紫陽花

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紫陽花

 受験太りした体で、大平山名物の長い石段を登る。程よい運動のはずが、なまった体が重いから息が上がる。あじさい坂を登ったのは小学校低学年の遠足以来。あの頃よりも意外と短い時間で登れる。小さな頃はとても長く大きく感じたこの石段の両側には、金平糖のように光る雨粒で彩られた紫陽花が咲き始めていた。  紫陽花のガクも遠目には大きな金平糖に見える。赤紫、青紫、薄水色。花びらによく見間違えられる紫陽花のガクは、金平糖よりもあんみつの中に入っているぎゅうひを薄く刻んでこんもりと束ねたような柔らかな曲線を描く。  山頂付近の売店でラムネを探したけれど、見当たらない。蒸し暑いからメロンのかき氷を買って、自販機でレモン味の炭酸ジュースも買う。メロンのかき氷に炭酸レモンジュースを混ぜると、鮮やかな黄緑色の波飛沫が出来た。まだ来ない遠い夏の海のようなフローズンを、私はゆっくりと惜しむように少しずつ味わう。  ただでさえ、毎日毎日憂鬱で頭が重くて痛いのに、かき氷の冷たさで刺激された頭痛まで起こしたくない。黄緑の海を食べ尽くした後には、ビーチパラソルを畳んだような縦縞の赤が眩しい、白地に赤のストローが残されていた。ストローの先を切り開いて、かき氷のスプーンにしてある。先が割れたストローの先端は、二枚貝の貝殻。畳んだビーチパラソルの持ち手は、実は貝殻で出来ているのかもしれない。  メロンのかき氷と炭酸レモンジュースを混ぜた、黄緑の海がある常夏の楽園に行けたらいいのに。勉強とか、受験とか、進路とか。面倒なことが何もない、泳いで遊んで歌って暮らせる島。華やかな色のトロピカルフルーツや、アメリカンサイズの大きくて原色がけばけばしいアイスクリームだけを食べて。  そんな空想にほんの少し浸ってから、私は大平山を下山した。どこにも行くところがない。お金も帰りの電車賃とバス代だけでギリギリ。だらだらと渋々と電車とバスを乗継いで家に帰る。早過ぎる帰宅を母に見咎められないことを祈りながら、家の駐車場を見た。母の車がない。今のうちだ。私は急いで玄関のドアを開けて、靴を持ち、トイレを済ませ、冷蔵庫から適当に食べ物と飲み物を取って、自分の部屋に逃げるように駆け込んだ。
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