オリジナル技

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オリジナル技

「くっ……」  背中に走った痛みに、大島は思わず声を漏らした。それでも足を止めずに、反対側のロープへと勢いよくマットを蹴った。  大島が今行っているのは、「ロープワーク」、ロープとロープの間を走り、ロープに己の背中をぶつけた反動を利用してリング間を走り抜けるというものだ。映像ではトランポリンのように簡単に反動をつけているように見えるが、実際に行うとロープの硬さと、それが背中にダイレクトにぶつかる衝撃に、とてもじゃないが反対側のロープに向かうことなどできない。全くの未経験の人間が行うと背中の皮膚が破れ、酷い時には骨折することもあるという。  かく言う大島も、初めてロープワークの練習を行った時は、背中に走るあまりの激痛に、三往復したところでマットに倒れ込んでしまった。今では大島の背中には、痛々しく青く腫れた横線が走っている。背中の皮膚がロープに合わせて硬くなってくれたのか、今では体力の続く限りロープ感を行き来できるようになった。 「大島君、無理するな。一旦、一呼吸置こう。皮膚がロープに合わせて硬くなってきたとはいえ、ダメージを与え続けるのはよろしくない」 「分かりました……」  リングサイドで神妙に眼鏡の位置を直す田口に言われて、大島は素直に頷いた。田口の言った通り、大島は稽古におけるダメージに慣れてきたとはいえ、身体を酷使していることには変わりない。少しの怪我や故障によって、選手生命を絶たれることもあり得る。 「しかし、入門当初から思っていたが、大島君はほんとスピード感があるな。君のロープワークでの動きは、『ルチャ・リブレ』に近いものを感じるよ」  田口の言う「ルチャ・リブレ」とは。スペイン語で「プロレス」のことを意味するらしい。特にメキシコでは、このルチャ・リブレが国民的人気の大衆芸能であるらしい。日本の昔ながらの肉体と、肉体でぶつかり合う泥臭い(・・・)プロレスとは対極的に、ルチャ・リブレは華麗な空中殺法を多用し、技一つ一つに美しさを見出し、観る物を魅了するスタイルである。大島も一度ユーチューブで、ルチャ・リブレの動画を見た時は衝撃を受けた。まるでサーカスではないか。鎧のような筋肉に覆われていては、その重さ故に動きが制限されると、大島は素人ながらに思っていたが、画面の奥でファイトを繰り広げる屈強な男たちは、まるで木の葉が落ちるが如く宙を飛んでいる。こんな芸当を自分ができるとは、大島はとてもじゃないが思えなかった。 「確かに、大島さんの動きは見ていて無駄がないっすね。それに大島さんは、打撃もかなり強力でしたし」  田口と一緒に大島の稽古を見守っていた楠も、大島の動きを褒めてくれた。楠が言った「打撃」とはエルボー合戦のことだ。エルボーとは言うまでもなく、肘打ちのことであり、プロレスでは相手と己の顔を肘で打ち合う「エルボー合戦」という場面がよく見られる。  最初、楠のエルボーを顔面に受けた時、脳が砕けたような衝撃を受けたのを覚えている。稽古とはいえ、大島が入門したてとはいえ、楠の一撃は手加減は一切感じられないエルボーだった。無論、手加減などしていては稽古にならないことを、大島は剣道を通して知っていた。  楠に比べて、まだまだ細い腕で大島も打ち返すが、楠はメッシュを揺らした程度で涼しい顔をしていた。俺ではまだまだ足元にも及ばないか。悔しさと高揚の入り混じった思いを左肘に込めて叩き込んだ時、楠は顔を歪めて、僅かに後ずさった。その時、たまたま大島の稽古を見ていた竹ノ内は、その光景に満足そうに頷いたが、そのことに大島は気づいていなかった。 「いやいや、楠君。それは言い過ぎだよ。あの時の、君のエルボーは、脳震盪を起こしたんじゃないかと思ったぐらい強烈な一撃だったよ……プロレスラーはリングの上で、こんな一撃に耐え、かつこんな強烈な一撃を加えながら戦わなきゃいけないんだと、改めてこの(プロ)世界(レス)の凄まじさを垣間見たよ……」  コールドスプレーを背中に田口に振ってもらいながら、大島は楠に微笑んだ。大島を心配そうに見下ろしていた楠は、恐縮そうに頭を軽く下げた。 「それはそうと大島君。竹ノ内さんにも言われたと思うけど、オリジナル技の構想はだいたいできたかい?ある程度思いついたのなら、そろそろ稽古でもの(・・)にしていこうじゃないか」 「それが考えてはいるのですが……こう漠然としていて、なかなかイメージすることが難しくて。自分にはどういったスタイル、どういった技が向いているのか……」  前に稽古終わりに大島は竹ノ内に呼ばれて、オリジナル技は最低三つは持っておいた方がいいと言われた。オリジナル技、すなわち「フィニッシュホールド」のことである。多くのプロレスラーは、フィニッシュホールドと呼ばれる自身のオリジナル技を、相手に叩きこんでスリーカウントやギブアップホールドを奪う。プロレスファンは、選手のその技が見たいがために、チケットを購入し観戦に来ていることもあるという。  武藤敬司の「シャイニング・ウィザード」、棚橋弘至の「ハイフライフロー」、後藤洋央紀の「GTR」、YAMATOの「ギャラリア」、CIMAの「シュバイン」など、プロレスラーの必殺技・オリジナル技を挙げればきりがない。だが、その技一つ一つが、どれほど美しく、凄まじいかは説明するほどまでもない。 「謙虚」さを旨とする剣道と違い、どれだけ個性を見出し、どれだけ自分という武器を前面に押し出せるかがプロレスだ。これまでの自分の生き方と、正反対のことを要求されていることに大島は内心苦悩した。だが、その生き方を選んだのは、他ならぬ大島自身だった。  俺だけが出せる技。俺自身が魅せられる技。  リング上で半裸の姿であぐらを組み、大島は目を閉じて己を見つめた。百人のレスラーがいれば、百通りのプロレスができるはずだ。  静かに自分の世界に入っている大島に、田口は裸の上半身にタオルをかけてやった。肌に布が触れる感触に、大島は我に返った 「汗を拭かないと風邪を引くよ、大島君。焦ることはない。君自身、『大島秀一郎』だからこそ出せる技が、きっとあるはずだ。だから、焦ることはない……」  大島の倍近い人生を歩んでいる田口の顔は、その厳しさと辛さをよく知り、それを乗り越えた者だけが滲ませる優しさを含んでいた。その顔に、かつての大島の剣道の師宮崎の面影が重なった。  強さだけでは決して辿り着けない場所に、宮崎は立っていた。剣道をやっていた頃の大島は、その背中を追い続けていた。宮崎と田口の姿が重なり、大島は不覚にも涙を流しそうになったが、何とか堪えた。今は泣いている時ではない。泣くときは、プロレスラーとして、頂点を極めたその時のみだ。  そのためには、今は「師」である田口を信じ、自分は稽古に邁進するのみだ。大島は静かに頷いて、乱暴に頭をタオルで拭いた。      ※  背中の痛みに、大島は何回目になるであろう寝がえりを打った。アパートに戻っては、稽古の疲れですぐに眠りに落ちる毎日だったが、ここの所はロープワークによる背中の傷や、関節技のスパーリングによる身体の節々の痛みで、容易に眠りにつくことができないでいる。  寝不足で朝を迎えるのは正直辛いが、気に病むほどではない。魂プロレスに入門してからというもの、大島は充実した日々を送っていた。会社員時代も仕事に剣道に、恋愛とそれなりの毎日を送ってはいたが、それらとは違い今は思うがまま、本能に忠実に生きているような気がしてならない。  寝付けずにベッドに寝ころんだままスマホを触っていると、壁に立てかけてある竹刀袋が目に入った。前の部屋を退出した時に、もう剣道をやることはあるまいと、面や胴などの防具や、剣道着と袴などは実家に送ったが、この竹刀袋に入っている二本の竹刀と、一本の木刀だけは、なぜか今の部屋に一緒に持ってきた。スマホをベッドに放置して、竹刀袋を掴んで、中から木刀を取り出した。  味を出したヌメ革のような艶のある茶色の樫の木刀。基本的に昇段審査の形(かた)でのみ使い、竹刀のように相手を直接打ちつけることはないため、ささくれる(・・・・・)こともない。大島は中学時代に初段を受験した頃から、この木刀を使い続けてきた。最後に木刀を振ったのは、五段の審査以来だ。  狭いワンルームの照明に当てないように気を配りながら、大島は身体の仕上がり具合(・・・・・・)を確認するために置いた全身鏡の前で、上段の構えをとった。  鏡には以前にも増して、全体的に身体に厚みの出た己が、同じように木刀を上段に構えている。入門して僅か一ヶ月足らずではあるが、着実にレスラーの肉体に近づいていると大島は実感した。 『「大島秀一郎」だからこそ出せる技が、きっとあるはずだ』  田口の言葉を思い出し、大島は木刀を構えたまま目を閉じた。  俺。俺自身。  木刀を上段に構えた姿勢で、大島は己を見つめた。これまでの人生の、ほとんどを剣道が占めていたといっても過言ではない。思い返せば、夢中になったものといえば剣道くらいであろう。だが、その剣道に出会ったおかげで、大島は腐ることなく、闘志を燃やして生きてこられた。そして、その闘志は剣道という「枠」では収まりきることができなくなり、プロレスという新たな世界に足を踏み入れた。  だが、剣道で通して得た技術、精神は大島のDNAにしっかりと沁み込まれ、生き続けている。  俺がリングで己を出して戦っていくには、やはり剣道で培ったものを活かすしかない。  目を開けた大島は、鏡に写る者を見据えた。  その姿は大島秀一郎ではなく、黒く輝いた甲冑を纏い、刀を振り上げた武者だった。兜をかぶり、頬当てを着けた武者の表情がどんなものかは分からないが、唯一目元だけは露出していた。その目は赤く炎を宿した戦う男のものだった。  そうだ。俺の戦い方は、これしかない。  自分がリングでどう戦っていけばよいか、大島は分かった気がした。鏡に写る武者に、大島は感謝の気持ちを込めて、強く頷いた。鏡の中で刀を構える武者は、頬当ての下でニヤリと笑ったように見えた。  そして、二人は同時に刀を打ち下ろした。  竹ノ内は本人にまだ知らせていない、大島のリングネーム『ラストサムライ』が目覚めた瞬間であった。大島は気づいてないが、普段の彼の優しげな目元が、鏡に写った武者の炎を宿した目に変わっていた。
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