松村圭吾

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松村圭吾

 何をやっても長続きしない。この十年間、日雇いと解雇の繰り返しだ。  村松圭吾(むらまつけいご)は、近くの水たまりに唾を吐いた。水面に波が立ち、太陽の光に照らされて、50過ぎの、やせこけた人相の男が映る。  なぜこんなに不遇なのか。  それは、メンタル・アイのせいだ。  メンタル・アイが表示した、松村の疾患名は反社会的パーソナリティ障害。  そのせいで、いつも会社内でトラブルがあると圭吾のせいにされ、採用時は「今は人手が足りないから臨時ね」の一言で正社員の道を閉ざされる。  生きてきて、いいことは一つもない。  圭吾の父親はアルコール依存症で、酒が切れるとすぐに息子や母親に手を上げる人物だった。母親はそんな親父に嫌気がさし、どこかで男を作って圭吾を置いて、蒸発してしまった。母親らしい愛情を何一つ与えないまま。    小学生時代は父親に殴られっぱなしで背中や二の腕が常にアザだらけだった。父親は一応定職にはついていたものの、稼ぎはほとんどパチンコと酒に使ってしまい、生活費をもらえた月の方がわずかだった。  圭吾の唯一の楽しみは小学校の給食だった。  栄養のあるごはんを、腹いっぱい食べられる。  担任から見れば、ろくに給食費を払わず、他の生徒を押しのけてまで給食を食らう圭吾は疎ましかったのだろう。授業ではほとんど無視された。  当然、学力は底辺だった。授業では指されないため参加できているという実感がわかない。帰れば機嫌の悪い父親と二人きりになるから、放課後は友人たちとつるむことが多くなった。高学年になると、悪い友達とタバコをやったり、他人の家にロケット花火を浴びせたりして楽しんだ。  宿題などしたことがない。家には不機嫌な親父が一人。宿題を見てもらったことなど一度もない。たまにパチンコで大勝すると、景品のおやつをもらえる。父親らしいことはそれだけだった。  中学に入ると、身体が大きくなった。筋力もついたことが幸いして、父親の暴力には暴力で対抗した。何度も衝突して、家には怒号が飛び交い、時には窓を割った。  近隣の住民からは警察を呼ばれたこともある。その時は民事不介入だと言われ、口頭で「うるさいので、近所に迷惑をかけていますよ」と注意されるだけだった。  児童相談所の職員が一度、尋ねてきたこともあったが、珍しく素面の父親が冷静にあしらったことで、二度と訪問されることは無かった。
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