宇崎恵子

2/4
前へ
/10ページ
次へ
 恵子はうつ病の重苦しさを抱えながら化粧箱を開いた。近くのクリニックで抗うつ薬と精神安定剤を処方してもらっている。それで何とか仕事に行けるようになったのだ。  鏡には、やせこけたアラフォーの顔が映る。洗顔すら億劫なので、目やにがついている。服はここ一週間着たままのシワシワのワンピース。いつ洗ったのか定かではない着古したジーンズ姿だ。  恵子は仕方なしにウェットティッシュで顔をごしごし拭き、化粧水を両手に垂らし、顔に塗りこんだ。むりやりスーツに袖を通す。  出社。  大嫌いな電車に乗り込む。  本当は車で移動したいのだが、安定剤の催眠作用がきつくてとても運転できる自信がない。よしんば運転できたとしても、精神疾患を患っているのだ。事故を起こした時、保険金が出るかどうかも怪しい。  世の中には精神疾患を抱えながらも車を運転する人が多いが、恵子にはとても無理な話だと思った。  満員電車に揺られる。  他人と接触するのは気持ち悪い。  どこからともなく強い香水の匂いが漂ってきて、恵子は吐き気を覚えた。  試しにメンタル・アイを装着してみる。  いかにも若々しそうな、弾けるような肢体の少女。彼女の上にも殻ができている。恐らく摂食障害だ。擦り切れたようなスーツの、貧乏そうなビジネスマンの頭上には、恵子と同じうつ病と表示される。  出入口でぺちゃくちゃとしゃべっている小太りの男性。彼は軽度の統合失調症だろう。  こうして見ると、いかに人間社会が心の病気に蝕まれているのかよくわかる。  10人に一人はうつ病。100人に一人は統合失調症。  大嫌いな社屋が、門脇商事が見える。外壁だけは立派なビルだが、内側は築40年の古く、空調の行き届かない建物だ。 「おはようございます」  恵子はぼそっと外面的な社交辞令を言ってから、古びた自分の椅子に腰かけた。 「ああ、おはよう」  と相槌のような声が返る。  恵子の仕事は物品販売のクレーム処理。それを統括する係長だ。長がつく仕事と言っても、大した権限はない。部下が集めたデータを一括して処理し、会社を危なくさせる案件を上司に報告するのが役目だ。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加