香坂菜穂3

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 彼女が郵便局を辞める七年前、乾家の火災が起こる七年前、彼女は同僚のAさんの誘いで無理やり、新宿のホストクラブに連れて行かれる。男性に免疫のない彼女には、ホストクラブに行くのは、ある意味、戦場に行くようなものだった。  だが、彼女は今まで、井の中の蛙、大海を知らずだった。彼女はホストに夢中になった。禁断の実を口にした者のように制御が効かなくなった。  一郎は甘え上手だった。本当に新人かと思うほどに彼女の心の隙間にたやすく入り込む。それは天性としか言いようがない見事な操縦であった。  彼女は一郎と会う度に癒された。彼女のマンションは動物などのペットを飼うことを禁じていた。だから、誰もいない真っ暗な部屋に帰ることが苦痛であった。  よく、テレビなどで、ホストクラブにハマる女性が奈落の底へ墜ちて行き、にっちもさっちも行かなくなるドキュメンタリーなどを観て、彼女は彼女たちをあざ笑っていた。しかし、今、その彼女たちと寸分違わぬ存在になり果てている。  彼女はホストクラブに足しげく通い、一郎を指名するようになった。当然、通い続ければ、出費が増える。公務員の給料では、通うための資金が底をつくのは明らかだ。だから、彼女は無担保の消費者金融に借金をして一郎に貢ぐ。いつの間にか、テレビで観た彼女たちと同じ、負のスパイラルから抜け出せなくなっていた。  一郎をナンバーワンにすることが彼女の生きがいになった。彼女にはかつて、十歳離れた実弟がいたらしいが、五歳のとき、病死してしまった。  一郎に亡き弟の影を見ていたのか?今となってはわからない。ただ、孤独であった彼女とって、一郎は闇夜に浮かぶ月のような存在であった。  やがて、借金は雪だるま式に膨れ上がり、気が付けば利息も含めて、五百万近くになっていた。  消費者金融に借りたことで、彼女は必要以上に返済額を求められた。だが、一郎にぞっこんの彼女はもはや、ブレーキの壊れた車だった。ホストクラブ通いは続いた。  彼女は罪悪感に駆られながらも、顧客の金に手をつけた。始めは少額だったが、そのうちに預かり金の多い顧客たちから限度ギリギリの金を着服するようになった。  そのお金は主に借金の返済に消えた。
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