【第七回 泣き虫口裂け女】

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【第七回 泣き虫口裂け女】

「……たぁすぁけぇてぇぇぇ!!」  唐突に響き渡る叫び声が耳をつんざく。聞き間違いかとひき子の顔をうかがったが、どうやら確かなようだった。耳をそばだてて、あたりを見渡す。それらしい人影は見当たらなかった。  また声が聞こえた。ちらとその方向に顔を向ける。私の足がとらわれたトンネルの向こうだった。 「ま、まさかこんなところにいるわけないわよね……」 「……あぁぁぁぁぁぁ!!」  言葉にならないうなり声が暗闇から聞こえる。目を背けようとした私たちを引き止めるように、喉の奥をがらがらと鳴らす。  姿が見えなければ、助けようもない。それにここ床はネバネバで歩くことも困難だ。私とひき子は目配せをして意思疎通を図る。ほんの少し怪訝な表情をした彼女は前屈みになって苦悩の声を漏らす。  ここで見捨てるのもばつが悪く、半ばため息の決意をする。 「さてと、じゃあネズミさんを引っ張り出しますか」 「ネズミ!?」 「たとえよ。貞子、そっち側持ってくれる?」  腰を下ろして箱の縁を持った。まずはこれを移動させるらしい。ひき子の掛け声で体重を後ろにかけた。息を止めて顔が果実のように真っ赤になるまで力を込めた。しかし、ひき子と私の力を持ってしてでも、箱はずれる程度にしか動かなかった。  尻餅をついて呼吸を整える。どくどくと血液が耳の奥を叩く音が聞こえた。 「なにか引っかかってるわね。これじゃあどうしようもないわ」 「……わぁうあぅあぅあぅぅぅぁぁ!」  諦めかけたときにまた声が飛んでくる。もはやそれは会話に等しく、向こうは私たちの姿が見えてるんじゃないかと思わせた。  びくともしない箱の前で腕を組んで思考する。しばらくすると、慣れない頭脳を使いすぎたせいで頭から煙が出た。このまま答えが出ないんじゃないかと、考えるのをやめようとしたとき、ひき子のあっという間のぬけた声に意識を持っていかれる。 「あれがあればいけるかもしれない」 「あれって?」 「ふっふっふー、ついてきなさい」  両手に抱えきれないほどの荷物を持って戻ってきた。重さは全然ないのに、大きさだけは一丁前にある。昔拠点にしていた白い布が入っている箱から失敬してきた。ひき子はこれをティッシュと言っていた。  大量のティッシュとひきこが持っている紐で、闇に潜む声の主を救助するらしい。入り口の近くにティッシュを置き、一枚手に取り、半分に折って、もう一回同じ方向に折った。一反木綿になったティッシュをはじからくるくると巻いていき、ひとつの塊にする。それをネバネバの上にのせころころ転がして道を作った。 「貞子ー、いけそう?」 「うん大丈夫ー」  紐に先端を持ち、暗闇を進んでいく。道がなくなったら、また戻ってティッシュを持っていく。折り畳まなくても何枚も敷き詰めれば破けないことに気がつき、床全体を白い絨毯に模様替えした。  そろそろはじまで来ただろうか。光がまったく届かず、目の先数歩も見えなかった。壁にぶつかるんじゃないかという恐怖がたびたびやってくる。手のひらを突き出して文字どおり手探りで奥を目指す。  ティッシュを敷き詰めようとしたとき、不自然な形で空中に止まった。まるでそこに球体があるようだった。恐る恐る近づいて手で触ってみると、確かな感触があった。ティッシュを剥がし、手で輪っかを作って覗き込んだ。暗くてよく見えず、瞳孔が大きく開かれていた。そのときだった……。 「だずげでぇぇぇぇ……」 「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」  視界が急に顔面で覆い尽くされた。腰に力が入らず、四つん這いで出口に向かった。体の構造など関係なく、がむしゃらに、心霊のごとく四肢を動かした。あともう少し、もう少しで出口だ。迫りつつある光に飛び込むように大きく跳躍した。  ひき子は私を見て、まるで心霊に遭遇したように青ざめていた。そんな彼女などお構いなしに勢いのまま抱きついた。 「うわぁぁ!! 急に出てきたと思えばどうしたのよ!!」 「お、おばば……おばけがぁぁ」 「おばけ? あんたもおばけみたいなもんでしょ。まったく、しょうがないわね。ほら行くわよ」  ひき子の背中に隠れて洞窟の奥に戻っていく。尻込みしない彼女の足取りは速く、ちょっとでもつまずけば置いていかれそうだった。  白い床が途切れたところ、そこにやつがいる。近づくにつれて後悔が心臓を焦らせる。直視するのが怖くて、ほとんど背中に身を隠し、目をつぶっていた。ぺちぺちと球体を叩いているひき子があーっと息を吐き出す。ひっつき虫を剥がして指示を出した。 「残りのティッシュを敷いて、後ろから押しましょ。転がすくらいなら無理やりでもいけそうだわ」  敷きそびれたティッシュをふたりで置いていく。球体の周りとその後ろ側、足がベタつかないように足で確認しながらの作業だ。  後ろに回り込み、ひき子のかけ声に合わせて力を込めると、球体は存外あっけなく転がり出した。 「ここベタつくから気をつけて」  天井と球体が擦れる音が鳴り響く。たまにくっついてしまい、そのつど力を入れ直した。中にいるおばけは相変わらずうーうーとうなっている。ころころと転がっていき、光を浴びる。そこで初めて、この球体とおばけの正体がわかった。  半透明の二色に分かれている球体で、見るのは三度目だった。赤色のカプセル。そのなかにひとりの少女が閉じ込められていた。口元を布で隠して、大きな赤い上着を羽織り、髪の毛を左右に分けてゆるく結んでいる。  しきりに目を潤わせて、小さく縮こまっていた。 「なんか、この状況見たことあるわね」 「ひでぶ」 「デジャブよ」  慣れた手つきでひき子はカプセルを開けた。外に出れるというのに、少女はその場から動こうとしなかった。ぺたりとカプセルの中に座り込んで、目を合わせようとせずすすり泣いていた。  ひき子と目があった。言葉のないやりとりが続き、議論は白熱した。結果としてどららも声をかけるのを諦め、少女を置いていくことにした。  スマートウォッチを手に入れるために、いまはあの机に登る方法を探さねばならない。ほんの少し心が痛むが、あのときの顔がトラウマになってしまって、足はゆっくり遠ざかるほうに刻んでいく。 「ねぇ……なんかついてきてない?」 「そうだね」  後ろを振り返ると、先ほどまで黙っていた少女が歩いてついてきていた。右へ左へ歩く私たちに合わせて、同じく右へ左へ舵をきる。決して近づきすぎず、一定の距離を保ち続けていた。  止まれば向こうも止まる。少女のほうに歩けば遠ざかっていく。さきまで得体の知れない無知の恐怖が留まっていたが、いまはそれがいらだちに変わっている。とくにひき子は顔が変形し始めている。それを見て、やたら冷静になる自分がいた。  とうとう痺れを切らし、立ち止まって後ろを振り向いた。 「あんたなんでついてきてんのよ。いいことないわよ」 「……」  それでも彼女は言葉を発しなかった。ますますひき子が鬼の形相になり、はたにいる私が肝を冷やす。このままではらちがあかず、歩み寄ることを決心した。  一歩ずつ丁寧に足を運び、彼女から目を離さず、驚かさないように距離を詰めた。さながら動物と対峙しているようで、少しでも警戒されれば飛んで逃げていきそうだった。手になにも持っていないことを証明しながら、確実に近づく。  彼女の目の前でしゃがみ込み、目線を上げる。 「私は貞子、彼女はひき子っていうの。あなたの名前は?」 「……名前、ない」  弱々しく、かすみのような声だった。涙は依然として目元にためているが、言葉を返してくれたことに安堵する。  遠くで待っているひき子を呼び寄せ、三人で会話できるか試みる。と、ひき子が彼女を見つめて黙り込んだ。やにわに口元の布に手を伸ばし下ろした。そこには大きく裂けた口と鋭い歯が並んでいた。 「やっぱり、あなた口裂け女ね」 「くちさけおんな?」  少女は嫌がるように顔を背け、手早く布で口元を隠した。ひき子は口裂け女について説明をしてくれた。話から想像される恐ろしさと大人な印象、それと目の前にいる少女はかけ離れていた。さしずめ、私たちと同じ心霊の子どもというところだろうか。  少女の上着は大きすぎて、床をすっている。袖も長すぎて手が出てなく、手をあげても 袖口は下を向いていた。  次第に慣れてきたのか、涙は止まっており、たどたどしくでも言葉を発するようになった。 「あ、ひき子。この子名前がないんだって。つけてあげようよ」 「名前? そんなの口裂け女でいいじゃない」 「えーそんなのかわいそうだよ」 「あたしと貞子はどうなのよ……」   会話をするうえで名前がないと不便だと、ひき子はしぶしぶ頭を働かせた。  くちさけ、くっちー、さけ、ますく、ちび、おんな、あかずきん……。  候補は出てきたが、ほとんど納得がいかず、途中から大喜利が始まってしまった。ぬまる名付けをいったん中止し、しばらくしてからあらためてしっかりと考えた。 「ちさ……。口裂け女だから、“ちさ”ってのはどう?」 「あんちょくじゃない??」 「……」  少女の目は輝くように潤っていた。目を見開いて、ちさという言葉に反応している、そんな気がした。もう一度言ってみると、「うう」とうなりを発した。それから何度やっても同じ答えが返ってきた。  この瞬間から、少女の名前はちさに決まった。若干納得のいかないひき子はため息をついて先を急ごうと足を動かす。 「ちさ、どうする? どうせ行くとこないなら、一緒に貞子の実家でも行く?」 「え、待って。なんでそんな話に……」 「……! ちさ、貞子、行く!」 「決まりみたいね。よおーし! さっさとスマートウォッチ見つけて、ニート生活極めるわよー!」  私のいないところで勝手に話が進み、ひき子もちさも、画面の奥に行くことになってしまった。急に足取りが重くなり、背中にうっすら冷や汗をまとう。  立ち止まっていると、ちさが服を引っ張ってきた。赤子のようなうなり声でなにか訴えてきている。耳をそばだてて彼女の表情や仕草から内容を読み取る。 「うっち、うっち」  え、っと声を漏らした。ちさが伝えたいことがこれなのか半信半疑で、たまらずひき子を呼び寄せた。 「どうしたのよ。なんかいい道具でも……」 「場所わかるって。スマートウォッチの」  ひき子も、私と同じく鉄砲でうたれたように目を丸くした。ちさに詳しく聞いてみると、どうやらあの机の上ではないらしい。別なところでちらっと姿を見かけたそうだ。  ちさに手を引かれ、導かれるままに歩いていく。ひんやりする場所から、光が床を照らす部屋へ行く。そこは見飽きるほど歩き回ったところだ。テレビと机があり、毛の生えた布が敷いてある。  ちさは歩みを止めて、手をぐっぐっと引いた。目的の場所に着いたらしい。彼女が指さすほうには机があった。 「この上にあるっていうの?」 「うっち、ある」  自信満々に両手を上げているちさが嘘をついているとは思えなかった。しかし、この上にあるというのもにわかには信じがたかった。それはひき子も同じようで、上着に手を突っ込み、首を傾げていた。  反応が悪い私たちを察したのか、ちさの目にみるみる涙が溜まっていく。 「あぁべ、別に疑ってないわよ! ただ昼間にあるわけないよなって思って」  「そそそ、ちょっと考えにくいかなぁって」  ちさは声を上げて泣き出した。赤子のような白肌に雫が垂れる。呼吸しづらそうに、口元の布は隆起と陥没を繰り返す。宥めようとしても声は届かず、途方に暮れかけていた。 「そうだ! 確かめればいいんだよ。テレビの上からなら机にあるかどうかわかるよ」 「それはそうだけど、あんなのどうやって登るのよ」 「大丈夫、私一回登ってるから」  胸をドンと叩いき、ふたりをテレビの配線が張り巡らされているところへ引き連れる。指をさしながら記憶を頼りに案内をする。勘のいいひき子はすぐに納得し、登る準備を始める。  先頭を私が担い、その後ろをちさ、ひき子の順で登っていく。ときおり背後を確認しながら、登る速さを調整する。ちさの腕力は私より弱く、ひき子が支えながら登っていった。泣き虫の彼女は目に涙を浮かべながらも、決して弱音は吐かなかった。健気な彼女を見ていると、活力が湧いてきた。同時にほんの少し、ひき子の気持ちがわかった気がした。  頂上につき、三人横並びにテレビの縁に座る。眉頭をくっつけて目を凝らすと、空き箱のほかに、確かにスマートウォッチが置かれていた。 「ほんとにあったわね。なんか疑ってごめんね」 「ちさ、気にしない」  存在を確かめ合い、三人は次の話題を話し始めた。どうやって机の上まで行くのか。  机の足を登るのは不可能。もちろん、二頭身な三人の力を合わせて机を揺らすないしひっくり返すのも候補に出た。しかしそれは現実的ではないとすぐに却下された。だとするなら、どこからか飛び移るしか方法はなかった。 「ソファっていっても、そもそもソファには登れないしなぁ。青だぬきがいればすぐ解決するのに」 「たぬき? え、化かされてないそれ?」  部屋の中心に配置してある机にどうやって飛び移るのか、議論は難航し始めた。ひき子は独り言が多くなり、ちさはぼーっとあさっての方向を見つめていた。とうの私は考えるのを放棄し、机の上の空き箱が気になって、世紀末のような顔で目を凝らしていた。  しばし時間が流れ、ひき子を残して、飽きたふたりはしりとりを始めた。 「ティッシュ」 「しゅーまい」 「いど」 「どーろ」  私の語彙力がないのか、ちさの回答が実在するのかわからなかった。話すときは単語しか言わず、勝手に同じほどの脳みそだと思っていたが、そうではないようだ。勝敗がついていないうちに、ちょっとした敗北感を感じていた。  不思議と続いているしりとりに胸が躍る。お師匠さまとやると、毎回二、三度言葉を返したら私が勝って、お師匠さまがそそくさとお帰りになるのだ。これほどまでの接戦を繰り広げるのなら、もしかしたら、ちさもしりとりの才能があるのかもしれない。 「任務」 「むささび」 「あんたらいい加減に……ちょっとまって。いまなんて言った?」  きょとんとする私とちさ。ちさがもう一度「むささび」と答えると、ひき子は数秒のちひらめくように高い声を発した。彼女いわく名案が浮かんだらしい。  それの準備をするために一度下に降りることにした。  準備が終わり、またテレビの縁に舞い戻ってきた。大きなビニールの袋を正方形に破り、左右の手首と手足に四つ角を結びつけた。まるでテレビの特撮のように、胸を張って腰に手をつけたい気分だった。 「テレビの向こうからやってきた、貞子ブルー!」 「みんなのヒロイン、ひき子グリーン!」 「ちさ、れっど」 「「「我ら、むささびーず!!」」」  ドカーンとド派手な爆発と文字が背景の役割を担った。  井戸の底でお師匠さまに聞いてからやってみたいと思っていた。まさかここで叶うとは思わず、胸のわくわくが止まらなかった。おのおの適当にポーズを取っているが、これが正しいのかわからない。 「自分でヒロインって言うんだね」 「い、いいでしょ別に! 思いつかなかったのよ……。それより、机の上に行けるかどうか試すわよ」  手をばさっと振って布が絡まっていないことを確認する。正直なことを言うと、この布に命を預けられるほど絶対の信頼は持っていなかった。いくらここから落ちたことがあるとはいえ、痛いものは痛い。  隣を見てみると、考案者のひき子ですら膝が震えていた。ちさはとうの前から涙目だ。ここにいるみんな、同じ気持ちなんだ。みんな、私のために頑張ってくれているんだ。  拳を握って深く息を吸う。心臓が早鐘を打つかたわら、人肌のような暖かいものが恐怖心を包み込んでいた。ちっぽけな勇気をふたりが補ってくれた。いましかない。 「逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ! 貞子、いっきまーす!!」  勢いよくテレビを蹴っ飛ばし、空中に身を投げ出す。作戦どおり、怖くても必死で手足をピンと伸ばした。それでもまだ自由落下している。地面が近づく。やはりだめだったかと諦めかけたそのとき、布が大きく膨らんだ。  強い力で後ろに引っ張られ、落下速度は急激に落ちた。空中を漂う感覚がなんとも不思議で、夢の中にいるようだった。それを堪能する暇もなく、上下左右の傾き加減を絶妙に調節しながら机を目指す。  あともう少し、あともう少しで手が届く。机の縁ギリギリに足がつき、見事飛び移ることに成功した。 「やった……。私やったんだ。おーい!! 私ついたよー!!」  まるで小動物のように飛び跳ねて大きく手を振る。くっしゃくしゃになった笑顔はおそらくあのふたりに見られてしまっただろう。しかしそれでもよかった。胸のざわめきは治ることなく、心臓はせわしなく動き続けた。何度も拳を握ってよしっと達成感に浸っていた。  そのあと、ひき子がやってきた。さすが運動神経がいいだけあって、安定したまま机の中央へ着地した。続いてちさが飛んできた。机の手前で落ちそうになったのをひき子とふたりで引き上げ、無事全員が机の上にたどり着いた。  みんながみんなを褒め称え、手を取り合ってよろこびを分かち合った。二頭身でも、井戸の底出身でもできるんだと、鎖のような強い自信がまかれた。  手足に結ばれた布を助け合いながら外し、目的であるスマートウォッチを目指した。 「こ、これがスマートウォッチ……」  想像していたよりも小さく、厚みも百円玉を四枚重ねたよりも薄かった。ひき子が言っていた機能が本当にこんなびたせんに詰まっているのかとはなはだ疑問だった。  ひとつ確かなことは、黒く光っている四角形の物体は間違いなく画面であるということ。テレビと同じ光沢が浮き出ており、顔を覗かせたら自分の顔が反射して映る。これが、私が出てきた画面。この向こうに井戸の底がある。  急に頭が冷たくなり、体が自然と後退りをした。歪んだ表情を見られまいと、ふたりに背を向ける。 「ちさ、貞子の世界に行ったらなにがしたい?」 「鬼ごっこ、だるまさん、ころばす」  私を放っておいてふたりでイチャイチャしている。黄色い声が響き渡るなか、青鼠色のベールをまとっている。そのベールをむしり取るように声をかけてきたのはひき子だった。  このうえなく純粋無垢な笑みを浮かべて、異世界への家出を心待ちにしている。 「貞子、私たちは準備できてるわ。いつでもおーけーよ」 「おーきー、どーきー」  肩を並べるのは親指と人差し指で丸を作って私に見せびらかしているちさだ。彼女もまた、私の世界に行くのが楽しみなのだろう。ふたりの期待が嫌というほど伝わってきた。  口を開くこともできず、姿のない圧力に押されてスマートウォッチを拝む。軽く手をかざして手触りを確認する。これは画面じゃないと雀の涙の期待をもったが、間違いなく画面だった。それも、私の体がぴったり出てきそうな大きさのそれだった。  恐る恐る手のひらをついた。 ——確かめるだけ……。  ほんの少し能力を使ってみる。頭の片隅に、もしかしたら別の画面なんじゃないかと妄想がかすめたのだ。頭の中で必死に言い訳を考える。これが本当に目的の画面だった場合とそうでない場合。無駄なことだってわかっていたが、後ろからの圧力に耐えられそうになかった。  ふっと息っを吐く。画面に変化は現れなかった。あれっと思い、今度はしっかりと能力を使ってみるが、やはり結果は変わらなかった。体が急に軽くなり、口数もどんと増える。 「貞子……」 「ごめん! わざとじゃないよ? ほら見て、力入れても全然……」  声を低めるひき子は目元に陰を宿していた。言葉でまくしたてようとするが、それ以上口も開かず近寄ってきた。殴られると体が反応し、ぐっと身構えた。  しばらく経っても痛みはやってこない。やにわに目を開けると、なにやらスマートウォッチを注意深く見ているひき子がいた。画面を叩いたり、出っ張りを押してみたり、ひっくり返して隅々まで手をつけた。行動が不気味で、せめてなにをしているのか説明がほしいちょうど、彼女は振り向いた。 「これ……充電切れよ」 「「充電、ぎれ??」」
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