第1部・火因村編

1/5
28人が本棚に入れています
本棚に追加
/110ページ

第1部・火因村編

「全く可愛げがない娘だねぇ……」  奥様の声が響いた。  ここは関東にとある農村・火因村の佐竹家の屋敷だった。  この時代には珍しく洋風の建物だ。鮮やかなステンドグラスがあるホールがあるし、畳ではなくカーペットがひかれ、ソファやベッドなど珍しい西洋風の家具が設置されている。  奥様も髪の毛を短めに切り、いつも洋装だ。16歳になる娘の絵里麻もそうだ。世間ではこう言った服装の女性は「新しい女」とか「モガ」というらしいが、私には無縁の事だった。使い古しで、つぎあてがされた木綿の着物しか持っていない。  私はこの屋敷の下働きの娘である。両親が亡くなり、親戚であるこの左竹家に引き取れらたが、その生活は決して楽ではなかった。  毎日ヘトヘトになるまでこき使われ、失敗すると奥様の嫌味が飛んできて、絵里麻に食事を取られる。絵里麻は私と同じ歳の娘だが、癇癪持ちでよく八つ当たりをされた。  今日もこの屋敷の廊下に小さな虫が落ちていたので、奥様に叱られていた。  確か綺麗に掃除たはずだったが、どこからか虫が入ってきたのかもしれない。  一応その事を言おうかとも思ったが、口答えするなと怒られるのが関の山だ。グッと奥歯を噛み、嵐がすぎるのを待つより他ない。 「全く薄汚い娘だわ。龍神様の神社に置いてこようかしらねぇ」 「そんな……」 「冗談よ。いくら龍神様でもこんな薄汚い娘なんて食べないでしょ。全く視界に入れるのも気持ち悪いわ。行きなさい!」  奥様に命令されて、私は本邸を退き、女中部屋のある離れに向かった。  離れは木造の日本家屋で戻ると安心する。世間ではどんどん西洋化していくが、私はさっぱり馴染めない  女中部屋に行くと、人参やジャガイモの皮むきの仕事をする事になった。女中頭の真野さんと一緒だ、真野さんはでっぷりと太り、お腹に子供でもいそうな体格だが、60代だ。髪の毛はあちこち白くなっている。この屋敷では唯一私に普通に接してくれる人だった。  私達は黙々と人参やジャガイモの皮を落としていた。近所の農家から仕入れたものではあるが、いつもより形が小さく感じた。火因村は農村なので、野菜に困ったことはないが、この様子を見ていると今年は豊作かどうか不安になってきた。 「真野さん、今年は不作かしら」 「さあ、どうだがね。去年はいっぱいとれたが、今年はな」  真野さんは、窓の外をチラリと見る。分厚い雲が覆っていて、天気は良くない。このところ毎日天気はよくなかった。今は秋で梅雨でもないのに、夜になるとしとしとと鬱陶しい雨が降り続いていた。 「最近の雨は神様が泣いているような雨だべ」 「そうですか?」 「そうだべ」  真野さんの言葉使いは少し鈍っていた。私は一応両親がいきていた時は、お嬢様扱いされて育ったので標準語であったが。 「ね、真野さん。神様っている?」  この村の神社には、龍神様が祀られていた。水と豊作の神様で、春と秋にこの村のみんなでお祭りをして神様をもてなす。  ただ、よくない噂もある。  龍神様は、子供や若い娘を誘拐して殺しているという噂もあった。昔は、龍神様の子供や若い女を捧げると、その代償で天気が良くなり、食物もよく育つといわれていた。その為に龍神様が祀られている神社に子供や若い娘を生贄として置き去りにする習わしもあったらしい。この村の伝わる噂であるので、実際はどうかわからないが。 「さあ、そんなのは知らんべ」  真野さんはちょっと手を休めて、じゃがいもの皮をまとめてごみ袋に入れる。 「でも悪い事はすんじゃないっぺ。お天道様がみてるべ」 「お天道様って神様?」 「さあ。でも天と人間の心は一体だべ。おいらのばっちゃんが言ってた」  私はジャガイモの皮を剥く手を休めずの考える。  死んだ母から「天神合一」という中国の思想を聞かされた事を思い出す。天と人の心は一つという考えで、雨や台風のとき、母は「お天気の神様が怒ってるのかも知れんね」と苦笑していた。死んだ父に聞くと今の時代はこう言った考えをする方が一般的だそうで、日本には西洋のようにはっきりとした万物の創造主である「神様」は居ないと笑っていた。 「志乃は、神様に興味があるんべか?」 「そうじゃないけど、恵まれている人間とそうでない人間がいるのは何でだろうって疑問だった」  例えば、私とこの家の娘の絵里麻の境遇の差はなんだろう。絵里麻は地主の娘として何一つ不自由なく生活している。一方、私は両親を失いお嬢様から転落の一途を辿っている。  泥だらけでゴツゴツとした自分の指先を見て思う。 「本当の公平で義なる神様がいるなら、何で私はこうなのかしら?」 「わからんな。でも神様のお決めになったことだっぺ。この村の龍神様に願えば聞いてくれるがな?」  真野さんは私の身の上を同情しながら言う。結局のところ、これは運のようだ。今更嘆いても仕方がないのかも知れない。生きているだけでも儲け物と思っていた方が良いのかも知れない。 「そういや、藤沢さんちの子が行方不明だっぺよ。志乃は、何か知らんか?」 「藤沢さんちの?」  近所の農家の息子だ。太郎くんという名前で、ほっぺたが林檎のように真っ赤で可愛い子だった。 「居なくなったって本当?」 「そうだべ。どこ行ったんがな」 「心配ね」  太郎くんを探しに行きたいのは山々だったが、女中の仕事がいっぱい残っていた。  とはいえ、夕飯の片付けが終わると時間があいた。私は奥様の目を盗んで、太郎くんを探しに行く事にした。
/110ページ

最初のコメントを投稿しよう!