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 私は就職先で出会った男性と結婚して関西に移り、彼の転勤を機にK市の南部に引っ越した。早春、のんびりとした町の中を流れる古い川沿いに、ひっそりと河津桜が咲く。よくよく私はこの濃い色の花を咲かせる桜に縁があるのだなと思ったが、この地の桜に禍々しさは無かった。ここに移った頃、朱桜神社の2本の大桜が病気に負けてしまい、切り倒されたと伯母から連絡をもらった。  ほどなくして、自宅の最寄り駅周辺の再開発が始まった。整備されたバスロータリー周辺に植えられたのは河津桜で、町中の川沿いにもこの桜が咲くことを、観光客にアピールする目的があるとのことだった。  ロータリーの桜の木は、2月になると花桃に似た色の花を咲かせ始めた。町の人たちはその美しさを賞賛したが、私は花の色の毒々しさに、かつて母の故郷で見聞きした、恐ろしくやるせない物語を思い出さずにはいられなかった。夫はやや妄想めいた私の昔話を、馬鹿にせず黙って聞いてくれた。  ある休日の午後、私は特に目的も無く、駅前に足を向けた。ロータリー周辺だけでも花見には十分なほど、桜は咲き乱れている。その中に、そんなに背が高くないのに、やけに沢山の花をつけている木があった。木の根元には小さな説明板が立てられており、この桜が、S県K郡の神社で信仰されていた木の挿し木であると書かれていた。  その時やや冷たい風が吹き、周りのざわめきやロータリーに入ってくるバスのエンジン音が、すっと遠のいた。花がざわざわと揺れる音の中に、私は彼女の声を聞いた気がした。 「……多津ちゃん……」  私はひとつ深呼吸し、無数のピンク色の花を咲かせる桜を見上げた。あの早春の日、帰る前に再度神社に立ち寄り、一ノ木に語りかけたことを思い出す。  あなたは願いを聞く桜でありながら、なぜ美弥さんの切望を汲んであげなかったのか。多津子さんと結ばれることは難しかったにしても、美弥さんが汚辱と孤独のうちに死ぬ必要は無かったのではないか。  私は多津子ではなく、彼女の曾孫だ……私は美弥にも語りかける。あなたは曾祖母を、多津子を呪ってなどいないと信じているし、きっと多津子も、あなたの最期のときまであなたを気にかけていたと思う。でなければ、あなたからの手紙を残しておいたりはしないだろう。だからもう、自分を呪うのはやめてほしい。 「きれいねぇ」  ざわめきが戻ってきて、私は桜の木から離れた。その花は、日暮れの色を帯びた光を受け、悲しいくらい禍々しく見えた。  私は今も、桜が好きだと答えることができない。
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