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もうすぐ春休みだし、その前にクラスで花見をしようという話になったとき、三浦乃恵は真っ先に不参加を表明した。
「桜とか無理。行かない」
乃恵は普段から愛想のない子だったが、ほとんど吐き捨てるように言ったものだから提案したクラスの女子たちはムッとした顔になった。
「なんだよ。せっかくこのクラスで最後の集まりなのに」
「いいじゃん。三浦。別に来なくていいから」
「言い方あんじゃん。桜嫌いとかマジで日本人?」
「三浦なんか放っておいて行こ行こ」
何を言われても乃恵本人は平然とした顔で「いってら」なんて言って本を読み始めた。みんな、乃恵の愛想の悪さなんて慣れっこになっていたのでムッとした女子たちもすぐに乃恵のことなど放っておいてこまごま計画を立て始めた。この場でがっかりしたのは多分俺、関夏樹だけだろう。
(三浦がいないんじゃしょうがないな)
ここまで書けば察してくれるひともいるだろうが、俺は三浦乃恵が好きだった。不愛想でマイペースで空気なんかひとかけらも読まないけど、言われたことはきっちりやるし、手を抜かない。嫌なことは嫌だと言う。この性格のお陰でクラスのいじめが何度か阻止された。何せ「あいつシカトな」を堂々と破るわ、集団で誰かがからかわれてるのを見て「うわあ。いじめだ。本物初めて見たー」とわざわざそばに来てスマホ構えて「続けてー」なんて言うわ、なにか嫌なことを言われれば「超傷ついた」とそのまま下校してその辺の原っぱで昼寝するわともうやりたい放題。これではいじめは成立しない。エスカレートする前にその芽を摘み取ってしまうのだから。
でも、学校行事には割と真面目に参加する。足は遅いけど体育祭の時はすごく一生懸命走るし、結構大声で応援する。合唱コンクールの時も、歌も上手くないなりに熱心に練習するし、歌の上手い子を捕まえて「どうやるの?」なんて聞いたりする。その姿を見ていじめっ子予備軍たちもついつい感動なんかしちゃってこれまたどうもいじめのターゲットにならない。その内、みんな仲良くとまではいかないがなんとなくいじめは起こらなくなってしまった。
不愛想なのは変わらないから友達の多い方じゃないけど、隠れファンは多い。俺もそのひとりだ。いや、正直に言えば恋してる。俺は一生懸命でわかりにくいけど優しい三浦乃恵が好きだ。乃恵がいない花見なんてどう考えてもつまらない。
(けどどうして行かないんだろう。桜嫌いなのかな)
学校行事にも友達の集まりにも顔を出すのに花見の何が嫌なんだろう。確かにわいわい楽しむタイプではないけど、桜見たりして彼女なりに楽しめると思うのだけれど。
とにかく花見だお菓子だと盛り上がるクラスメイトをよそに俺はがっかりしていた。最後のクラス行事に三浦に会えないなんてそんなつまんないことがあるだろうか。
花見がいよいよ明日に迫った日、俺は用事があってホームルームが終わるとほぼ同時に教室から出た。するとその前を乃恵が走るようにして校門をくぐるのが見えた。
「三浦!」
声をかけると乃恵が振り向いた。
「早いね」
俺は乃恵に追いつきながら言った。乃恵と二人きりで帰れるのかと思うと気分が上がった。乃恵は足を緩めることなく答えた。
「あー、一刻も早く帰りたいから」
「なんで?」
そう言えば乃恵はここのところ急いで帰る。前は図書室寄ったり友達と喋ったりしてたのに。乃恵の答えは端的だった。
「花粉症」
「あ、そのマスク花粉症だからつけてんのか。感染症対策課と思った」
「それもあるけど。ああ。一刻も早く帰って空気清浄機のそばにいたい。今一番愛しているのは空気清浄機」
乃恵の言い方はどっか変だ。
「関は花粉症ないの?」
「ない。家族みんな窓全開で暮らしてる」
「うわ無理。関ん家行けない」
乃恵は深い意味なく言ったんだろうけどこっちは乃恵が好きだからなんかショックだった。散々考えた末に出てきた言葉は「三浦が来たら窓閉めるよ」という実にどうでもいいと言うかなんだそりゃな返し。もっと気の利いたことを言いたかった。乃恵はため息をつく。
「あのさ。あたしが来た時窓閉めたってもう花粉進入してんじゃん」
「あ、そっか」
「これだから花粉症じゃないやつは」
そこまで聞いて俺はようやく乃恵が花見に来ない理由に気づいた。
「もしかして花粉症だから花見行かないの?」
「そう。嫌になっちゃうよもう。桜シーズンと花粉症被るとかないわー。あたし花見は一生行かない」
「桜が嫌いなわけじゃないんだ」
「ある意味嫌いだけどね。咲くの花粉症の時期じゃん。桜? 花粉症とセットの花でしょ。けって感じ」
「まあそっか」
「あ、でも好きな桜もあるよ」
好きな桜ってなんだ? 花粉症の時期じゃないときに咲く桜とか?
俺が不思議に思っていると乃恵は笑った。
「桜餅とか道明寺とか。桜チョコも好きだよ。桜茶と飲むと最高」
乃恵らしい答えに笑った。
「じゃあね。花見、楽しみなよ」
そう言うと乃恵は分かれ道を言ってしまった。俺はため息をついた。乃恵がいないから楽しくないって言えたらいいんだけど。
言えないからもてないんだろうなあ。
花見はまあ楽しかった。
でもやっぱり乃恵がいないとつまんない。俺はコンビニの肉まんをかじりながらちょっとため息をついた。
「なんだよ。関。ため息なんかついちゃって。恋煩いか」
クラス一のお調子者の男子が頭をぱかぱか叩いてきた。残念なことに軽口は思い切り正解だ。普段はおバカなことしか言わないくせになんでこういう時に限って妙に鋭い。
「違えよ。やめろっての。俺はスイカじゃねえ」
本人に伝えてないのにこの軽口男に伝えるわけがない。
「まあ、桜餅でも食って元気出せ」
鋭いわりに慰め方がとんちんかんなのは何なんだろう。
「そうじゃねえって」
言いながら桜餅を食べる。
「うまい」
「だっろー。辛いときは甘いもんだ。食え食え」
あながちとんちんかんでもないのかも知れない。俺は立ち上がった。
「俺そろそろ行くわ。用事あるんだった」
嘘八百を並べて走り出す。
「おー。みんなには俺から言っとく」
さんきゅー。持つべきものは友達。とんちんかんな軽口野郎とか思ってごめんね。俺は和菓子屋に走り込んだ。
走って走ってインターフォンを鳴らす。
「はい」
出たのは乃恵のお母さん。
「こんにちは。関です」
ドアが開くとお母さんが顔を出した。
「あら、どうしたの?」
「これ、三浦さんに。今日クラスで花見だったんだけど、来なかったから。花見の代わりです」
ビニール袋を差し出す。お母さんが中身を覗き込んでくすくす笑うと乃恵を呼んだ。
「あ、いいです。三浦さん花粉症ですよね。俺多分花粉だらけだし、帰ります」
「上着脱いで全身ちょっと払えば大丈夫よ。乃恵ー! 関くん来てくれたから部屋に入ってもらうよ!」
「はーい」
普通に乃恵が返事をしてきたので内心ものすごく焦った。買ったものを渡したら帰る気でいたから何話そうかも考えていない。
「お、お邪魔します」
上着を脱いでばさばさ振り、体をばらばらにする勢いで全身を払って家に入った。乃恵はマスク姿でやって来て「どうしたの?」と言った。
「ちょっと花見の代わり持って来た」
「桜折ったの? まずくない?」
「いや、折ってねえから」
「いいから部屋に入れてあげなさい」
お母さんに言われて乃恵は「はーい」と再び言い、俺に向かって「こっちだよ」と案内してくれた。部屋には大きな空気清浄機が唸っており、雑誌やら漫画やらが散らばっていた。
「この時間だと花見途中で切り上げたの?」
「まあ。桜飽きたし」
いらない見栄を張る。乃恵は何がおかしいのか笑い出した。
「なにそれ。花見で桜飽きるって言うやつ初めてなんだけど」
「桜なんて毎日見てるし」
「そもそも花見で桜見てる人の方が少ないでしょ。お喋りに来てるようなもんなんだから」
その時、お母さんがノックした。
「開けて。関君からのお土産」
「マジで何持って来たの」
そう言いながら乃恵はドアを開けた。お母さんはおしゃれなお盆を持っている。その上にはお茶と桜餅、道明寺に桜チョコ、桜大福が所狭しと並んでいた。
「うわ。どうしたのこれ」
お盆を受け取りながら乃恵が言う。
「だから花見の代わり。桜餅好きって言ったから」
乃恵はまた笑い出した。
「桜餅で花見の代用するとか。どういうこと? 斬新」
「いいじゃないの。笑ってないで持ってって」
お母さんはそう言うとさっさと引っ込んでしまった。
「お茶は桜茶にした。これ渡したら帰るつもりだったんだけど」
「まあいいじゃん。ひとりで花見したって面白くないでしょ」
乃恵は笑いながら桜餅を掴むと一息にほおばった。
「おい。一口で食うな」
「ひょいひい」
多分おいしいと言いたかったのだろう。俺はその顔を見ただけで一気に楽しくなってしまった。
「うまいだろ。どんどん食え」
「そんなにぱくぱく食べたら花見になんないじゃん。あー、最高の花見だ。桜大福おいしい」
乃恵はまた笑った。笑顔を花が咲くと表現したやつは天才だと思う。俺にとって本物の桜を見るより、桜の菓子を食うより、乃恵の笑顔を見ている方が花見の気分だった。
(本物の花見よりこっちの方がいいや)
歴代最高の花見をしつつ、俺は道明寺を手に取った。
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