6人が本棚に入れています
本棚に追加
世の中、どうしてこんなにクレームがあふれているんだろう。商品の初期不良は分かる。不良品を売ってしまったのだからこちらが悪い。誠心誠意謝り、粗品と共に新製品を郵送すれば良い。
困るのは、電池を入れ忘れたことに腹を立て、クレームを入れてくる連中だ。こちらとしては、標準的なマニュアルで苦情処理している。電話口のむこうの相手は、なぜ自分が電池を入れ忘れ、あるいは充電し忘れたことに気づいた時点で話を止めないのだろう。
分かりにくい商品を売ったお前らが悪い。
時間を取られた分、弁償しろ。
お前では話にならない。上司を出せ。
そして、部下に乞われるまま、電話対応するはめになるのだ。徹頭徹尾謝り、文句は腹の中に収め、クレーム報告書が一枚増えるなと思いつつ、一時間近くも怒鳴られ続ける。
「宇崎くん」
炭酸の抜けたレモンソーダのようにやる気をなくして、ただ流れてくる書類に目を通していた恵子は、突然背後から声をかけられてびくりと身体が固まった。
見上げれば、柿沼部長がこちらを見ていた。
柿沼部長は会社設立時からの最古参メンバーで、50代後半だ。次期取締役を期待されているという。
上等なスーツを着こなし、視線は表向きは優しく、しかし裏には鋭いものを持っている。
「今、時間、いいかね?」
「ええ。2時間くらいなら手がすいています」
「それじゃ、ちょっと部長室に来てくれないか」
「分かりました。準備して、伺います」
一体何を言われるんだろう。恵子は指先が小さく震えているのに気が付いた。ノートとペンを用意し、席に外出中と張り紙を残して部長室へと向かった。
ノックをして、部長室に入る。
部屋は思ったよりも簡素で、机にはパソコン、右側に備え付けられた棚には、事業のファイルとビジネス書が何冊か綺麗に収まっていた。
「宇崎くん、わざわざ呼び出して、悪かったね」
「いえ、時間はあるので大丈夫です」
「ところで、これを見てくれないか?」
柿沼部長は、机から一枚の求人広告を取り出した。
『障害者求人。時給1072円から。午前9時から午後5時までの6時間程度。社内マニュアル完備。学歴不問』
「障害者の、求人ですか」
「ああ、君にはそこの部署に移ってもらいたい」
「どうして私なんでしょう。マニュアルなんて、うちにありましたっけ? 今の仕事は」
「その」
柿沼部長は、言いにくそうに鼻の頭を掻いた。
最初のコメントを投稿しよう!