自分ではない声がしました。歪む視界の中、小さな影が揺らめいています。 「サリーナさま、ご気分はいかがでしょうか」  ようやく焦点が合った先には、小さなメイドさんの姿がありました。 「ま……ちる、だ……?」 「この家では時々、肉料理へのスパイス代わりに毒草を使うのです。失念しておりました……サリーナさまには耐性がおありではないのに」  そんなことはこの際置いて。解毒剤の所在を尋ねると、マチルダは「そんなものございません」、と首を横に振ります。  私は彼女を侮っていました。まだ幼さの残る、しっかりとした女の子――ですが、幼なくとも立派なこの家の使用人だったようです。
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