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志帆の仕事が終わってから会う約束をした。学習塾の定時は22時との事で、僕は先に居酒屋で一杯やっつけた。勢いというか、躊躇を吹き飛ばすには丁度良かった。
22時半に席だけ予約を取っていたBARで先に待っていると、グレーの細身のパンツスーツ姿の志帆が現れた。「久し振り」手を上げて微笑みながら、彼女は重そうなトートバッグを足下に置いて席についた。
「教材をね、読み込まないといけないからね。重くて大変なの」
駆け付けのロングカクテルは、そんな志帆の愚痴と共に飲み干された。
午前は自宅で授業の下準備をして昼から仕事に行くだとか、このひと月は自炊をしてないとか、三杯目まではそんな話を聞いていた。
以前のように目を細めながら言う愚痴も、何だか楽しげに聞こえた。
大変と言いながら充実の毎日を過ごしているのが伝わり、嬉しい気持ちが僕の胸にも湧いた。
「元気そうでよかった」
「うん。あ、私ばっかりごめん。柊ちゃんは、元気だった?」
四杯目の前に、忘れていた乾杯を交わす。
互いに炭酸の効いたロングカクテルを注文していて、グラスの当たる音とともに中の液体が泡立った。
僕も、元気だよ。仕事はまだまだだけど、やりがいがある。そんな話をしたような気がするが、はじめの一人酒を飲み過ぎたのか、段々と酔いが言葉の語尾を狂わせ始めていた。
「本当は……そんな毎日も、志帆がそばにいてくれればいいのに、って思ってた」
「うん」
以前の志帆と変わっていなかった。
僕のそんな女々しい言葉にも、澱みなく返事を返してきた。
「志帆は? どう思ってた?」
積み上げたもの、確固たるものの象徴を、志帆に見ていた。
揺るぎなくて、何にも惑わされない僕等の時間は、実は何も変わっていないのではないか、と。
酔いが、忘れたい事を隠していく。
それは赦免ではなく、まるで綺麗な泡で覆って見えなくしていくような。
「夢を見たの。
元日にみた、あれは初夢だったのかな」
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