運命の出会い

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 陽が落ちて、辺りをオレンジ色で染める夕刻の頃。  俺−柊集(ひいらぎ しゅう)はアパートの一室の、明灰色のソファに腰を落ち着かせ、テレビの電源を点けた。最初に映されたバラエティ番組を、そう認識してチャンネルを変える。  同じ操作を数回試行した後、俺は目当ての特集を発見した。   『周永高校 中国高校サッカー新人大会優勝!!』  でかでかと映されるその文字表記を見て、思わず笑みを溢してしまった。確信に近い予想をしていたのに、どうしても嬉しいとこうなるのか。  番組では、得点の瞬間を纏めたダイジェストが流れていた。映るのは、金に髪を染めたいかにも陽な雰囲気を醸し出す選手。一人で何度も得点を決めたらしい。遅れて現れるテロップから通算四ゴールを記録したことが分かった。 「流石だな」  その選手は何を隠そう俺の親友の大枝俊平だ。俺が在籍する周永高校の、サッカー部のエースストライカーである。  俺が俊平の活躍に見惚れていると、ピリリリ、ピリリリとスマホの着信音が鳴った。 「はい」 「お、集か! 見たか俺の活躍!」 「あぁ、見たよしっかりと」  嘘だ。本当は今しがた、テレビでのダイジェストを眺めただけだ。 「これも、妖精様のおかげってもんだな!」 「…………違うよ、俊平が毎日必死に努力したおかげさ」 「まあ、勝ったからどっちだっていいや! それより明日祝勝会な! いつものファミレスに12時集合遅れんなよ!」 「うん。当然」  それで会話は終わった。俺がリアルタイムで試合を観なかったのには理由がある。  それは周永高校が必ず勝つと確信していたからだ。  俺は帰宅部で誰よりも早く帰る時も、グラウンドを一瞥すると、いつも俊平が必死にゴールに打ち込む姿があった。  きっと決勝でも、俊平は点を決めてくれると思っていた。  もう一つ理由があって……認めてしまいたくないけど、俊平の妖精の存在だ。  今から一週間程前、三年生という受験に縛られる前の、最後の長期休暇である春休み直前の日のことだ。  朝練を終えた俊平が教室に入ると、ただでさえ長期休暇直前のソワソワした同級生の喧騒を煩わしく思っていたのに、それはさらにボルテージを上げ、喧騒は驚嘆の叫びに変わり、遂には賞賛の嵐へと様変わりしていた。  何事かと様子を伺ってみると、俊平の肩に落ち着きなくちょこんと座る、拳大で全身が黄色がかった妖精がいた。 「あーー五月蝿い!! 菜の助が怯えてるだろうが!」  俊平は鬱陶しそうに周りを囲む同級生達を追い払っていく。  少し経って、同級生がまばらになってきた頃、俊平も俺のことに気づいたのか、ドシドシと残った同級生を押し退けて近づいてくる。 「よぉー、良い朝だな。集」 「……お前の肩に乗ってるそれって、妖精だよな?」 「ああ、菜の花から生まれたから、菜の助だ」 「そうか、おめでとう」  俊平のネーミングセンスに若干の疑問を持つが、俺は素直に賞賛を送った。  この世界には、幸福を齎す妖精という生物が存在する。動物、昆虫、魚といった生物に属するものが備える繁殖という機能を持たないそれは、生物学的に同じでも異端として注目されてきた。  未だ謎が多く、神秘に満ちた存在の妖精は、どうしてか、特定の人と花弁が結びついたときに、花弁が妖精へと変貌する。  変貌した妖精は、その運命の人に幸福を齎す存在として付き従える。  その効能は絶大だ。大企業を掌握する社長、アラブに住む石油王、歴史を塗り替えるほどの発明をした研究者。どれをとっても、過去を遡れば妖精と出会っている。  いつしか人間は、妖精を求めるようになった。しかし、妖精に出会えた人間はほんの一握りしかいない。  現代における最新の研究によると、人が生涯で妖精と結ばれる確率はおよそ0.001%。  俊平は0.001%という確率を乗り越えて、運命の相手と出会ったのだ。 「サンキューな。でも、菜の花から生まれたから、多分二、三年ぐらいしか生きられねぇ。だから目一杯可愛がるよ」  妖精の寿命は生まれる花によって凡そ決まっている。短命で一年程。長命だと十年程といったところか。  それにしても、このタイミングで出会ったということは…… 「やっぱり、お願いするのはアレか?」 「ああ、もちろん。頼んます、どうか俺達周永高校サッカー部を全国大会まで導いてくだせぇ」  俊平は、肩に座る菜の助に向かって両手を擦り合わせて願掛けをする。  明日の春休みから、俊平達は中国大会が始まるのだ。   「そんなことしなくても、俊平なら絶対勝てるさ」 「お! こんにゃろー、生意気な!」  俊平はその太い腕を俺の首筋に絡ませてくる。  ……やっぱり俊平は単細胞だ。俺が遠回しに妖精を蔑んでいることに気づかない。まあ、そんな俊平だからこそ、俺は好きなのだが。  俊平の妖精を見た時、俺に湧いた感情は失望だった。どうしてこのタイミングで俊平と出会ってしまったのか。  妖精の力は絶大で絶対的だ。きっと俊平は優勝して、全国大会への切符を手に入れるだろう。  しかし、俺は知っているんだ。俊平の努力を。放課後に一瞥する、惚れ惚れするような努力の結晶であるシュートを。  なのにどうだ。ここで俊平に妖精が憑いてしまったら、きっと、俊平の努力は妖精の力で上書きされる。  この大会を通して放たれる俊平の数多のシュートも全て、妖精の力、幸福を齎す力のおかげだと、俊平には目もくれず、妖精にばかり注目が集まり、妖精にだけ賞賛が送られるだろう。俊平はきっとそんなことは気にしない。でも俺はどうしても許せないんだ。  そんなことを考えている内に、俺は自然と菜の助を睨みつけていた。  当の本人は、こちらには目もくれずただぼーーと虚空を見つめていた。  ……本当に腹立たしい。  夕刻を過ぎ、夜の帳が下りる頃。  いまだに周永高校優勝の特集を行なっている番組を尻目に喉が乾いたため、キッチンでコーヒーを入れる。 「今大会のMVPである大枝選手は妖精が取り憑いており……」  思いがけず聞こえたテレビアナウンサーの言動に俺は内心で舌打ちをする。  本当はただの友人でしかない俺にこんなことを思う権利なんてないのかもしれない。  当の本人が気にしていなければそれで良いんだろう。そう、それで。    ぐゅるるるるるる。  ……知らない間に腹が減っていたようだ。時計に目を移すと時刻は七時を指し示していた。  いつもなら自炊をするところだが、今の俺にそんな気力はない。仕方なし、とコーヒーを一口啜って玄関扉に手を掛ける。  近所のコンビニで弁当でも買おう、そう決意してアパートの二階に位置する扉を開けた。  このアパートは家賃に対して部屋が広く、俺は気に入っていた。ただ一点を除いて。  世界を広げた瞬間に感じる北寄りの風に混じる仄かな花の香り。  去年の同じ頃に移り住み、その時に感じた香りと同じだ。目線を上げると、二階からでも視界に入る一本の桜の木。  俺は桜が嫌いだ。だからこのアパートには住みたくなかったけれど、祖父母には迷惑をかけたくなかった。俺には両親がいない。  父さんは俺が産まれる前に離婚して何処かに行ったらしい。母さんは離婚する前に俺を身籠もっており苦悩の挙句、俺を産んだそうだ。  しかし、母さんは出産時の体力の減少ですぐに亡くなった。  物心つく前に両親を失った俺は、母方の祖父母に引き取られ、祖父母のお陰で俺は高校に近いこのアパートに住まわしてもらっている。  一階へと続く階段を降りる。桜の木は、ここから見るとより一層大きく見えた。こんなに大きいのに、花は非常に繊細なのが俺を苛つかせる。  ……流石にそれは言いがかりか? 流石に感傷的になりすぎだな。少し冷静になろう。  ふと、頭に微かに違和感を感じた。頭上を手で探ってみると、一枚の桜の花弁が手に張り付いた。   「な、何だこれ?!」  けれどもそれは、微小に発光する不可思議な桜の花弁だった。
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