【第二回 拠点探し】

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【第二回 拠点探し】

 おそらく部屋の片隅。ここはほかと比べて天井が低く、一日中真っ暗闇だ。少し埃っぽいのと、たまにギシギシと天井がうねるのさえ目をつむってしまえば、居心地は悪くない。それどころか、冷たい石の上で寝そべる必要もなく、木のほのかな弾力が私を支える。  丸めていた体を開いて立ち上がる。奥には昨日と同じ、暖かな光の地面が広がっていた。たぶん、これが朝というやつなのだろう。まえにお師匠さまが話していた気がする。  全身を光にさらして、左手で目元に影をつくる。目の奥がジンジンとする。やはり、まだこの光に慣れていないようだ。 「うぇ……人間はこんな光よく耐えれるなぁ」  ようやく景色が鮮明に見え、目の痛みも引いてきた。ぐるっと周りを見渡す。右には私が落ちてきた大きな木の箱、少し歩くと隣の空間にテレビがある。私が知っているのはその程度だけだった。  未知の世界で、未知のものの中から、未知の画面を探し出さねばならない。砂場から特定の砂を一粒だけ探し出せと言われているようなものだ。  そう自覚した瞬間、空気に押しつぶされる感覚に襲われた。とてもちっぽけな存在で、無力なんだと念を押された。それでも潰れることなく、頭の中で思考を繰り返す。 「帰るためには小さい画面を探す必要がある。それを探すためにはこの部屋を調べる必要がある。そのためには……拠点をつくろうっ!!!」  拳を突き上げて、高らかに宣言する。かろうじて残ったお師匠さまを脳の片隅に置いて、ブラブラと歩き出す。人間の姿はなく、物音を発するものも、生き物の気配もない。いつ人間が帰ってくるかわからない。出歩くならいまがいいだろう。  小さくなった体の、長い髪を揺らして、てちてちと歩く。拠点をつくると言ったはいいが、具体的にどうしたいとか、願望も妄想もなかった。 「んー井戸の底みたいな感じ……? でもせっかくだからもっと違うのがいいよねぇ。お師匠さまがびっくらこくようなものがいい……」  ぶつぶつと、頭に思い浮かんだものをそのまま口に出して、自分の考えを整理する。発せられている言葉に文脈などなく、たまに「眠たいな」とか「なんだろうあれ」など、移り気な心を表していた。  遠くに見えた未知のもの。白い布だろうか。なにかを包めて、丸い形をしている。余った部分は無造作に垂れて、その物体は紐でぶら下げられている。はるか上空にあるそれは肉眼でははっきりと見えている。しかし、いまの私にはそこへ辿り着く術はない。  愛くるしいような、不気味なような。もしかしたら仲間かもしれない。ああいう心霊がいるのかもしれない。気づいてくれないかなと目線を送るも、振り向いてくれない。親近感だけが、肌から離れなかった。  釘付けになっていたせいで、目の前に迫る障害に気づかなかった。つま先がこつんとぶつかり、続けざまに頭に衝撃が走る。 「いたた……ん? なにこれ?」  すーっと下から上へ舐め見る。身長の二倍ほどの壁がそびえていた。部屋のど真ん中というのに、なぜ壁があるのだろうか。好奇心に身を任せて、壁に手のひらを滑らせる。横へ行ってすぐ、角が現れ、曲がってみることにした。その先にも壁が続いていた。  壁に手をつけたまま歩いていると、いつのまにか元の場所に戻ってきていた。まさかと思い、ゆっくり、実にゆっくりと後退りする。  横に長い四角形が張り付いたへらべったい箱。光沢がある見た目に反して、手に伝わる感触はとても暖かなものだった。箱の上には白い布のようなものが生えていて、なんとも奇妙な出立ちだった。  ジャンプしても絶妙に届かなかった。頭を左右に振って周囲を探す。ちょうど目の先、壁際近くに赤いものが落ちていた。丸く厚みのあるそれは中身がくり抜かれて、内側を沿うように溝がきざまれていた。私が持ち上げられるほどに軽くて、ちょっとだけ甘い香りがした。  箱のそばまで持ってきて、これを踏み台にする。手を伸ばして、えいっと上を掴む。グッと力を込めてよじ登った。 「なんだろうこれ……大きな……布?」  顔を上げたちょうどその先にそれはあった。一枚の布が複雑なしわを身に纏って箱の中央から飛び出していた。ふーっと息をかけると、布全体がびくびくと揺れた。もう一度息を吹きかけてみる。さらにもう一度。何度やっても、揺れが波のように伝わっていく。  やにわに手を伸ばした。かさりと指にふれたとき、白い布は無抵抗に形を変えた。まるで空気のように触っている感覚が微塵もなかった。両手でえいっと挟み込んでようやく、脳が物体ということを認識した。  もみもみ、くしゅくしゅ。  ぐにゅっと握った瞬間、いとも簡単に指が貫通して、ぐっと引っ張ると破片が手の中に居座った。 「不思議な布……。なにに使うんだろう。服には使えなさそうだし、こんなに柔らかくて薄いなら雨も凌げなさそう……ん? あ、そうか!」  箱の上を走り、面と向かうように場所を移動した。こうしてみると高さも横幅も、私の体からしたら十分に大きかった。改めて自分の発想が天才的であると自負し、鼻を尖らせてふんと鳴らす。 「ふかふかの寝床、それが君の役目だな! さすが私、頭もキレちゃう天才貞子だなぁ。お師匠さまもびっくらこいて、私を褒めてくれる……デュフフ」  早速持って帰ろうと手を伸ばした。しかし、あと紙一枚の距離が遠く、手を振り回して布を寄せようとするも、ふわっと揺れるだけだった。仕方なく横に移動して、さっき破いたところを引っ張った。  今度は破けないように、布を綱に見立てて、両手いっぱいに握った。ぐっと引っ張ると微かに動いた感触がした。足に力を入れて、体重を乗せる。ずずっとすれる音がした。  これならいける、そう確信したとき、支えていた足が滑った。尻餅をつき、体は氷の上を滑るように流れていった。まるでそうなると決まっていたかのように、布が飛び出している穴へ吸い込まれていった。  布に沿って転がり、壁にぶつかった。反射的に痛いと言葉にしたが、体のどこも痛みを感じていなかった。 「布がいっぱい。これ全部一枚……あ、でも途切れてる。中はこんな感じになっていたんだぁ」  立ち上がるとギリギリ頭がつかないくらいの高さだった。床もあの白くて薄い布らしく、その場で足踏みをしてみると、ほどよく沈んで元に戻る。落ちてきた中央の穴に近づき見上げてみる。穴の縁には透明なものが付いていた。光に反射してところどころ虹色に輝く。  試しに飛んでみると、縁に手が届き、ひょこっと顔を外に出すことができた。すーっと布の滑り台を滑って、薄暗い壁際で寝そべる。体の形に合わせて布が沈み、水の中にいるような浮遊感があった。寝返りしなくても、片側だけ痛くなることもない。  パチッと目を開けてみても、この箱の中は暗闇だった。外があんなに明るくても、夜と同じ静けさがここにはあった。井戸の底ほど暗くないが、布の暖かさと柔らかさがあいまって、心はとても落ち着いていた。 「よし決めた……ここを拠点とするっ!!」  宣言した言葉が箱の中身を跳ね回る。布がそれを吸収したことにより、正式に私のものになった、そんな気がした。初めてできた私の居場所。井戸の底以外、世界を知らなかった蛙が一歩外に出て前進したのだ。  体がぞくぞぐと震えるのがわかった。早くお師匠さまに話したいと訴えている。ここが私の寝床であり活動の拠点となった。すべてが私のもの。  早速、動き出した。穴から這い出て、箱の上に立つ。この箱も布と似ていて、石や木のように硬くなく、柔らかな素材だった。その場にしゃがみ込み、爪を立てて、大きく滑らせた。自分のものであると誇示するために、ひらがなで“さだこ”と刻み込んだ。  ゆっくり立ち上がり、深呼吸をする。テレビからの景色ほどとはいかないが、ここからでも部屋がよく見える。自然と背筋が伸びて顎が上がり、ほんの少し、自分が大きくなった気がした。  今度は慣れた動きで箱の中へ帰っていく。心臓のざわめきが治らず、その場を行ったり来たりして、白い布を踏みならす。自画自賛の言葉をつらつらとな選べて、鼻を高くする。 「今日はもう休もうかな。こんなにいい拠点が見つかったし、いつ人間が帰ってくるかわからないしね。それにしてもさいさきいいんじゃない? お師匠さまびっくらこき案件ですよ」  体の前面からバタンと倒れる。こんなことをしてもまったく痛くなかった。くるっと寝返りをうって、天井を見上げる。手を伸ばしてみる。暗くて指の先までははっきりと見えない。この行動に特に意味はない。昔からの癖で、寝そべっているとついやってしまう。  ゆっくり瞼を閉じた。その裏に星を描いていく。井戸の底で何度も妄想した満点の星空。小さな星くずを拾うように伸ばした手で掴んでみる。そのまま空気を掴んだ手を重力に任せて床に叩きつける。布の反発で二度短く跳ねる。  いつの間にか、騒がしかった心臓も静寂を取り戻した。ちらちらと不安が視界に映っていたことも忘れ、体を丸めて呼吸を浅くする。慣れないものに囲まれて、体が休息を欲している。  すぅー、すぅー。  遠のく意識の中、吐息が広がっていく。井戸の底ほどこだませず、外よりも音が近い。私ではないだれかがそばで見守っている、そんな感じがした。 「おししょぉしゃまぁ……」  今日の任務は完了。明日から頑張るんだよ、私。 “ガタン” “ガタガタ” “ギシギシ”  夢とうつつのはざまにいるとき、ふと聞こえてきた音たちがいた。箱の中だと、それがなんなのか、どこから聞こえているのかわからなかった。ドスン、ドスン、と音に合わせて、箱の壁がかすかに震える。  布のおかげで体は無重力のまま。寝返りを打っても、壁に触らなければ、揺れているなんてたぶん気がつかない。半開きの目をふたたび閉じ、背中を丸めて眠りの底へ落ちていこうとする。 “ゾゾゾゾゾ!!!”  天地がひっくり返っていることに気がついたのは少し経ってからだった。寝ていたはず脳は叩き起こされ、状況を把握できずに、ぐるぐると目を回す。  身を任せていた布はずるずると穴に吸い込まれ、一枚、また一枚と数を減らしていった。穴から飛び出していた布は舞うように箱の中に倒れ、あたり一面、布が凪ぐ。 「な、なに起きたの……」  空気を含んだ髪の毛が一瞬ときをとめる。目を箱の片隅にむけ、焦点の合わないそれで残った布の角を眺める。さっきまで、ここは私の敷地だったのに、それがすべてかっさらわれたような気がした。  布たちが消えていった穴に近寄る。おそるおそる覗き込んだそのとき、体が陰に覆われた。確実に見たことのある物体。しかし、自分の体の数倍も大きいと話は変わってくる。  手だ。  箱の中に手を突っ込んでまさぐる。私の存在がばれたのか、怒りで私を攻撃しているのか。行き場をなくし、箱の角にへばりつくことしかできなかった。 「ごめんなさい……! なんでもするから、ここから離れるから!! うううあぁぁ!!」  迫り来る指が私の顔面、紙一重のところに迫る。体の芯から震え出し、鳥の肌に変化する。目をつむっても足りなくて、必要以上の力でさらに瞼を閉じた。ここで貞子人生が終わる。そのことがよぎり、感情が背中を這い上がる。目を閉じているというのに涙が溢れる。足元の布に雫が落ちてじんわりとにじむ。  まだか、まだこないか。なぶられるくらいなら、さっさとひと想いにやってほしい。不安な時間が長ければ長いほど、精神がすり減る。多少のいらだちも湧き起こる。 “ゴソゴソ”  足元の布が引っ張られる。ひとしきり、騒音が鳴り響いたあと、ぱたりと静けさを取り戻した。体を縮こませたまま、ゆっくりと目を開ける。そこには元の世界が広がっていた。布は減っていたが、中央の穴から布が飛び出し、白く神々しい光をまとっていた。  かろうじて、全力で飛べば穴の縁に手が届く。布がこれ以上減ってしまうと、外へ出られず、箱の中で一生を過ごすことになるかもしれない。人間の気配はもうない。脱出するなら今が、いや今しかなかった。 「ここにはもう住めない。けどなぁ、せっかくこんなふわふわで暗くて落ち着く場所なのにもったいないよなぁ。名前も書いたし、手放したくない。けどなぁ……」  論理的な自分と、もしかしたらどうにかなると希望的観測をする自分で意見が交差する。いつ人間がまた布を奪っていくかわからない。決断に残された時間はちびっとしかない。  壁に両手をついて頭をガシガシと叩きつける。その勢いのまま、床に土下座するように頭をガシガシと叩きつける。もちろんそれで解決するわけもない。ただ、頭の中をすべて追い出して、このじれったさを解消したかった。  床の布数枚が破けていた。しきりに頭を動かしていたせいで、体力が尽きているのに気がつかなかった。正座をし、腕は横に流し、頭を埋めた状態で白い煙を上げていた。 ——燃え尽きた……真っ白というか真っ黒というか……。  指一本でさえ動かすのがおっくうになる。あーっと微かに声帯が擦れている音がたらたらと漏れる。 “ゾ……ゾゾゾ!!”  またあのときと同じ、布が奪われる音が鳴り響いた。 「え、あ……」  布が引っ張られるとともに、私の首に食い込む。穴の開いた布に首を突っ込んだまま、凄まじい速度で上昇する。呼吸もできず、体がかちんと固まって、どうにかしようと思ったときには外に出ていた。  温かい光はそこになく、ただ色があるだけの世界が広がっていた。肌に感じるものがないだけで景色はまったく別物に見える。呑気に目を開けていると、びりっと首を支えていた布がついに破れた。箱にぶつかり、地面を転がる。体の痛みよりも、近くに人間がいることのほうが怖くて、脇目もふらず足を動かした。 「ごめんなさぁぁぁぁい!!!」  陰を探してそこに吸い込まれていく。暗闇のさらに奥のほう、壁と床の間に身をねじ込ませてガタガタと体を震わせる。あの快適な箱にはもう戻れなくなってしまった。一度手にしたものが離れてしまい、ぽっかりと穴が開く。それを埋めるように不安と悔しさがゆっくり流れ込んでくる。  落ちる瞬間、握りしめていた布の切れ端がここにある。赤ちゃんに触れるように、指で撫でる。ほんの少し暖かかった。ゆっくり壊れないように頬に近づけ、ぬくもりを直接得る。  涙で濡れた肌にぴたりと張り付く。いまこの世界で、私に寄り添ってくれるのはこの子だけみたい。薄くて破れやすい真っ白な布。この子は涙を拭き取るのに使うのかもしれない。  結局成果はあげられず、初日と同じ、どこかの片隅で人間がいなくなるのを待つ。明日の予定を考えるほど余裕はなかった。明日のことは、明日の自分がどうにかしてくれる。なにもかも砕けて意気消沈の私は、布がくれる肌触りにだけ集中することにした。
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