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冷静に戻って、顔を上げる。
私は距離を置こうとしているのに、平然と詰めてくるのはわざと?
それとも、天然?
「ありがとう」
昔から、溶けた氷で味が薄まったジュースが好きじゃなかった。
だからいつも、榊原くんの家で飲み物を飲む時は、氷なしだった。
私から頼んだ訳じゃなく、榊原くんの厚意だった。
その厚意をまだ向けてもらえることを、素直に喜んだら後で傷つくかもしれない。
何とも思っていない素振りで、オレンジジュースを一口飲んだ。
「架純の方は仕事どう?順調?」
「うん、まあまあ」
今朝の悲しい知らせは、わざわざ彼に話すほどでもないよね。
新店舗の店長候補に推薦してもらった、という話もしていなかったし。
「そっか。架純は、早くに副店長に抜擢されてたし、もう店長になる話も出てるの?」
「!」
思いがけない質問に動揺した。
店長になる話がダメになったばかりだったのもあったし、忙しいと言っていた彼が私の話を覚えていたことにも驚いた。
動揺したのを隠そうと、オレンジジュースに手を伸ばす。
指先がコップを上手く掴めず、コップが倒れた。
「あ!」
バイカラーのカーペットに、オレンジジュースのシミが一気に広がる。
ごめんなさいと謝りながら、私は傍にあったティッシュでカーペットを押さえた。
榊原くんが立ちあがり、タオルを数枚持って戻ってきた。
「服、大丈夫?」
カーペットを心配するより先に、私を気遣ってくれたことを嬉しく思った。
でも、彼は元々優しい人だった。
きっと私に気がなくたって、同じように気遣ってくれる。
そう気づいて少し寂しく思った。
服は幸い濡れなかった。
カーペットは急いで拭き取ったけど、白い部分にはうっすらシミが残ってしまった。
「気にしなくていいからね」
彼はそう言ってくれるけど、申し訳なくて謝る言葉以外何も思いつかなかった。
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