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女心と秋の空とコスモス
もう終わるはずだった。そんな片思いが一年後に動き出すなんて予想していなかった。きっかけは情報通肉食系、いや情報通狩猟女子のあやさんだった。
「坪山さん離婚したって、一年で別れるとかヤバくない?」
挨拶もない唐突なLINEに私はどう返していいのかわからなかった。返信しないのも悪いので「えっ?」とスタンプだけ返した。
「事業所が厚生労働省の報酬額改定のせいで収入が減って坪山さんはアート・ルーズリーフ畳んでさ」
ああそうか、そんな話を少し前にあやさんの新しい恋バナのついでに聞いた覚えがある。それと離婚がどう結びつくのか?坪山さんは地主のボンボンだから、事業所を閉鎖しても家業を継げば生活は成り立ちそうなのに。
私の返信を待たずにあやさんは続ける。
「親への借金返済はチャラにするから、実家の仕事を継げって言われて親の言いなりになって。奥さんにまで家業を手伝わせて逃げられたんだよ、自業自得だよね?」
事業資金を親御さんに借りて返せない代償として家業を継ぐ。あまり幸せそうではないけど、家業って何だろう?親が地主という噂だけは聞いてるけど。
「坪山さんが継いだ仕事ってそんなに大変なんですか?」
LINEをあやさんに返すと間髪入れずに返信が返ってきた。
「大変だよ、だって坪山さんの親は地主だけど苺農家だもん。農家を継ぐより、普通にサラリーマンで働いて親に借金返してくれなきゃ結婚したときと約束が違うってなるじゃん?」
一年と少し前に結婚後に住む場所で後に奥さんになる彼女さんと揉めてた坪山さんを、スタバで見掛けた事を思い出した。女性の気持ちに疎くて無神経な所は確かにある。でも、坪山さんが考える「普通」と奥さんが考える「普通」が元々違ってたんじゃないだろうか。坪山さんが作業所の事業を潰して地主だけを継ぐというのは虫が良すぎる。苺農家は重労働でも継がない選択は出来ない。たぶんこれが坪山さんの考えで、奥さんは親からの借金は少しずつ返して普通のお給料が貰える勤め人に戻って欲しいと考えてそうだ。心の中で思っていた事を整理して、なるべく無難な言葉を探す。
「お互いの価値観が合わなくなったとかですか?」
「そりゃ借金チャラにするから家を継げって言われて、大人しく親の言いなりになったらどんなイケメンでも冷めるよ。奥さん可哀想」
あやさんのLINEからは可哀想と反対の声も聞こえる。行間に「奥さんも読みが甘い」とか、「私ならもっと上手くやるのに」みたいな含みがある。私だけでなくあやさんも坪山さんへの憧れを断ち切れていないのかもしれない。私はとりあえず同調しておくことにした。
「奥さん可哀想ですね。アート・ルーズリーフが軌道に乗ると思ってたのなら。卒業した学校が無くなるみたいな寂しさがあります…」
いい子ぶった返信にして、あやさんの出方を伺う。作業所アート・ルーズリーフはもう潰れた。その寂しさは本心だけどあやさんの本音が見えない以上迂闊なことは言えない。
「ていうかさ、実家が農家なら余った畑でもう一度農業で作業所立ち上げる位の根性が欲しいよね?お坊ちゃまは気が弱くてダメ。坪山さんとは縁が無かったけど無くて良かった。今彼は叩き上げでお店やってるんだ。不景気にも負けないでイタリアンの小さな店。カッコいいでしょ?」
LINEにはインスタグラムのリンクが貼ってあって、あやさんの今彼がお洒落な料理の前で微笑んでいる。彼氏さんはハーフかクォーターかな?相変わらず肉食でハンティングが上手いあやさん。坪山さんをあやさんが男を見切るときのお約束の「だから~はダメ構文」で斬るだけはある。イタリア人と日本人の良いとこ取りみたいなイケメンシェフがいる。
「映画とかにいそうなイケメンですね」
あやさんの今彼を誉めて反応を伺う。坪山さんを更に扱き下ろすか、それとも坪山さんの良い部分の話に戻るか。あやさんは坪山さんへの批評を続けた。
「叩き上げの人と違って、ちょっと上手くいかなくなると作業所をまたやる気もないんだよ」
この辛辣さはあやさんは今彼に相当夢中だと判断して良さそうだ。
「本当に、色々あったんですね…」
当たり障りのない返信でLINEを返して後はあやさんの今彼との話でLINEのトークは終わった。今彼と行ってきたコスモス畑のインスタ映えする画像のあやさんは、今までで一番幸せそうだった。恋をする度に今までで一番幸せそうな最高の笑顔をどんどん更新していくあやさんが羨ましく思えた。
私はどこか冷めていてちゃんと彼氏がいるのに、幸せな自分を上手く演じてるような違和感はどこからくるのだろう?そのヒントは、あやさんとのトーク履歴に刻まれた「坪山」の文字にあると認めるしかなかった。
(ちゃんと失恋してなかったな…)
答えは見えていてもどうしていいか、皆目見当もつかない。
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