あやさんのこと

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あやさんのこと

 あやさんとはB型作業所「アート・ルーズリーフ」を辞めた後も、LINEをしたりカフェに行ったり、買い物をしたり仲良くしていた。あやさんは病みながらも一年留年して第一U女子高校を卒業して、そこで力尽きて寝込んでしまったそうだ。時々派遣の単発バイトを入れても長くは続かないとボヤいている。5歳年上のお姉さんのような存在。  そんなあやさんは、ネイルとスタバと恋愛が私の三本柱と意味深に笑う。 「ネイルって自分が楽しむためにするときと、男に褒めて貰いときと二種類あるんだよ。だから、恋愛もネイルの勉強うちかな」 あやさんが語る恋バナは恋愛小説さながらで、私には遠い異世界のことのように感じる。あやさんは自分の欠点を補うために恋愛をすると言う。でも、話を聞いてる限りでは自分を痛め付けるような恋愛しかしてないような気がする。でもそれを口にしたら、あやさんはきっと、私と友達でいることを止めてしまうだろう。だから私は、恋愛に関しては否定も肯定もせず、ただあやさんの話の聞き役に徹している。 「でさ、なんか変だなと思って指紋認証で寝てる隙にスマホ開いてみたら…。出るわ出るわ、浮気の証拠。もう、怒りを通り越して笑いを堪えるのが辛かった。やっぱり年下はダメ、頼りない」 あやさんの恋バナの最後はいつも「やっぱり~はダメ、◯◯がない」構文で締め括られる。「そうなんですね、酷い」と返したのはこれで何度目だろう。少し前は「やっぱり年上はダメ、若い女へのリスペクトがない」で、その前は「やっぱり東京生まれの男はダメ、ハングリー精神と地方への適応能力がない」だった。  恋の始まりのときは、この構文が逆になる。「やっぱり東京生まれの男はいい、洗練されたセンスと品がある」で、年上と付き合ってたときは、「やっぱり年上はいい、頼り甲斐がある」で、さっき話してた年下の彼氏と付き合い始めたときは、「やっぱり年下はいい、甘やかしたくなる可愛さがある」だった。  恋の始まりのときには長所に見えた部分が別れのときには短所になる。この法則は小説を書くときに使えそうだ。でも、恋愛経験のない私にはまだ恋愛小説を書く能力が足りない。あやさんの話は、別れた年下の男から新しい恋の話に変わった。また懲りずに恋愛か…と内心辟易としながら、カフェで頼んだマンゴーフラペチーノを一口啜る。 「誰だと思う?次の相手?」 あやさんは思わせ振りに聞いてくる。 「ヒントが全然ないからわからないですね。うーん、誰ですか?」 興味津々のフリをする。すると、あやさんはラベンダー色に黒のストライプが入った自分のネイルを弄びながら、三本指を立てた。 「ヒント1。私は『アート・ルーズリーフ』を辞めて、今はネイルも売ってる雑貨屋でバイトを始めた。ヒント2。そろそろ真面目に付き合える仕事が出来る男がいい。ヒント3。真面目な男と付き合うには自分も真面目に働くしかない。さあわかるかな?」 3つのヒントから導けるのはベタだけど、職場恋愛だと思う。 「もしかして職場の人ですか?」 あやさんはブブーっと残念そうに両手でバッテンを作った。 「ヒント4。結婚も見据えるならお金持ちがいい。ヒント5。唯花ちゃんも知ってる人だよ」 私も知ってる人?お金持ち?一人だけ思い付いた。B型作業所を経営してる坪山さん。県南の地主のボンボンで、作業所の開業資金は親御さんが出してくれたらしい。作業療法士で真面目に働いている。ただ真面目なだけじゃなくて、利用者が作った作品を売るためのマーケティング戦略に長けた遣り手。仕事は人より出来る。あやさんがB型作業所の「アート・ルーズリーフ」を辞めないと付き合いづらいだろう。利用者と経営者の関係性では。だからあやさんは、ネイルも扱う雑貨屋でアルバイトを始めて真面目に働いている。矛盾がない綺麗な答え。  なぜだろう…。答えはたぶん三十代半ばの坪山さんのような気がするけど、答えたくない。 もしも卒業までバイトが続かなくても、ネットショップの作品の委託販売の仕事をバイトと言い張ればいいと、ネットで有名な「かつとし」みたいな屁理屈で私を励ましてくれた。通信制大学の文芸学部に行きたいと言った私を船に例えてくれて、「航路ヨシ、風速ヨシ、波の高さヨシ」と指差し確認してくれた。現場猫の黄色いヘルメットを被って微笑む坪山さんの姿がなぜか浮かんでしまう。あやさんと坪山さんが恋愛…。複雑な心境を隠して、私はあやさんにやっとわかったという顔をしてみせた。 「まさか、坪山さん?」 「当たり。『アート・ルーズリーフ』を辞めないと付き合えないから辞めた。ネットショップの売上、私は結構良かったからそのまま別口の委託販売で残して貰ってる。作業所の経営も大変みたいだし、ギブアンドテイクかな」 大人っぽくあやさんが言う、ギブアンドテイクに打ちのめされた。私は坪山さんに助けて貰うことはあっても、坪山さんを助けることが出来ない。委託販売の取り分は坪山さんが二割、出品者が八割。あやさんのネイルチップは作業所のネットショップでも定期的に売れていたから、きっと坪山さんにもマージンが毎月入る。 「なんか…カッコいいてすね、大人の恋愛って感じで」 無理矢理捻り出した言葉で取り繕う。あやさんは誇らしそうに微笑む。 「今度は本気になっちゃった。結婚まで考えたいから病気ちゃんと治さないとね。今まで人生投げてたのに、真剣に治療とバイトしてる」 何か気の利いたこと言わなきゃ。 素直に祝わなきゃ。 前向きになったあやさんを見習わなきゃ。 私の心の中は、真空パックに詰めれた袋入りのもやしのように、沢山の「なきゃ」で溢れ返っている。しゃきしゃきではなく、なきゃなきゃとパックの中から出たそうに音を立てて騒ぐ。 「真剣な恋が病気の特効薬になるんじゃないですか?熱いですね、もう」 もやしのような、なきゃの群れのお陰で、私は最高の一言が言えた。 「唯花ちゃん、ありがとう。なんかドラマの台詞みたいで嬉しい」 そうだよ。作家を目指してる私が、溢れ返るなきゃなきゃの群れに囲まれて考えた最高のキャッチコピーだもん、それは。私の本心に全然気がつかないあやさんは、坪山さんの惚気話を続ける。平静を装いながら、私はいつの間にかあやさんの弱点を探していた。  この人、結局高卒のままで録な資格持ってないじゃん。ネイルの世界にも資格はあるらしい。でも、それが収入に直結するとは限らない。バイト先もネイリストではなく雑貨屋でアルバイト。しかも、作業所を辞めてすぐに付き合い始めるような女性と、坪山さんは結婚までする気があるのだろうか。 味方のフリをして色々聞き出して、自分に残された僅かな勝機を探っていく。坪山さん、もしかしてあやさんとは遊びなんじゃ?どうも今回の恋愛は今までのあやさんのパターンと違う。いつもあやさんが短期間で男をジャッジをして冷たく振るパターンばかり聞かされてきた。 今回はあやさんの熱量が大きく、このまま行くと、坪山さんがあやさんの熱量に引き気味になりそうに見える。心の中に住み着いた、~しなきゃの、なきゃなきゃの群れを一気に中華鍋に放り込み、胡麻油を入れて強火で炒める。 なきゃなきゃの群れは炒め物にされて静まり、代わりに悪意の芽が、パックに規則的に植えられたかいわれ大根のように心の中で伸びる。 「私は恋愛したことないからわからないけど、相思相愛ってきっとこういうのじゃないかなって。もうここまで来たら押しの一手じゃないですか?」 押したら引くと言わなきゃいけないのに、押しの一手と素知らぬ顔で言い切る。 「だよね、ちゃんと捕まえておかないと」 え?恋愛経験ゼロの人間が悪意で言うことを、5歳年上が真に受けてる…。かなり隙だらけ。これは、諦めずにチャンスを伺うしかない。 経験値ゼロで友達の彼氏を好きになるとか、私の人生は相も変わらずベリーハードモードだ。この初恋は余りに重過ぎて、小説のネタとして使えそうもない。  あやさんのいつもの恋バナが、自分でも気づいてなかった恋心と悪意の芽を呼び覚ました。大人になると、きっと心で思ってないことでも平気で嘘を言えるようになるんだ。自分が嫌なタイプの大人になっていくようで悲しかった。
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