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side 竜ヶ崎
「ありがとう、竜ヶ崎さん。お陰で素敵なドレスと出会えたわ」
正原紗由理は、満面の笑みで俺に向かってそう言った。
「一度で決めて良かったのか?試着に回数制限はないんだが」
「うん、一目惚れしたドレスだから。次回、小物選びのときにカラードレスをちょっと見せてもらおうかな?ほら、ドレスを着られるなんてそうそうないし。私、お色直しはしないんだけど、いい?」
「それはもちろん。お待ちしております」
俺がお辞儀をしてそう言うと、「紗由理!」と入り口から声がした。
「あ、彼だ。車とってきたみたい」
「ああ。じゃあ今日はこれで……」
「うん、あ、ねぇ、竜ヶ崎さん」
「?どうした?」
「……別れ際が、自然消滅みたいになっちゃってごめんね。気になってて」
正原がこそっとそんなことを言った。
俺は、いや、と言葉を発して彼女を見る。
「俺の方こそ、ちゃんと連絡すれば良かったのに、そのままにしてた。悪かった」
「ううん。もう二度と会えないかなぁと思ってたけど、思いきって連絡してみてよかった。ありがとう」
「俺は別に。……ほら、旦那様がお待ちですよ」
俺は窓の方に目線を投げた。店の前には車が一台止まっていて、正原の婚約者が乗っているのが見えた。
彼女はこれから、あのパートナーと一緒に生きていくのだ。
俺は更に小声で聞いた。
「まさかとは思うけど、俺とのことは、彼には……」
「言ってないよ。言えるわけないじゃん。今はなにもなくても、下手したら婚約破棄されちゃう」
ふふふ、と正原紗由理はいたずらに笑った。
悪いことするな、と返すとまた笑った。
「じゃあね、竜ヶ崎さん。ドレス選び楽しかった」
「それはなによりです。ご来店ありがとうございました」
正原は軽く手を振りながら、店を出ると車にかけよっていく。その様子を見ていたら、波多野が近寄ってきた。
「竜ヶ崎さん、あの女性、お知り合いですか?」
「見てたのか?」
「いえ、今たまたま。でも最後、彼女初来店だったのに口調がくだけてたので」
「そうか」
波多野は笑う俺を見て、?という顔をした。
「ーーいや。よっぽど幸せだったんじゃないか、ウェディングドレスを着て」
*****
親や周りへの挨拶とか、複雑な手続きとか。
俺たちの関係にそんなものは必要なかった。
一緒に住める場所と、愛があればーー。
あ、あと金もか。
「で?どうだったわけ」
「……いや、別に普通だった」
「ふつう~?真剣に考えてた元カノのドレス姿見たっていうのに興奮しなかったわけ?」
「……するわけないだろ、仕事中……っ、ぁっ」
笹沖は、服の中に手をいれて俺の肌を触る。
今日、元カノである正原紗由理が来店すると告げたら、帰ってきたら詳細を話せと言われた。
……こいつ、意外と独占欲でも強いのか?学生の頃はそんな風に感じたことなかったのに。
しかも自分のことは棚にあげて、俺が付き合った女のことはなんとなく許せないらしい……。
「キレイだったか?写真見せろ」
「撮るわけないだろ。個人情報だ」
「……じゃあプライベートで一枚送ってもらえよ」
「そんな無茶……」
笹沖の家。ソファーの上で、身体を触られている。……抵抗しない俺も相当ダメだな。
笹沖は、「脱げよ」と言って強引に俺の服を上半身脱がせた。
「………だから怒るなって」
「怒ってない。……なんかモヤモヤするだけ」
「………なんにもないから、本当に」
「………ついでにムラムラする」
「は?……バカかっ、お前……」
「ーー元カノが結婚?へー良かったね、って済ませたかったのに……なんか帰ってきたお前みたら穏やかな顔してるから」
むかついた、と言って笹沖は俺の胸元の突起を噛んだ。ピリッとした痛みが走る。
と、同時に舌で舐められて段々熱くなる。
「……笹沖。お前、って、そんな風になるん、だな……」
「あ?……うるせぇよ。大体、今のお前は俺の過去に関心なさすぎなんだよ。俺が、これまでどんな奴とどんなことしてきたのか、気にならねぇの?」
「………っ」
気になる、って言ったらどうなるんだ?過去に戻れるわけでもないのに。
「……そういうのは、俺は聞きたくない……」
「ふうん、そう」
「……気になるけど、しょうがないから……。今、笹沖が、俺の目の前にいれば、それでいい」
「!」
俺がそういうと、パッと笹沖の顔が上がった。
覗きこむように目をパチパチしていて、やがて笑いだした。
「ははっ!そうか、そうだな」
「……そんなに笑うことか?」
「いやー……嫉妬してんの俺だけかなぁ、って思ってたけど、そういうわけじゃなさそうだな」
「………お前の周りの奴らへの嫉妬なら、学生のときに散々したから……もう、しない」
「俺が友達と飯行くだけでも、誰と行く?どこ行く?ってしつこい時期あったもんな、お前」
おもしろそうに笑いながら、笹沖はまた俺に触れる。
ーーくそ、そんな昔のことさっさと忘れろよ。
「………っ」
「なあ、ここじゃやりにくくねぇ?」
「………じゃあ、どうするん……だ?」
そんなことをいう笹沖に、口元を押さえながらそう聞くと、彼はバッと立ち上がった。
そして、右手をこちらに差し出す。
「どうするって、この状態で行く場所なんてひとつしかないだろうが」
そう言って、俺の手を引っ張るように掴んだ。その拍子に俺の上着がソファーから落ちる。
「……服、が」
「いらねぇだろ、どうせ全部脱ぐんだから」
「………まったく……ムードとかないのか」
「今日はな。……お前が元カノと会ったっていうから、余裕がない」
「……なんだ、それ」
すると笹沖は、俺を引き寄せ抱き寄せると、耳元で小さく囁いた。
「ーーつまり、愛してるってことだろ」
「愛…………」
愛してる?
俺が、「笹沖」という前に唇を塞がれた。
「……っ、」
「純……」
「あ……な、んだ?」
「別に、結婚『ごっこ』でもいいから、俺と一緒にいてくれるか?」
少しだけ、一瞬。
自信のなさそうな瞳を見せた笹沖に、俺の心はキュッとした。
そして、左手の薬指を見せて言った。
「この指ーーーもう予約済みじゃなかったか。……まだ痛むから、お前責任取れよ」
「……!ははっ!」
笹沖は俺の左手をつかんで笑った。
10年もあったんだ。考える時間としては充分だ。
「じゃあやっぱり、先に指輪買いに行くかな。おねだりされちまったし」
「それなら……、欲しいブランドの指輪があるんだが」
「あぁ?……なんだお前、急に」
「店で指輪は扱ってないけど、よく見るんだ。婚約指輪とか、結婚指輪。関連会社のパンフレットとか営業とか、実際、お客様からも見せて頂くし。男性がつけても自然でシンプルで、でもセンスのいい感じのやつがあって……」
「……おい、純。お前な、職業病もいいとこだぞ」
喋り出す俺に若干引き気味の笹沖を見て、俺はハッとして口を閉じた。
「…………だめか。まあ……そこそこ値は張るんだが……」
「……いや、買おう」
「えっ」
「お前がそこまで言うならお前の好きなブランドのものを買おう。悩まなくてすむし、俺も楽だ」
「……笹沖」
「……いい加減、名前で呼んだら?昔みたいで構わないから」
ほら、ベッド行くぞ、と。笹沖はまた俺の手を取り引っ張っていった。
ーー結婚ごっこ、か。悪くない。
智一がいれば、……愛があれば。
そうして俺たちはふたり、寝室のベッドの上で飽きるまで抱きあった。
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