中学1番、高校300番

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中学1番、高校300番

 初めての高校の中間試験の結果が返ってきた。手応えは最悪だったから覚悟はしていた。でもやっぱり、学年303位の順位は堪える。涙が滲んで歪んでぼやけた303が「SOS」、助けてのメッセージに見えた。 「中学で1番、高校で300番はザラだ。第一U女子に受かったからと春休みは気を抜くな!勝って兜の緒を締めよ!いいか、この特進クラスに残りたかったら死ぬ気で勉強しろ!」 塾の先生の言葉が脳裏を過る。受験が終わってからも春休みはあんなに勉強したのに、高校の授業はスピードも速くて内容も難しい。  塾の特進クラスで文字通り必死に勉強しても、寝る間を惜しんで勉強しても、学校のクラスメイトの成績には全く追い付けない。県立第一U女子高校に入ることが精一杯の人と、入ることは当然で成績上位争いをして火花を散らす人の間には、大きな壁がある。その壁は、中学の頃みたいに努力すれば必ず越えられる壁ではなかった。私が努力しても成績上位の人はもっと真剣に努力しているから。  挫折という言葉が48ポイントの太字ゴシック体のフォントの四角の囲み線付きで現れて、見えないかまぼこ板に印字された。そのかまぼこ板に誰かが力をこめて、私の両頬を何度も繰り返し往復ビンタしている。神経質な程に落伍することを恐れ、テストの順位に拘る私の頬には、「優等生」、「努力家」、「学業優秀」という中学の頃までに他人から貰えた賛辞の勲章が、パールピンクのチークパウダーで描かれている。私のちっぽけなプライドを、「挫折」の文字が大きく印字されたかまぼこ板がドミノ倒しの連鎖のように何百枚も私の頬を往復ビンタして倒れていく。まるで赤いかまぼこの表面を削ぎ落とすように、頬にほんのりと載せたチークの粉を叩き落とすように。  頑張ることは楽しいことだった。  頑張ればいつも必ず結果がついてきた。  頑張っても頑張っても目標に届かない。  少しずつ頑張ることに嫌気が差してきた。勉強をサボって中学のときには我慢していた遊びや趣味に没頭するようになった。でも、学校や塾では、勉強が出来ない自分の現実を否応なしに突きつけらる。素直に、勉強が出来なくて馬鹿な自分を認めて開き直れるほど私は強くなかった。同級生への劣等感は募るばかり。学校に行くはずのある朝、私は学校とは反対方向に向かうバスへと引き寄せられるように乗り込んだ。  6月のある日、バスで東武U駅について、東武線に乗り換える。紫陽花の名所として知られる大平山へと向かっていた。栃木駅前で電車を下りて路線バスを探す。K自動車系列の路線バスは本数が少ない。 ー私は何をしてるんだろう、こんな所でー  バスを待つ間、イヤホンで音楽を聴きながら、内職用に学校に持って行っている文庫本の続きを読む。最近は授業についていけないから、教科書やノートの下に文庫本を隠して読んでいた。中学までと違って、先生は学業放棄するような生徒に注意の一つもしない。校風が自由で制服がない、私服でお洒落が出来るから選んだ学校だった。自由は残酷だ。落ちこぼれても、反抗的な態度を取っても、学ぶ気がない者は存在しない者として扱われる。注意してる時間すら惜しい。授業は淡々と進んでいく。  そんな学校の雰囲気に耐えられずに、県央から栃木の県南まで来たものの、内心は補導されないかビクビクしていた。私服の学校なので、制服姿の子が昼日中にうろついているという違和感はないはずだ。ツツジの花をモチーフにした校章も外してある。  鈍色の曇り空がとうとう泣き出した。泣きたいのは私もだよと、心の中でつぶやく。通学用のリュックから折り畳み傘を取り出す。傘の表面に落下する滴が放つ音は、ラムネの炭酸が弾ける音を、低く、くぐもらせたような音。  紫陽花を見たらラムネが飲みたいな。そんなことをつらつらと考えていたらやっとバスが来た。冷えきった車内は私を蒸し暑さから解放してくれた。  
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