服忌

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服忌

 夏の日差しが降り注ぐ山道には、長い人の列が伸びておりました。直之様は、白装束のお姿で位牌を抱えておられます。私はそんな若旦那様が腰かける車椅子を押しながら、山道を下っていきます。松明を掲げる男や、花篭を持つ女。それはそれは仰々しい野辺送りでございました。  かつては伊豆の地で栄華を極めた朝倉家でございます。奥様の訃報を聞きつけた多くの者が次々に屋敷に訪れてくださったのです。けれど、社交の場を敬遠されていた直之様からすれば、見知らぬ者ばかりであったようで、葬儀を取り仕切る者も数度顔を合わせただけの者でありました。喪に服している直之様は、彼らに口を挟むこともできずに、ただ黙って奥様の御遺体に寄り添って、蝋燭の火を絶やさぬように三日三晩の寝ずの番を務められたのです。  火葬場までの道のりは遥か遠く、半日ほどもかかりました。焼却炉に寝棺を滑らせてから、遺骨になるまでは数刻はかかります。隣りにある会館では、酒や菓子などが振る舞われておりました。  彼らと同じ食事を口にできない直之様は、皆の者が宴会をされている中、焼却炉の近場の木陰で腰をおろしておりました。 「もう少し、母に情をかければよかったのだろうか」  煙突から昇る白い煙を見つめながら、直之様は独り言のようにおっしゃいました。  奥様は病死ということになっておりましたが、お医者様がおっしゃるには、瓶に入っているお薬をあるだけ飲んでしまわれたのが死因だろうとのことでした。遺書のようなものも見当たりませんでしたから、ご病気に堪えかねてのことであろうと。その死に顔の形相は、とてもご子息である直之様にはお見せできるものではございませんでした。お医者様と棺屋とで、綺麗な死化粧を施していただいたのです。  それでも奥様と仲違いをされていた直之様は、ご自身をひどく責めているのです。  このように悲嘆に暮れる直之様を目の当たりにしてもなお、どうしても私の口から真実を申し上げることができずにおりました。私の臆病が、奥様を死に至らしめ、直之様を苦しめているというのに。  煙突から昇る白い煙は、儚くも茜色の空に消えていきます。 「本日は御愁傷様です」  やけに澄んだ声でした。そこには黒いスーツ姿の男が立っておりました。いつになく恭しい顔つきの松本氏は、直之様の前で膝を折りました。 「松本先生、来てくだすったのですね」 「ああ、遅くなってすまなかったね」  松本氏は直之様の手を取って、優しく微笑まれました。張り詰めていた糸が切れたのか、直之様は項垂れて肩を震わせました。松本氏は、まるで幼い子供をあやすように直之様の肩を強く抱き寄せて差し上げました。それは、端からみれば美しいご兄弟のように見えたのやもしれません。 「弘くんも大変だったね」 「いいえ、」  私の視線に気がつかれたのか、松本氏は顔をあげて労いの言葉をかけてくださいました。先生の真っ当な瞳は、まるで私のやましい心の内を見透かしているようで、思わず目を逸らしてしまいます。 「そうだ。お父様から、香典を預かってきたのだよ」  直之様は顔をあげて、差し出された分厚い香典袋を震える手で掴み取りました。 「頂戴いたします」  このような豪奢な葬式でございます。朝倉家は多額の借金をこしらえてしまいましたので、旦那様のご厚意は救いの手を差し伸べられたようでございました。 「直之くんは英語本の翻訳をしているそうだね」 「ええ、大学のつてで翻訳の仕事をいくらか回してもらっているのです」 「直之くんはよくやっているよ」  恥じ入るように目を伏せる直之様。松本氏は慰めるように肩を擦って差し上げます。 「僕の知り合いでね。君が翻訳した詩を大変気に入っている者がいるのだよ。もしかすると君の助けになるかもしれないと思ってね」  直之様は、目をしばたたかせました。松本氏は、濡れた目元を拭って差し上げると、優しく目を細めます。 「弘くん、少し外してくれるかな」 「なぜですか」  直之様が上目遣いで目配せされるものですから、私は頭を下げて、その場から離れるしかありません。  若旦那様の窮地をお救いできるのは、私のような下男ではないのです。そのような当たり前のことが、私にはどうにも歯痒く思えてならないのです。
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