34人が本棚に入れています
本棚に追加
第1部・プロローグ
息を切らして走っていた。
とにかく逃げないと、龍神に殺されてしまう……!
命の危機も感じていた。目の前は真っ暗で暗闇しかない。しかし、後戻りはできない。
たぶん、私の着ている寝巻きは脱げかけて長い髪も乱れてひどい有様だろう。走っているうちに下駄は脱げて、裸足だった。
身体を動かすたびに足の裏は痛むが、龍神に捕まるわけにはいかなかった。
龍神は、私の夫のはずだった。身寄りがなく、生贄として捧げられた私をまるで真綿で包む様に溺愛してくれたのに。
綺麗な着物を山ほど与えてくれて、優しく髪の毛を撫でられた。食べ切れないほどの料理もご馳走も与えてくれたし、私が何か言わなくても先回りして色々と察して優しくしてくれた。
優しい、優しい龍神様。私の夫は人間ではないのに、一緒に暮らすうちにすっかり忘れていた。
私の旦那さまは、龍神様ではなかったし、そもそも神様でもなかった。
あの男は悪魔だった。
ある晩、私は見てしまった。
あの男は頭にツノを生やし、男なのに何故か女のような胸をがあり、下半身だけは男だった。
あまりにも人間離れした姿に私は言葉を失った。
しかもあの男は、人間の子供を食べていた。口元は鮮やかな血で染まり、牙も剥いている。
銀色の髪が美しくて優しい旦那さまの姿はどこにもなかった。悪魔という存在は、はっきりとはわからないのに、この男が悪魔である事は腑に落ちてしまった。
むしろ今までこの男に殺されなかった事になぜ疑問を持っていなかったのだろうか。
「志乃」
「い、いや…」
優しいと思っていた龍神様の声だが、今は恐怖心しか感じない。
「志乃、どうしたんだい?」
「あ、あなたこそ、何で子供を食べ……」
恐怖心に駆られながらも何とか言葉を出す。
「は? 何言っているんだよ、志乃。お前だって、こうなる為に生贄として捧げられたんだろう?」
「い、嫌……!」
私はどうにかそう叫ぶと、全力で逃げ出す。
広い屋敷の中をめちゃくちゃに走り、裏口から出る。しかし、あの男に攫われる直前の記憶もあまり思い出せず、どこへ行けば良いのかわからない。
目の前は暗闇だけ。
とにかく走って逃げる事以外が全くできなかった。そうしなければあの男に殺されてしまう。
身体中が痛い。意識は切れかけていたが、こんな事も思う。
悪魔がいるのなら、神様もいるの?
その可能性はある気がした。あの男は龍神と言われていたが、神様ではない。神様が子供を殺して食べる事などをするはずはない。
もし本当の神様がいるのなら……。
祈るような気持ちだった。
最初のコメントを投稿しよう!