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桜を見ると思い出してしまう。特に早咲きの河津桜の色はほろ苦い。
「今年のさくらラテは逃さない。」
大学3年の終わり頃、あの日の紗綾は決めていた。毎年そう思うのに気がつくと終わっている。
高校1年の春からそうだ。ちょっと背伸びをしてファストフードのシェイクを卒業して頼むシアトル風のコーヒーショップのドリンクには、憧れを手にしたような気分が詰まっている。だから季節のものには敏感。そのはずなのにさくらだけは間に合わなかった。あっという間に消えていくのだ。
「チョコのスペシャルは飲んでるのに、なんで桜は気が付かなかったんだろ。」
だから、ふと目を止めた先にみつけたさくらラテのディスプレイに紗綾は心の中でガッツポーズを決めた。
店に入ろうとして中を見ると見知った顔がある。
見知った?いや、未だに目を合わせられない、同じゼミの森田君だ。できるタイプなのだが、いつも硬い表情で真面目にゼミの発表をし、近づきにくい雰囲気で女子にはあまり縁が無さそうな森田君。
さくらラテの淡いピンクのカップを受け取り、窓際の席に向かうようだ。
(話しかけてみようかな。)
急いで紗綾もさくらラテを頼み、追いかけるように視線を窓際に向けると、森田君の隣には人がいた。亜麻色に染めた柔らかいウェーブヘアを無造作にクリップで留めたひと。ちょっと大人っぽい。研究室で事務や学生の手助けをする神山さんだと気づいた。
森田君と神山さん?
意外な取り合わせに、はっとして紗綾は気配を消すことにした。
(森田君が笑った)
一度も見たことがない彼の柔らかい雰囲気に、いてはいけないような気持ちになった紗綾は店をそっと出た。いや、別に逃げること無い、逃げることはないのに。胸がズキズキする。見たくないものを見てしまったような、いたみ。
そもそも。あの硬い不器用そうな森田君に、なぜ話しかけようなんて思ってしまったのか。ちょっとだけドキドキして、ちょっとだけ「話しかけてあげよっかな」なんて上から目線もあったりして。
あれ、わたしどうしたんだろ。
そのままカップを手に早歩きで駅前の通りを行く。いつのまにか小走りになり、並木道のところまで来てしまった。
ここでは、いくつかの種類の桜が並んでいたけれど中でも早咲きの河津桜が満開だった。少し濃い色のその花の下で紗綾は立ち止まる。
「あははは」
そっか、私、森田君が好きだったんだ。
しかも私が話しかけてあげなくちゃ一人だろうなんて高慢な目線まで持っちゃってさ、勝手に。
手にもっていたさくらラテをひとくちのんだ。
桜の香りがほろ苦い。
あれから私はさくらラテをのんでいない。
桜は、きらい。
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