2

2/2
前へ
/9ページ
次へ
 私は朱桜神社の鳥居の前に立っていた。山を背に建っているせいか、夏祭りの時のような賑わいが無いと、桜が満開でも陰気な神社である。  桜の木々は、濃い色の花をこれ見よがしに咲かせて、威圧的でさえあった。息苦しさを感じ始めた時、小さな声がした。 「たづちゃん」  私はぎくりとしてそちらを見る。一番大きな桜の幹の陰に、美しい人が立っていた。豊かな黒い髪を纏め、白いシャツと細身のパンツを身につけている。最初男性だと思ったが、白い頬の丸みや形の良い厚めの唇は、女性のものだった。涼やかな目が、柔らかく笑むのに見惚れた。 「久しぶりだね」  え、と私は思わず返す。この女性とは、初対面だ。この町以外で会ったことがあるのだろうか? 彼女は痛いほどの視線を私に送っていたが、私の反応に、困ったような笑いを浮かべた。 「忘れるなんて随分だよね? たづちゃんが、お婿さんになってって私に言ったのに」  何故か背筋がぞくりとした。この人は何を言っているのだろう? 私は頬の筋肉の緊張を自覚しながら、口を開く。 「ごめんなさい、人違いじゃないかと……私は恭子といいます、たづちゃんじゃないです」  すると彼女は、悲しそうに目を伏せた。長い睫毛が、その白い頬に影を作った。風にさわさわと桜の枝が揺れる。 「ほんとは桜の木に願ったの……私、たづちゃんと一緒になりたいって……てつ兄さんでないと駄目なのかって」  彼女に話が通じないのは困ったものの、悲し気な様子が気の毒に思えた。だから彼女に向かって3歩足を進めたが、身体が動かなくなった。桜の木が、彼女に近づくのを許してくれない。何故か私はそう感じた。  彼女は顔を上げ、私を見た。その目はさっき私に笑いかけた時とは違い、虚無に濁っていた。身体がびくりと勝手に震え、本能的な危機感を覚えた。ここから離れなくては!  その時足許が(すく)われ、闇の中に引きずり込まれた。私は落下の恐怖に声の限りで叫んだが、自分の耳には何も聞こえなかった。 「恭子! どうしたの!」  目を開くと、母の顔が薄闇の中に見えた。右の肩を摑まれている。助かった、と私は胸を撫で下ろした。 「うなされてたわよ」 「……何か凄く嫌な夢を見たの、朱桜神社の桜の木の下に……」  口にするのも恐ろしい気がした。ひとつ長い息をつく。肩を撫でてくれる母の手に、ほっとする。 「恭子は昔からここに来ると調子が悪くなるね……みんなあなたは一宮の娘らしいって言うけど、ほんとは相性が良くないのかしら」  相性が良くない。なるほど。私は母に見守られながら、そっと目を閉じた。母の言葉が妙に腑に落ちたせいか、今度は何にも煩わされずに眠ることができた。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加