さよならの代わりに

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さよならの代わりに

 2/3、待ち合わせより三十分も早くU駅西口についてしまった。改札近くの駅ビルの中にある本屋で立ち読みして時間を潰す。いつもなら活字の世界に夢中になるのに、今日は文章の中身が頭に入って来ない。  本屋を離れて靴下屋で、カラフルで多種多様な靴下を眺める。靴下屋に並ぶ全部の靴下に、サンタクロースが毎年プレゼントを律儀に入れて行ったら、靴下を売るより利益が出るかもしれない。店員さんが小さくて高価格な物を欲しいと願うとか。サンタクロースは几帳面に色鮮やかか宝石を靴下に詰める。サンタクロースの後をつけていた泥棒が駅ビルに忍び込んで靴下を根こそぎ盗んでいく。翌朝出勤した店員さんは、売り場から靴下が綺麗さっぱり無くなっていて慌てて警察を呼ぶ。でも、サンタクロースもサンタクロースの後をつけていた泥棒も防犯カメラには映らない。集められて突然消える靴下だけが防犯カメラに残される。サンタクロースなんて本当はいない。だからサンタの姿が見える泥棒も架空の存在。そんな童話のあらすじが浮かんだ。最後はサンタと泥棒の格闘シーンで終わる。 思いついたあらすじを、スマホのメモ帳に記録するために、靴下屋を出て駅ビルの中のベンチに座る。  待ち合わせ十五分前。メイクを直してロータリーの反対側の、最上階に大手家電量販店が入る商業ビルに向かう。 二階のタリーズの前でスマホの時計を確認すると待ち合わせ五分前。ちょうどいい時間だ。「着きました」とLINEを入れようとすると、「野島さん、久しぶり」、快活な坪山さんの声が聞こえた。フリーズの中にポロシャツ、ボトムスはチノパン。作業所の仕事の合間に抜けてきたと分かる、私がよく知っている作業療法士の坪山さんがそこにいた。ちょっとガッカリしてしまった。やっぱり仕事の一環でこれはデートじゃない。 沈む気持ちを悟られないように明るく振る舞う。私がアールグレイの紅茶ラテを頼もうとすると、坪山さんは、 「あとブラックコーヒーも一つ。トールで」 勝手に注文を足して、勝手に支払いまで済ませてしまった。 「あ、あの…お金…」 ダサっ、まともに喋れてないし、私。 「大丈夫、領収書の使い道があってね、交際費で切れる。これはれっきとした仕事の打ち合わせだから。ちゃんと続けて委託販売も頑張ってるよね、慰労の意味も込めてさ」 ああ、奢り=気があると勘違いして、まともに喋れなくなった自分を往復ビンタしたい。 「ありがとうございます」 やっと淀みなく喋れた。それからタリーズで一個だけ売れたバレンタイン向けメッセージカードの売上金の八割の240円を現金で受け取った。こんな少額なのに領収書まで書いてくれて、後は私が名前を入れるだけ。元の売り値は300円で委託販売してくれる坪山さんの取り分は二割だからたったの60円しか利益にならない。紙の領収書だってタダじゃない。  卒業入学シーズン向けの桜や春シリーズの紙モノを作って渡したけど、売れても一個が関の山、売れなければ不良在庫に…。私の強ばった表情から何か読み取ったのか坪山さんは優しく語りかけてくれる。 「どうしたのかな?何か悩んでるならもし僕でよければ話してくれると嬉しいな。『アート・ルーズリーフ』は卒業しても居場所であり続けたいと思って経営してるから」 私は紅茶ラテを一口飲んでから、納品しても不良在庫の山にしかならない不安を打ち明けた。すると、坪山さんは私が納品した作品を一つ一つ確認しながら呟いた。 「ネットショップは商売敵が多いけど、毎年秋にある県の障がい者文化祭に芸名のままというか、作業所『アート・ルーズリーフ』として出品しようと計画しててさ。野島さんの作品も卒業生『嶋野春花』として出してほしい。ただ飾るだけじゃなく、出店で販売もやろうって計画が進んでる。ネットショップにはネットの良さがあり、障がい者文化祭にはまた違う良さがある。誰かに見て貰えたり、売れる可能性があるフィールドには全部出します。それが作品を託された僕の使命です。どうですか?少し気持ちが楽にならないかな?」 私は絶対に泣かないと昨日決めた。でも、この涙は恋が叶わなくて流れてるんじゃない。坪山さんの熱意と行動力、福祉系の人とは思えないキレのあるマーケティング戦略的と、ハートフルで泥臭い営業魂に感動してしまった。涙を拭って私は拙い言葉を絞り出した。 「本当にありがとうございます…。大学生になったら忙しくなると思いますが委託販売を続けさせて貰えますか?」 坪山さんは深く頷いて答える。 「こちらこそよろしくお願いします。誰かが作ったものを伝えていく。僕はこの仕事がやっぱり好きなんです。野島さんも夢に向かって頑張ってくださいね、でも無理はしないで」 そして、坪山さんは小さく現場猫のヨシを三回してくれた。私は鉄板ネタで笑ってから、モロゾフの義理チョコに見せ掛けてある、本当の好きが詰まった貝殻チョコレートを渡した。 「いつもお世話になってるお礼です。つまらないものですがどうぞ」 大人びた言い回しで義理チョコの予防線を張る。坪山さんは笑顔で受け取ってくれた。 「お返しは何が欲しいかリクエストしてくれないかな?僕、女性が喜びそうな小物やお菓子には疎くて。先日もね、大学時代から付き合ってる彼女を怒らせちゃって大変だった。クリスマスプレゼントにアクセサリーが欲しいと言うから、一生懸命選んでブレスレットを買った。そしたら、こんな数珠みたいの要らないってキレられて修羅場。パワーストーンのアクセサリーは女性ウケが悪いとこの年で知って、情けない。来年結婚すれば、彼女がホワイトデーとかも考えてくれるかもしれないけれど、まだ頼める間柄でもないしさ…」 坪山さんの彼女の話で私は血の気が引く。この人、あやさんと結婚が決まってる彼女とで二股掛けてるってこと!?思い詰めて熱を帯びた初恋は、一瞬でマイナス五十度まで冷え切った。 「お返しは要らないてす。いつもお世話になりっぱなしなので」  自分で思うよりもビジネスライクに言えた。仕事に関しては尊敬する人だけど、男としてはサイテーな奴。お返しの選び方がわからないとか、嘘に決まってる。パワーストーンの数珠みたいなブレスレットで彼女を怒らせた話も、きっと嘘だ。意外とモテないアピールで私の気を惹こうとしてる。一度冷めてしまうと粗がきちんと見える。さっきから大きく開いた私の白いニットの胸元をチラ見しているのにも気づいてた。 恋していたときは、目のやり場に困って一生懸命目を逸らしているように見えたのに、あやさんと彼女との二股に気づいてからは、さりげなく品定めするような不躾な視線に感じる。  なんだろう、この脱力感は。初恋が叶わず、独りになってから静かに泣く準備までしていたのに。私の初恋は失望と怒りで幕を閉じて、泣くに泣けなかった。  タリーズを出て家に帰ってから、恵方巻きと福豆の自棄食いをした。もう、私には夢しか残ってない。恋の花は枯れる前に無残に散った。思っていたより女性にだらしない、とんでもない男だった。いつかこの間抜けな初恋を、小説のネタにしてやる!  私は最近始めたばかりの小説投稿サイト、エブリスタの作品作成ボタンをタップする。待ち合わせの前に駅ビルの靴下屋で思いついた童話を書いていく。サンタと泥棒の話。靴下屋の全ての靴下にまばゆいばかりの宝石を、サンタが律儀に詰め込むシーン。なぜだろう、坪山さんはこの童話のサンタでもあり、サンタの後ろをつけてプレゼントを盗む、狡い泥棒のようでもある。  この童話の結末は、サンタと泥棒が格闘してサンタが勝ち、泥棒はサンタ見習いとして働き始める、ハッピーエンド。ラストシーンを書き上げると、サンタ見習いとして働く元泥棒は私になり、律儀なサンタはいつの間にか坪山さんの顔をしていた。  小説の登場人物には色々な人の色々な顔が投影出来る。やっぱりまだ少しだけ、この間抜けな初恋に未練があるみたい。  関西圏に本学があり、東京に分校がある通信制の文芸学部に入学する春には、きっと未練を振り切れると思いたい。振り切れないと、これから書く小説のあちこちに坪山さんが投影されてしまいそうだから。  「早く忘れさせてよ、仕事は信頼出来るのにプライベートはだらしなくて最悪。二股の三十路オジサン」 思いつく限りの悪口を言って、溜め息をついた。恋は人を五割増しでよく見せる魔法。魔法が解けても、ささくれのようにチクチク痛む。理想の偶像を思い描いても、描き足りなかった花は散る前に枯れ果てた。残酷な現実という毒々しい農薬が噴霧されたから。  茶色に萎んでうなだれたまま枯れた花は、いつか春先の強い風が吹き飛ばしてくれる。恋がダメでも、まだ私には夢がある。頬を両手でピシャッと叩いて気合いを入れた。  エブリスタで書いている、サンタと泥棒の童話に「了」の一文字を刻んで公開して、私は前に、次の頁へと力強く進む。    
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