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中学時代も、圭吾は問題児だった。休日に学校のプールで勝手に泳ぐ。校内でカードゲームを高値で転売する。原付自動車を校庭に乗り入れる。そのたびに担当教諭は教務主任に頭を下げ、時には被害のあった家庭に謝罪の訪問をする。
高校進学時、中学校で三者面談が開かれた。父親は2回に1回はやってこなかった。登校したときに担任に言ったのは、
「ウチには金が無いから、高校は近くの公立一本で」
という、身勝手なものだった。
高校は、志望校が低偏差値、定員割れで、どうにか合格した。
入学したはいいが、所詮は底辺高だ。
底辺と言っても、一応は高校。中学はおろか小学校の授業内容も理解していない圭吾は、入学早々授業についていけなくなった。
中には真面目な奴もいたかもしれないが、圭吾はすぐに不良の先輩とつるむようになった。
いかにも弱弱しい奴からカツガゲをし、酒を飲み、むしゃくしゃした時は腕力で解決した。
高校2年の時、父親が酒の飲みすぎで死亡した。肝硬変で、食道の血管が破れ、大出血したのが死因だった。肝臓の病気で、なぜ食道から出血するのかは分からなかったが、長年圭吾を殴っていた男が死んだのは嬉しかった。
圭吾は遠い親戚に引き取られた。親戚宅での生活は、多少住環境が綺麗になっただけだった。親戚との関係は、元々他人と言っていいほど希薄だった。急になじめと言われても無理だった。
新しい親は圭吾が問題ばかり起こすことに怒り、すぐに「早く自立しろ」と言うばかりになった。
高校は、何時間も授業を受ける苦痛があった。自立しろと言われたことに、これ幸いと中退して、小さな工場の、自動車の整備工になった。就活の時に親身になってくれた先生が、生涯唯一の見方だったのかもしれない。
高校までずっと、やりたくないことはすぐに放り出す性格だった。それは就職しても変わらなかった。せっかく就職しても、すぐに気に入らないことが起き、トラブルを起こして無断欠勤を繰り替えし、最後は辞表を出した。
メンタル・アイが登場し、反社会性パーソナリティ障害というレッテルを張られてから、仕事はめっきり少なくなった。だが、圭吾は病気とは思っていない。医者にはかからなかった。
門脇商事は障害者でも雇用してくれると、たまたまネットで見つけた。自分が劣った人間であるような気がしたが、生活しなければいけない。圭吾は求人票を握りしめ、電話で面接日を確かめて、会場へ向かった。
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