対抗心と覚醒

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対抗心と覚醒

 このままじゃ駄目だ。痩せることに拘り、体型のことばかりを気にしていたらあやさんに確実に負ける。ちゃんと食べなきゃ。一日三食をゆっくり咀嚼して、小さくなった胃を驚かせないように食べる。消化不良を起こさないように市販の苦い胃薬も我慢して飲む。  そして、体重と体力を戻した私は年末年始限定の郵便局の仕分けのアルバイトをしたいと主治医と両親に申し出た。通信制大学の文芸学部は、北関東のT県からスクーリングに行きやすい、東京分校がある方に決めた。 「通信制の文芸学部の大学に行くならアルバイトをすると母と約束しました。もう一度だけアルバイトがしたいんです。ちゃんと期間満了まで働いて、高校卒業までは無理でもアルバイトをきちんとやり遂げたい。先生ダメですか?」 私の熱意と迫力、血液検査の改善された良好な数値を見て主治医は頷いた。 「無理だけはしないでくださいね。僕のクリニック、年末年始はお休みてす。それでも大丈夫ですか?」 迷いなく私は答えた。 「はい。やれるだけやってみます!」  郵便局の仕分けのアルバイトはとても簡単で、ファーストフードのアルバイトより体も心も楽だった。ただ、履歴書にWordとExcelの初歩的な操作が出来ると書いてしまったために、途中からハガキや封筒の仕分けかはお歳暮などの小包みのパソコン入力を伴う作業に回された。パソコン入力はそんなに速くない。怯えていたけど、テンキーを使った簡単な入力が殆んどで、重量が大きな荷物は男性の社員さんが運んで積んでくれる。デスクに座って伝票と荷物を機械的に仕分けするだけなので、ハガキや封筒の仕分けより脚が疲れない。 年末年始の期間、一日の欠勤も遅刻すらなく、無事アルバイトを勤め終えた。あやさんにだけは負けない。追い付けるかどうかなんてわからないけど、アルバイトをして、初めての小説をネット投稿サイトで書き始めて、坪山さんに委託販売契約をお願いしている、下手でも売れなくても紙モノ雑貨のイラストを書く。大学の入試が簡単な分、私はやれることは全てやっていった。 一月下旬、バレンタイン向けのミニカードが一つだけ売れたとLINEで坪山さんから連絡があった。すぐにでもLINEを返したい衝動を押さえ込んで、投稿サイトで募集している短編小説コンテストに出す原稿に集中する。  拙い7508字の短編を書き上げ、公開ボタンを勇気を振り絞って押す。コンテストへの応募ボタンをスマホでタップするときは祈るような気持ちで念を込めた。自分のやるべき事をやってから坪山さんへのLINEの返事を考える。あやさんは年下の彼氏のスマホを、彼が寝てる隙に彼の指を使って指紋認証を突破したと、以前言っていた。つまり、坪山さんに送るLINEの中身はあやさんに見られる可能性がある。 「ありがとうございます。バレンタイン向けも作って良かったです。坪山さんの現場猫風のヨシ!ヨシ!ヨシ!の確認が懐かしいです。夢に向かって頑張ってます。紙モノは作れても、バレンタインどころじゃないほど忙しいです。卒業入学シーズン向けの新作の納品をしたいのですが、坪山さんは元気ですか?」 あやさんに万が一見られても大丈夫そうな内容にしておいた。坪山さんからのLINEは意外と早く返ってきた。 「ヨーシ!元気にやってるね。無理し過ぎないでください。新作の納品は2/3か2/6の作業所の昼休みが希望です。売上金は領収書付きで渡せます。都合はいかがですか?」 2/3か2/6。2/6は病院の通院がある 「2/3でお願いします、2/6は通院日なので」 手短に返す。 「2/3、12:15分にU駅西口のタリーズでいいですか?」 おっ、スタバじゃなくて、タリーズ。スタバの新作に目がないあやさんにスタバは飽きるほど付き合わされてるんだろうな。 「了解しました、2/312:15西口タリーズですね。お疲れさまです」 お疲れさまの自作で描いた花束スタンプを一つだけ押すと、スタンプなのか拾い画なのかわからない現場猫の、「ヨシ!」のスタンプが返ってきた。坪山さんと私だけが分かる鉄板の笑えるネタのようで、なんだか心が暖かくなる。  2/3が待ち遠しい。こうなったら、バレンタイン前に義理チョコと称して先にチョコレートを渡してしまえ。坪山さんから微妙な反応が返ってきたら、「義理チョコなのに本気と勘違いしたんですか?」って思いっきりからかってやる。そうすれば、きっと振り切れる、たぶん忘れられる、そして、あやさんに対して悪意や対抗心を持たないで済むようになれるはず。  スマホを見る目を皿にして、義理チョコのラインナップの中で、一番お洒落な物を探す。貝殻をモチーフにしたチョコレートがあった。義理チョコとして手頃、メーカーは有名なモロゾフ。数百円で面白いデザインがたくさんある。  私の夢を船に例えてくれた坪山さんに、海の雰囲気がする貝殻のチョコレートを送ろう。涙の白波が、届かない初恋という砂を飲み込んで海に返してくれるだろう。完全な自己満足だけど、そんなショートストーリーが浮かんだ。  2/3はきっと私の失恋記念日になる。家に帰ったら節分の恵方巻きにでもかぶりついて、おならが出るほど福豆を沢山食べればいい。イメージトレーニングは完璧だ。 江國香織さんの「号泣する準備はできていた」もちゃんと読んだ。私は坪山さんの前で絶対に泣かない。独りになってから初めてあの時泣けば良かったと気づく。あの小説の主人公と同じように振る舞えばいいんだ。
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